「森友問題」と「TPP問題」のどちらが重要か?
■麻生氏の問題発言の是非
自民党の麻生氏が、参院財政金融委員会の場で以下のようなことを述べられたらしい。
1、「森友の方がTPP11より重大だと考えているのが日本のレベル」
2、「日本の新聞には(TPP11のことが)一行も載っていなかった」
これらの発言が物議を醸し、既に麻生氏は謝罪を行われたそうだが、これも(現時点では)一種の言葉狩り(ポリ・コレ)だと言えるだろうか。
確かに「2」の発言については事実と異なることを言ったということなので謝罪は必要だろうけれど、「1」については、現状では未だ謝罪が必要な段階とは言えない。
少なくとも現段階では、麻生氏は、安倍総理やご本人が森友問題に関係していないと信じているわけだから、森友問題についての責任感を感じる段階にあるとは言えない。事実はともかく、現段階では自分達は冤罪だと思っている側の人間なのだから、「森友問題よりもTPP問題の方が重要だ」と言っても何の問題もないと思う。
財務相としての監督責任が無いとまでは言えないが、だからと言って、本来の仕事よりもスキャンダルの方が重要だというのでは不自然だ。会社の社長が、従業員が窃盗罪を犯したとして、会社全体の仕事よりも1人の窃盗罪の方が重要だと言うのではおかしい。
そもそも、与党の政治家が本業を忘れて、森友問題にばかりに拘っていれば、政治家としての信用を失ってしまいかねない。
問題が生じるのは、実際に自分達が森友問題に関わっていたということが判明した段階でのことであり、そういう段階になって初めて、今回の発言が責任問題として追及されることになる。
解り易くするために卑近な例で言うと、もし、あなたが通勤中の電車内で痴漢と間違われて逮捕されたとしよう。
その後、警察の取り調べ室で、あなたが「痴漢問題よりも仕事の方が重要です」と言った場合を考えてみよう。それがおかしいことだと言えるだろうか?
「痴漢問題の方が仕事より重大だと考えているのが警察のレベル」と言うことが、おかしいことだろうか?
あるいは、痴漢冤罪を訴える会見の場で、「痴漢問題よりも仕事の方が重要です」と言ったとすればどうだろう? それがおかしいことだろうか?
その人物が本当に無実(または無実と思っている)なら、「私は自分の仕事をしなければいけないので、痴漢問題などに構っている暇はありません」と言うのは、尤もな意見だと言える。逆に、「私は自分の仕事よりも、痴漢問題の方が大事です」などと言えば、余計に怪しいと疑われる可能性が高くなってしまう。
■シンプルに考える「推定無罪・有罪論」
ついでに言うと、もし、あなたの友人が痴漢行為の疑いで逮捕されたとしよう。その友人があなたに「俺は無実だ、信じてくれ」と言った場合、あなたはどう思うだろうか?
普通は証拠がない限り、その友人の言葉を信じるだろう。簡単に言えば、それが「推定無罪」である。
その後、本当にその友人が痴漢行為を行ったという証拠が出てきた場合、「お前(友人)は俺に嘘をついた」ということで「推定無罪」は崩れる。実にシンプルだ。
逆に「推定有罪」とは、痴漢行為の疑いで逮捕されれば、それが誤認逮捕であろうがなかろうが、「お前は痴漢行為をしたのだろう」と疑うことに近いと言える。
日本では「逮捕」という言葉がイコール「犯罪者」という認識になっているきらいがあるが、これなども立派な推定有罪だ。
人間は感情の生き物なので、誰しも、親しい人は信じてあげたいし、憎たらしい人は疑いたくなるというバイアスを抱えている。同じ痴漢の冤罪でも、その人物が普段から憎たらしいと思っている人なら、どうしても心情的には「推定有罪」に傾いてしまう。
確たる証拠が出てきて、尚かつ、本人が罪を認めた時点で「犯罪者」という立場が成立する。しかし、証拠が出てくるまでは、その人物を信じて無実として扱う。それが「無辜の民を罰するなかれ」という言葉が示す通り(冤罪を回避するための)近代国家の決まり事でもある。
現状では、安倍総理も麻生氏も罪を認めていないし、確たる証拠も出てきていないのだから、「疑わしきは罰せず」の適用が妥当であり、確たる証拠が出てくるまでは無実として扱う。それが良識ある人間の対応というものだと思う。
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