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「神事」としての相撲と「女人禁制」

■「土俵の上」から始まったリベラル論議

 先週、京都府舞鶴市の多々見市長が、大相撲の春巡業の場(土俵の上)で挨拶を行っていた最中、途中で倒れるという出来事があった。
 その場にいた一般女性が土俵の上に上がり、多々見市長の心臓マッサージを行っていたところ、「女性の方は土俵から降りてください」という場内アナウンスが流れた。場内にいた人々はきっと「えっ!?」と耳を疑っただろうことは想像に難くないが、この騒ぎに乗じて、またまた「女性差別だ!」という声が噴出しているようだ。

 海外の報道機関も同じように「女性差別」だと論じている向きもあるが、今や海外の報道機関もリベラルに傾いているので、ストレートに受け取らない方がよいかもしれない。

 結論から先に言うと、この問題の本質は、形骸化した相撲界の姿勢にあり、女性の差別問題と結び付けるのは無理があると思う。その単純な理由を以下に述べよう。

■「女人禁制」を「女性専用車両」で考えると…

 まず、「女人禁制」という古臭い言葉で考えると、バイアスが生じやすくなるので、現代風に「女性専用車両」に置き換えて考えてみよう。
 「女性専用車両」とは男性からの痴漢行為を防ぐために設けられた車両のことだが、この場合は「男人禁制」ということになる。
 その「男人禁制車両」の中で、ある女性が急に倒れ、その車両の入り口近くにいた一般男性が、その車両に駆け込み、倒れた女性の心臓マッサージをした場合を考えてみよう。

 その時に、「男性は車両に乗らないでください」というアナウンスが流れれば、確かに問題だろう。何が問題なのかと言えば、“融通が利かない”こと。人命救助という目的よりも、痴漢防止という目的が優先されるのでは本末転倒であり、その硬直した姿勢が批判されるのは仕方がない。
 そういう意味では、今回の「女性の方は土俵から降りてください」という意見も批判されても仕方がないとは思う。但し、それは伝統や差別とはあまり関係がなく、あくまでも“融通が利かない”という意味での批判だ。

■五穀豊穣の神様に愛想を尽かされた相撲界

 相撲の起源は諸説あるが、基本的には「神事」であり「祭事」であるということ。なぜ「神事」や「祭事」と言われるのかと言えば、相撲の本来の目的が「天下泰平・子孫繁栄・五穀豊穣・大漁」を祈る祭りであったことに依る。
 土俵の上で力士が塩をまくという行為が、相撲が宗教的な行事(神事)であることを物語っているが、その行為も別に女性とは関係がない。

 ではなぜ、女人禁制だったのかというと、か弱い女性が裸で相撲を行うわけにはいかないという理由もあったのかもしれないが、本当のところは、祈りを捧げる五穀豊穣の神様が宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)という女性神であったからという理由もあるらしい。
 女性の神様に対する祈りは異性である男性が行うべきという庶民的(?)な考えがあったということ。女神に対して裸の女性が相撲をとる行為は失礼にあたるという考えもあったのかもしれない。

 江戸時代には「女相撲」というものが興行的に行われるようになったが、それはあくまでも見せ物としての商売であり、神事とは無関係。ちなみに「女相撲」は風紀的な問題から明治時代になると禁止された。

 思うに、五穀豊穣の神様が今回の出来事を天の雲井から覗かれているとすれば、女性を土俵に上げたことよりも、神事としての相撲行事の本質を忘れ、形式だけに拘る現代の相撲界にこそ愛想を尽かされたことだろう。
 五穀豊穣の神様が、人間間の女性差別などに興味があるわけがないし、女性を土俵に上げても怒るわけもない。もし怒ることがあるとすれば、下らない建前に拘る人間が神事を執り行っていることに対してだろう。
 もう1つ付け加えれば、今回の出来事を女性差別にまで便上拡大解釈する人間に対しても、さぞお怒りのことだろうと思う。

【追記】2018.4.9
(BLOGOS転載記事のコメントに対する返答になります)

>自由人がリベラルを批判するってどう言うことなんだ

  このブログ記事で述べている「リベラル」は、無論、本来の「リベラル」のことではなくて、(似非)リベラルを意味しています。(似非)リベラルとは、一言で言えば、「マルキスト」のことです。

>自由人は「リバタリアン」の自由ですか、やれやれ。

 何度も当ブログで述べていますが、私はリバタリアンではありません。BLOGOSのプロフィール欄にも書いていますが、「自由人」は「自由に考える人」という意味です。

>しかし、そうすると自由人の安倍政権支持は矛盾だらけですね。

 これも何度か書いていますが、私は安倍政権を擁護するだけでなくて、批判する時もあります。消費税増税時にも何度も苦言を呈しています。正しいと思う政策は支持し、正しくないと思う政策は支持しない。ただ、それだけのことです。

>この自由人とかいう投稿者はどう考えてても、頑迷固陋な安倍晋三教徒であり、ネオリベでもある矛盾した存在。自由を名乗るのが極めて不快である。

 私は安倍信者ではありませんし、ネオリベでもありませんので、誤解のないように。

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投稿: 管理人 | 2018年4月 9日 (月) 22時44分

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