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タバコを吸って病気になる人とならない人の違い

■タバコを吸えば肺がんになるのか?

 「タバコを吸えば肺がんになる」という話は昔からよく耳にする。しかし、実際のところは、ヘビースモーカーでも一生涯、肺がんにならない人もいれば、全くタバコを吸わないのに肺がんになる人もいる。
 喫煙者と非喫煙者を比較すると、喫煙者の方が肺がんになる確率は高いらしい。しかし、だからといって、肺がんになる原因を喫煙だけに限定することはできない。

 アスベストの吸引が原因で肺がんになることはエビデンスとして証明されているのだろうけれど、タバコだけが原因で肺がんになったということは残念ながら証明できない。人間は1日24時間、空気を吸って生きているが、排気ガスや科学物質など、タバコの煙以外にも有毒な空気は少なからず肺に入れている。しかし、どれも四六時中、吸引しているわけでもない。

 例えば、狭い事務所で周りにいる人間が全員喫煙者で、1日中、事務所の中にタバコの煙がモウモウといているような環境下で何年間も我慢して過ごした場合、それが原因で肺がんになったというなら理解できようものだが、1日に数分間、休憩時間にタバコの煙(副流煙)を吸ったから肺がんになったというような話は、言い分としては理解できても、本当にそれが原因で肺がんになったとは流石に思えない。もし、それが本当であるなら、実際にタバコを吸っている人は全員、肺がんになっていて然るべきだと思うが、実際は、そうはなっていない。

 私も子供の頃は、閉め切った車の中で両親がタバコを吸っていたので、その煙を吸って気分が悪くなり、車に酔ったことが何度もある。車酔いとタバコの煙は無関係かもしれないが、子供だったのでそれが分からずに「窓を開けてくれ」と文句を言っていた。
 昔は、タバコの害がそれほど知られていなかったので、タバコの煙が子供に与える害などお構い無しにタバコを吸う親がいた。赤ん坊の目の前でタバコの煙を燻らせているような光景も普通にあったのだろうと思う。
 私も、仕事場の人間の影響もあり、10数年前まではタバコを少し吸っていたが、今では完全な禁煙家&嫌煙家になった。タバコの煙は気になるし、喫煙家の臭いも気になる。

■「喫煙行為」は「自傷行為」に通じる

 なぜ、タバコを吸って肺がん(と言うより病気)になる人とならない人がいるのか? この疑問に対して、私は自分なりの仮説(持論)を持っている。

 まず、タバコを吸わない人が1番にあげる吸わない理由は、「健康に悪い」からだろう。中には「お金が勿体ないから」とか「体臭が臭くなるから」というような理由もあるだろうが、1番の理由は「身体に害になる」からだと思う。
 しかし、喫煙者は「身体に害になる」ことが解っていながら、「身体に害になる」ことを自らの意思で率先して行っている。これは、つまり「自傷行為」であるわけだ。お酒で言うなら、身体を壊すことが目的の「やけ酒」みたいなものとも言える。

 健康な人は大抵「健康になりたい」という目的を持って、健康的な生活を心掛けている。しかし、タバコを吸っている人は、端から「健康になりたい」という目的を捨ててしまっているとも言える。

■「プラシーボ効果」と「ノシーボ効果」

 医学の世界には、プラシーボ効果ノシーボ効果というものがあり、偽薬を飲んで病気が治ることもあれば、本物の薬を飲んで病気になる場合もある。
 偽物の薬でも「病気が治る」と信じて飲めば、病気が治る場合がある。これはオカルト系の摩訶不思議な話ではなくて、多くの医学的実験で実証されていることでもある。

 逆に、ノシーボ効果とは、本物の薬であっても「これは毒だ」「これは副作用がある」と思って飲めば本当に病気になったり、病気が重篤化したり副作用が出たりする効果のことを意味している。タバコの場合は、本物の薬でも偽薬でもなく、本物の毒だというところが重要だ。喫煙家の多くは「これは身体に悪い」と思って何十年間もタバコ吸い続けているわけだから、ノシーボ効果が更に強まって病を発症しやすくなる。逆に「身体に悪い」とは思わず(知らず)に吸っている人は、病気に成りにくいのかもしれない。

 もし、この仮説が成り立つならば、例えば、タバコの危険性を知らずに「タバコを吸うと気分が落ち着くなあ」と思っている人(A)が、「タバコの煙を吸えば肺がんになる」と信じて疑わない人(B)の横で、長年、タバコを吸っていた場合、前者(A)は健康なままなのに、後者(B)が肺がんを患うという皮肉なことが起こりえるということだ。

 あくまでも私の仮説(持論)なので、信用しろと言うつもりはないし、信用できない人がいても、それはそれで仕方がないと思う。「病気になる、ならないは個人の体質の違いだ」と言われれば、それもその通りで、全員に上記の仮説が適用できるわけでもない。しかし、「身体に悪い」ことが解っていながら、その「身体に悪い」ものを自らの身体の中に入れているわけだから、その行為を否定されても仕方がないと思う。

 いずれにしても、「身体に悪い」と思ってタバコを吸っている人には、なるべく早く禁煙することをオススメする。

 
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自動車輸入関税は25%に向かうか?

■「25%」という心理トリック

 トランプ政権が自国アメリカへの輸入車に25%もの関税を課す可能性があることが不安視され、その影響を受けてか、日本の株式市場も冴えない展開が続いている。

 現在2.5%の自動車輸入関税がいきなり10倍の25%にまで跳ね上がれば、確かに輸出企業にとっては大打撃になる可能性がある。しかし、おそらくこの問題は、現実的に考えれば、十中八九、杞憂に終わるのではないかと思われる。
 トランプ氏の10倍思考というのは有名な話であり、ギャラでも10倍の値段を吹っかけることによって、本来の値段以上の実利を手にしてきたのがトランプ氏の手法だ。

 例えば、「2.5%の自動車輸入関税を5%にする」と言えば、いきなり関税が2倍に上がるわけだから、皆、一様に「2倍も上げるなんて酷い」と思うだろう。しかし、「2.5%の自動車輸入関税を25%にする」などと言えば、皆、揃って絶句する。
 その後、「やっぱり5%で手を打とう」となると、皆、こぞって喜ぶだろう。「5%で助かった…」と。

 元々、「5%は無茶だ」と思っているような人が、なぜか「5%で助かった…」と安堵の息を漏らす。まさにトランプ流ビジネスにおける真骨頂…否、単なる数字トリックだ。人々の錯覚を上手く利用し、不可能を可能にする心理トリックとも言える。

 しかし、こんな単純な心理トリックにコロッと引っ掛かるのが、悲しいかな、多くの日本人の残念な特徴でもある。

■新相場格言「落ちてくるナイフは1度につかむな」

 「25%」という非現実的な言葉に踊らされて、現実に株を投げ売りして大損する人がいる一方で、その隙に乗じて株を安値でコツコツ拾っている人がいる。まさに対称的な光景だ。
 株式市場の低迷時における毎度のいつか観た光景とも言えるが、どちらが投資家に向いているかは考えるまでもないだろう。

 株式相場の格言に「落ちてくるナイフはつかむな」というものがある。要するに「株は底値を見極めてから買うべき」ということを意味しているが、底値なんて誰にも分からない。
 無論、落ちてくるナイフ選びが重要であることは言うまでもないが、落ちてくる無数のナイフを一度に掴もうとするから怪我をする。余裕を持って落ちてくるナイフを1本づつ掴むことができれば、危険度は大きく低下していく。ゆえに正確に言うなら、次のようになる。

 「落ちてくるナイフは1度につかむな

 なお、毎度のことながら、株式投資は自己責任でお願いします。


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新幹線に「持ち物検査」は必要か?

■もし普通列車で事件が発生していれば?

 6月9日に東海道新幹線のぞみ265号で殺人事件が発生した。どこか、10年前の秋葉原通り魔事件を彷彿とさせる殺傷事件だったが、事件の発生した日付が奇しくも秋葉原事件(6月8日)と近かったということで別の意味でも話題になっていた。

 しかし、マスコミ界隈では、案の定、「持ち物検査が必要」というような話が飛び交っているが、これには疑問を呈さざるを得ない。
 今回の事件は、たまたま新幹線内で起こったというだけのことであり、もし、普通の電車内で起こった場合は、どうするつもりなのだろうか?
 その場合、全国の電車に全て「持ち物検査」を導入するべきと言うのだろうか? 特急列車で起これば、特急列車で「持ち物検査」、地下鉄で起これば、地下鉄で「持ち物検査」、普通列車で起これば、普通列車で「持ち物検査」ということになるのだろうか?

 常識的に考えて、普通の電車なら必要なくて、新幹線は必要というような理屈は通らない。

■神出鬼没な「通り魔」に対症療法は無意味

 秋葉原事件の際も、犯人が逮捕された後でも、秋葉原で厳重警戒態勢が敷かれていたが、10年経った現在では何も行われていない。これは当たり前の話で、「通り魔」というものは神出鬼没であり、時と場所を変えて、何度も何度も出現する。いつどこで通り魔殺人が起こるかは誰にも予測できない。そういう意味では、地震とよく似ている。

 「秋葉原の街」や「新幹線の中」に通り魔が出現する可能性が必ずしも高いわけではないので、結局、このての「持ち物検査必要論」は後付けの結果論でしかない。このような対症療法を繰り返していると、終いには全国津々浦々で「持ち物検査」だらけになってしまう。

 「持ち物検査」に全く効果が無いとは言えないが、国民の不安心理を煽り、警察の仕事を増やし、民間業を圧迫する結果しか生まないだろうことは火を見るよりも明らかだ。

 痴呆症の老人が交通事故を起こせば、全国の老人ドライバーが全頭検査の如く痴呆症のチェックをされる。それでも、老人の交通事故は無くならないので、効果の割りに膨大な無駄が発生しているだろうことは誰にでも想像が付くと思う。
 新幹線の「持ち物検査」も同じようなもので、たった1人の通り魔のために、何の関係もない人々が全頭検査の如く「持ち物検査」をされる。しかし、それでも通り魔事件は無くならない。

 「通り魔撲滅」は良いことだが、地震と同様、いつどこで発生するか分からない通り魔事件を人為的に食い止めることは不可能だという厳しい現実を受け入れた上での現実的な対処法を考えるべきだ。
 秋葉原事件の時は殺傷武器となった「ナイフ」が悪者扱いされていたが、今回の事件も同様、悪いのは「通り魔」であって「新幹線」ではないという当たり前の現実を直視するべきだ。

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「モリカケ騒動」で生まれた真の「疑惑」

■「いじめ」を見て見ぬふりをする教育委員会

 2年前(2016年10月)に神戸市の市立中学校3年生の女子生徒が自殺した事件があった。その後、同学校の同級生から聞き取ったとされるいじめの証拠を示すメモが作成されていたが、市教育委員会がそのメモを隠蔽していたという事実が今頃になって判明した。
 同教育委員会の人間が、同学校の校長にも「メモは存在しないもの(=いじめは無かった)」と口裏を合わすことを要求していたという。

 これだけ、いじめの増加が社会問題になっていても、相変わらず、教育委員会の事勿れ主義は全く変わっていないようだ。人前では「いじめは悪いことだ」と講釈を垂れながら、いじめを無くすことに邁進するのではなく、いじめを隠すことに躍起になるという、教育者(人)としてあるまじき行為を為しても恬として恥じる様子がない。こんな無責任な教育者が管理する学校に子供をあずける親はたまったものではないだろう。

■「いじめ問題」をスルーする政治家達

 「モリカケ問題」で騒いでいる政治家も、疑惑の段階で止まっているような案件よりも、はっきりと隠蔽していたことが明らかになった「いじめ問題」を追及した方が国民からの評価も上がり支持率も上がると思われるのだが、なぜ、そういう当たり前のことをやろうとしないのだろうか? なぜ、「いじめ問題を隠蔽していた人物を証人喚問しろ!」と言わないのだろうか? 「いじめを隠蔽した人間は責任をとって辞任しろ!」と、なぜ言わないのだろうか?
 
 はっきり言って、まともな国民の関心事は「モリカケ問題」よりも「いじめ問題」の方だろうと思う。「モリカケ問題」がどうなろうと多くの国民の生活には全く関係がないが、「いじめ問題」は国民の生活と直結した無関心ではいられない問題だ。「いじめ」を無くすことを願っている国民は数多いが、「モリカケ」の解決を願っている国民など、実質的にはほとんどいないだろうと思う。そんな小さな問題はどうでもよいというのが一般国民の率直な感想だろう。

■「モリカケ問題」<「いじめ問題」

 野党5党も、安倍総理を批判することが目的なら「モリカケがどうのこうの」と言うよりも「いじめ問題を放置するな」と言えばいい。
 そう言えば、与党も重たい腰を上げて、いじめ問題に取り組まざるを得なくなり一挙両得だ。
 本当に社会を良くしたいという気持ちから、安倍政治を批判しているのであれば、「モリカケ問題」から「いじめ問題」に乗り換えればいい。そうすれば、与党・野党問わず政治家全体の評価も上がり、少しはまともな社会になるはずだ。

 そんな当たり前のことができない社会(政治)にこそ、多くの国民はうんざりしている。
 多くの国民はモリカケ問題の「疑惑」よりも、「この国の政治家には本当に国を良くしようという気持ちが有るのだろうか?」という「疑惑」を抱いているのである。その「疑惑」の払拭なくして、支持率の上昇は有り得ないということに気付かなければならない。

【追記】2018.6.09
(BLOGOS転載記事のコメントに対する返答になります)

>そもそも論として、イジメ問題を政治で解決できると思ってるのがバカ。

 いじめ問題を政治の力で完全に無くすことはできないでしょうけれど、世間のいじめに対する空気を変えることは可能です。いじめを行った加害者やいじめを隠した教育者が世間から糾弾されるという空気を創り出すことができれば、いじめは今よりも減少するはずです。

>論点違うよ。スルーしてんのは教師。
なんでスルーしてるかっていうとやること多すぎて忙しいってのと、厳しく叱ると「体罰だ」なんだ言われるし、モンペもうるさいから。

 本記事で問題としているのは教師ではなく教育委員会です。体罰の認識問題のズレも、行き過ぎたポリコレが根本的な原因であり、事勿れ主義の政治にも問題があります。

>なんにでも安倍さんが写ってるんだな。
 もう病気ですよ。

 それは、安倍総理の失脚しか目に入っていない人のことです。

>「いじめ問題を隠蔽していた人物を証人喚問しろ!」→これ、意味分かる?

 字義通り、証人喚問せよという意味で書いているわけではありません。それぐらいの気概を持って欲しいという意味でのアイロニー(皮肉)です。

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「悪魔の証明ごっこ」に明け暮れる国会

■「悪魔の証明」の起源

 「悪魔の証明」という言葉は、一般的には中世におけるローマ法の解釈について説明されることが多い。しかし、さらに歴史を遡ると、実は聖書から派生した言葉だということが分かる。
 荒野で40日間続いたとされる「荒野の誘惑」は世界的にも有名な話だが、その試練の期間に悪魔がイエスに吹っかけたとされる無理難題が「悪魔の証明」という言葉の元になっている。

 例えば、「お前が神の子なら、この崖から飛び降りて死なないことを証明してみろ」というような悪魔の誘惑があったとされているが、現代では、主として、「有る」ことを証明するのではなく、「無い」ことを証明せよという、およそ不可能に近い無理難題のことを「悪魔の証明」と呼ぶようになった。

 現代風に低俗な例で言うと、電車内で痴漢に間違われた男性が、「お前が痴漢行為をしていないなら、痴漢行為をしていないことを証明してみろ」と言われるようなものであり、24時間モニタリングでもされていない限り、そんなことは誰にも証明できない。

 「悪魔の証明」とは、無知な人間を翻弄させるための狡賢な「詭弁論法」のことであり、より具体的な言葉で言うなら「難癖」と言ってもよいかもしれない。

■「悪魔のダブル証明」と化している「モリカケ論争」

 安倍総理に対して、「モリカケとの関係が無いことを証明せよ」という無理難題を吹っかけ、それができないなら「モリカケとの関係が有ることを認めよ」=「辞任せよ」というモリカケ論争は、現代の「悪魔の証明」とも言われている。

 この「悪魔の証明」の厄介なところは、具体的な「モリカケとの関係」の有無だけでなく、「疑惑」の有無にまで拡大解釈されてしまっているところだ。「関係」の有無は証明できるかもしれないが、「疑惑」の有無などというものは証明のしようがない。「関係」が否定されても「疑惑」は残るという意味では「悪魔のダブル証明」だとも言える。
 これはまさに「悪魔の悪知恵」と呼ぶに相応しい程に狡猾な「詭弁論法」だ。ゆえに誰かが強権的にでも中止させない限り、永久にこのループから抜け出すことができない。その「誰か」とは、無論、健全な「民意」だ。

■悪魔の証明「なぜ、野党の支持率は上がらないのか?」

 正気を失い「悪魔の証明ごっこ」に明け暮れている人々の目を覚ますことができるのは、冷静な目で「悪魔の証明ごっこ」を観察している有権者しかいない。
 その有権者達が「もう、いいかげんにしろ!」と一喝して、目を覚まさせるしかない。実際にそういう人は大勢いるのだが、一向に民意が影響力を持たないように見えるのは、正しい民意を伝えるべきマスコミまでもが「悪魔の証明ごっこ」に入り込んでいる(当事者になっている)ためだろうと思う。

 最近になって、内閣支持率が少し上がったことが話題になっている。内閣支持率というものにどれだけの信憑性があるのかは定かではないが、仮に内閣支持率が信頼に足るものだと考えた場合、この現象は、株価で言うところの「下げ止まり」「底打ち」を意味するものであり、ようやく民意が動き始めたことを意味しているのかもしれない。
 同じ条件下で、一向に上がらない野党5党の支持率に対して与党の支持率が上がっているのであれば、その部分については信憑性が有ると言える。
 
 「毒を持って毒を制す」ことができるなら「悪魔の証明を持って悪魔の証明を制す」ことも可能だろう。野党5党には、「なぜ、与党の内閣支持率が下がらないのか?」ではなく、「なぜ、野党の支持率は上がらないのか?」を証明していただきたいと思う。これぞ、まさに「悪魔の証明」(無理難題)だ。

【追記】2018.6.02
(BLOGOS転載記事のコメントに対する返答になります)

>内閣支持率の不支持が支持を上回っている事実を忘れている。

 ということは支持率が50%以上ないと与党にはなれないという理屈ですね。それなら、現在の野党5党が与党になれる可能性はほぼ0ということになります。

>潔白を主張するなら何故、文書改竄したり虚偽答弁したり安倍昭恵や加計孝太郎の国会招致を拒否するのでしょうか?

 現状、文書改竄や虚偽答弁は官僚が勝手にしたことだと判明しています。政治家に責任を取れと言っても、政治家は官僚の保護者ではありません。日本の場合、実質的には政治家よりも官僚の方が立場が上なので、子供に親の保護者になれと言っているようなものです。

>このアクロバティック擁護で官邸からいくら金を貰ってるのか気になりますね。

 Facebookの方でもそんなことを書いている人がいましたが、0円です。誰からも1銭ももらっていません。

>総理はモリカケと関係ありますよ。それを「ない」と言うからおかしな事になるわけで、最初から「関係はあるが、それは違法ではない」と言えばよかったんです。

 「違法ではない」と言っても「関係はある」と言った時点で、今よりも騒ぎが大きくなっていたと思いますが。

>世間一般の常識では、自らに不当な嫌疑がかけられた場合、「真相究明に協力的な態度」を採るのか「真相究明に非協力的な態度」をとるのかで、その人物の評価を下します。

 記事中の例えで言うなら、痴漢に間違われた人が、なぜ「真相究明に協力的な態度」をとる必要があるのか理解できません。仮に「真相究明に非協力的な態度」に見えたからといって、本物の痴漢だとは限りません。あなたの言っていることは、確たる証拠が出てきた場合の話です。確たる証拠が無いなら、ただの詭弁にしか成り得ません。

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