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大阪「プリズン・ブレイク」報道の違和感

■大阪府の年間ひったくり件数は600件以上

 大阪府富田林警察署の留置場から樋田容疑者が逃走してから既に半月が経過した。大阪府警は異例の3000人体制で樋田容疑者の行方を追っているが、依然として行方は全く掴めておらず、確たる証拠も全く出ていない状況となっている。

 8月12日の脱走後、近隣の市で何件かのひったくり事件が発生しているが、それらも未だ容疑の段階であって、指紋等の証拠が出たわけでもない。特に、8月13日に羽曳野市で発生したひったくり事件で、盗まれた女性のカバンが西淀川区で発見されたというのは、普通に考えても違和感を感じる。
 西淀川区は大阪市の北西部に位置し、兵庫県の尼崎市に近い。羽曳野市から西淀川区まではかなりの距離(20数km)がある。報道では、その後、松原市や大阪市南部(東住吉区・平野区・生野区)で数件のひったくり事件が有ったと伝えられていたので、同一犯であれば、わざわざ西淀川区から南下して戻ってきたことになる。
 当初、大阪府警は大阪市内では検問を敷いていなかったそうなので、有り得ない話ではないとはいえ、樋田容疑者が、大阪市内で検問が行われていないことを事前に知っていたとは考えられないので、これはおそらく、別人の犯行ではないかと推察する。もし西淀川区の方が本人なら、大阪市南部のひったくりは別人だろう。

 大阪府で昨年発生したひったくり件数は、646件となっているので、大体、1日に2件程度のひったくり事件が発生していることになる。となると、樋田容疑者が脱走してからの2週間で30件程度のひったくり事件が発生しているはずであり、黒いバイクに乗っていたからといって、それが樋田容疑者の犯行と断定するのはあまりにも早計だと言える。もっとも、あえて冤罪として発表することによって、「俺はやっていない!」と自首してくることを計算に入れてのあぶり出しなら話は別だが。

■猛獣扱いになっている樋田容疑者

 ところで、夏休みが終わり2学期を迎えた大阪府のいくつかの小学校では、警察官による児童の見守りが行われていると伝えられていた。こういうニュースを聞くとそのまま聞き流してしまいそうだが、正直、これにも違和感を感じてしまった。

 逃走中の凶悪犯が小学生に悪さをする可能性があるとのことで見守りが行われているのだと思われるが、その心配は限りなく0に近いと思える。脱走したのが猛獣(クマ、ライオン、イノシシ、アライグマ)ということなら頷けもするが、相手は、なるべく人前に姿を現したくない面の割れた脱走犯である。そんな人間が、白昼堂々と小学生に危害を加えるとは考えにくい。もしそんな犯行が見つかれば、自ら居場所を知らせるようなものであり墓穴を掘ることになってしまう。

 樋田容疑者の心境からすれば、現状は空気のように身を潜めることが最優先事項であるはずなので、登下校中の小学生に堂々と接触するようなことはまず無いだろう。金銭や食料目当てにひったくりの標的にされる可能性はあるが、小学生が持ち歩いている金額などたかが知れているので、普通に考えても有り得ないと思う。

 ということで、小学校の警備は小学校の教師や父兄に任せて、警察は限られた捜査員を有効活用するためにも、もっと容疑者逮捕に繋がりそうな場所を重点的に捜査することに専念した方がよいのではないかと思う。
 そもそも、夏休み中の小学校内は容疑者が身を隠すにはもってこいの場所でもあったので、既に捜査が済んでいるはずである。もし、小学校内の捜査が行われていなかったのだとすれば、それこそ大問題だ。

 現在のように大阪で発生した事件の全てに樋田容疑者が関わっているかのような曖昧な憶測報道は、みすみす別のひったくり事件の犯人を見逃がすことにも繋がりかねないので、もっと慎重に正確な情報を提供していただきたいと思う。

【追記】2018.8.29
(BLOGOS転載記事のコメントに対する返答になります)

>完全な平和ボケ
勝手に犯人像を作り上げ
危険ではないと判断する
金以外の目的で危害を加える可能性は充分にある
リスクマネジメントのできない
アホ

 勝手に犯人像を作り上げているのは、あなたの方だと思いますが。
 可能性があるからといって、大阪(日本)の全ての小学校に警官を派遣すれば、本来の捜査ができなくなってしまいます。
 わずかな可能性のために、本来やらなければならないことを後回しにして被害が拡大する。そういった可能性が有ることを考えて行動するのがリスクマネージメントです。わずかな可能性のために最善策を放棄することをリスクマネージメントとは言いません。

>金がないなら
身代金目的の誘拐なんかやりかねんとは
想定できんのかね?

 身代金目的の誘拐? 脱走後、そんな計画性があったなら端からひったくり事件など起こしていないでしょう。素性の割れた逃走犯が劇場型の誘拐事件を起こす意味があるとは思えないので、そんな無理筋の想定ならできません。

>逃走中に子供を人質に取るかもしれないし、無一文なんだから子供のお小遣いやおやつ程度でも欲しいだろ。
それに性犯罪者なんだから、服役中に抑圧された性欲をどこかで発散させようとする危険性は常にあるでしょう。

 逃走後にひったくり事件を数件起こして数万円手に入れたということになっているので無一文ではないでしょう。
 伝えられているところでは、樋田容疑者は幼児性愛者ではありませんから、小学生を狙うというのは考え過ぎだと思います。
 現在の彼の心境では、「犯罪を犯す」ことよりも「逃走する」ことが優先されているという当たり前のことを書いたまでです。

>今時の小学生がどれだけお金を持ってるか。子供の事何も知らない人なんですね。今は昭和じゃないんだよ。

 小学生の全員が全員、何万円も学校で持ち歩いているわけではないでしょう。どうやって、それを見分けるんでしょうか?  そもそも昭和から平成になったからといって、小学生が大金を持ち歩くようになったというのは初耳ですが。

>警察の大失態なのだから、市民の安全を最優先するのは当然の配慮。
万が一があってから、予測と違う行動をしましたので、、、ではすまされない。

 警察の大失態だからこそ、国民の機嫌を取るためだけの無駄な行動は慎むべきということです。「万が一」などと言い出すとキリがありません。その「万が一」のために、湯水の如く税金の無駄遣いをしていいわけではありません。

>普通に憶測すると
「警察もグルでわざと逃した」
だと思う。

 大した想像力ですが、その根拠は何でしょうか? 根拠が語れないなら、ただの陰謀論です。

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携帯電話利用料金「4割減」の経済学

■消費増税の代償が「携帯利用料金値下げ」なのか?

 菅官房長官が札幌市内の講演において、次のような発言をされたらしい。

 「携帯電話の利用料は今よりも4割程度下げる余地がある

 この発言により、携帯電話大手キャリア3社(楽天も含めれば4社)の株価が一時的に急落した。
 逆に多くの消費者はスマホ利用料金が安くなると思い大喜びしているようだ。

 MVNOを利用しているライトユーザーには、毎月1000円程度の基本料金が4割下がってもあまり有り難みもないと思われるが、大手キャリアのスマホを使用しているヘビーユーザーにとっては4割は魅力的に映るのかもしれない。

 ところで、この発言が来年の消費増税を見越したもので、消費者の不満のガス抜き政策との噂も飛び交っている。真相のほどは定かではないが、確かに考えられなくもない。
 しかし、携帯利用料金が安くなるのは良いとしても、政府の政策(失策)の補填(尻拭い)をなぜ民間企業が肩代わりしなければならないのかは疑問ではある。

■政府の尻拭いをしているネット証券

 もし本当に政府が消費増税の尻拭いを考えているのであれば、携帯利用料金以前に他の税金を引き下げることを考えていただきたいものだ。
 例えば、株式売買における譲渡益課税を現行の20%から10%に引き下げるとかした方が国民の納得度も高いと思う。

 今から15年程前のネット証券の売買手数料は、10万円以下の株式で片道700円位だったと記憶している。その当時は、株式の譲渡益課税が10%だったので、仮に1万円の利益が出た時点で売却した場合、手取り額は以下のようになっていた。

 10,000円−1,000円(税)−1,400円(手数料)=7,600円

 現在はネット証券の企業努力(安値競争)によって、10万円以下の株式の売買手数料が100円以下になっている。この場合、1万円の利益が出た時点での売買コストを計算してみると手取り額は以下のようになる。
(注)復興特別税は計算に入れていない。

 10,000円−2,000円(税)−200円(手数料)=7,800円

 この計算で判ることは、政府の増税分を民間企業が肩代わりしたことによって、トータルコストが下がり手取り額が増加しているということだ。
 普通に考えると、期間限定で10%にしていた譲渡益課税を20%に戻せば株式市場が低迷するはずだが、民間企業の企業努力(安値競争)によってその低迷が避けられたことを意味している。

■携帯利用料金が下がれば、税収も減少する

 消費税が2%アップされるということは、毎月5万円を消費する人なら1000円程度の出費増となる(出費が増えるというよりも1000円分の消費ができなくなるという意味)。しかし、携帯利用料金が4割も下がれば、2000円以上の出費減となるので、プラスになる人が多くなる。(日本のスマホ月額平均料金は6342円)

 しかし、個人の消費活動のかなりのウエイトを占めていると思われる携帯利用料金が大きく下がるということは、政府の税収も下がるということなので、税収増加を目的とした消費税を上げる意味が大きく薄れてしまうことになる。
 携帯利用料金を下げるとか、一部の商品に軽減税率を適用するというような中途半端で複雑な増税策なら、いっそのこと、消費増税を中止した方がスッキリするような気もする。政府はトランプ大統領を見習って、減税路線に切り替えるべきだと思う。


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「民主」という曖昧過ぎる言葉

■「民主」という言葉が意味しているもの

 「民主」という言葉を聞いて、真っ先に思い浮かぶのは「民主主義」という言葉だと思われるが、世の中に出回っている「民主」という言葉には、首を傾げたくなるようなものが多い。

 例えば、「朝鮮民主主義人民共和国」などは、その最たるもので、どう見ても民主主義とは思えない国が「民主」を名乗っている。ついでに言えば、「共和国」というのも、明らかに間違っている。
 「共和国」というのは、「君主がいない国」という意味であり、「君主」とは「世襲により国家を統治する人」という意味になる。そう考えると、何から何までが出鱈目ということになってしまう。
 北朝鮮の国名を実態(実体)に即して言うなら、「朝鮮社会主義独裁君主国」ということになると思う。

 北朝鮮の国名1つからも判る通り、戦後、「民主主義」という言葉は、「社会主義」という意味合いで使用されてきたとも考えられる。報道されるところの「民主主義」という言葉は、実は「社会主義」を意味していることが多々あると思われるので、注意しなければいけない。

■「他党の理解」と「国民の共感」は無関係

 さて、今回、自民党総裁選に出馬することが決定した石破氏の安倍総理批判の言葉の中にも「民主主義」という言葉が入っている。

>「(安倍総理は)ずいぶん9条に拘っているが、他党の理解と国民の共感を得てやるものは他にありはしないか。先にスケジュールありきで、民主主義の現場を理解していないとしか思えない。

 石破氏の言うところの「民主主義の現場」とは、一体なにを意味しているのかは分からないが、「先にスケジュールありきなら民主主義ではない」というのは言葉としては正しい。「計画経済」という言葉もある通り、「先にスケジュールありき」は社会主義である。

 「他党の理解」と「国民の共感」とあるが、憲法改正は憲法を変えることに反対の護憲政党には「理解」が得られるはずがないだろうし、憲法改正の意義を広く国民に周知させた上でなければ国民の「共感」など得られるはずがない。「先にスケジュールありき」で、憲法を変えることを邪魔しているかに見える護憲マスコミや護憲政党は民主主義の現場を理解していると言えるのだろうか?

 もし、改憲を行おうとする行為が、安倍総理個人のスタンドプレーであったなら、この言葉は正しい。しかし、自民党の党是は「自主憲法制定憲法改正」であるので、選挙によって選ばれた政党が「憲法改正」を目的とするのは別に不思議なことでもなく、むしろ当然の行為だと言える。

 逆に言うなら、選挙によって選ばれなかった政党が、「憲法改正」を否定すること自体が、国民の意思を無視していることになる。

 「他党の理解」と「国民の共感」というのは、それぞれ別々のものであり、ベクトル的にも同じ方向を向いたものとは言い切れないので、どちらも満たさなければならないということであれば辻褄が合わなくなる。
 「国民の共感」を得た政党が、「他党の理解」も得る必要が有るという理屈は矛盾しており、必ずしも両立しないことは、よく考えれば誰にでも解ると思う。
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QBハウスの「価格破壊」と「料金値上げ」

■カット料金1,200円はまだまだ安い

 2014年2月にそれまで1,000円だったカット料金を1,080円に値上げ(消費増税分を値上げ)したQBハウスが、今度(2019年2月から)は1,200円に値上げするらしい。
 値上げする理由は、カット専門店との競争激化や人材不足による人件費高騰のためとなっているが、おそらく来年の消費税増税も見越してのことなのだろう。

 消費者サイドからすれば、実質5年で2割も値上げになるわけだが、これまでが安過ぎたせいか、反対する人よりも肯定する人の方が多いようだ。無論、私も個人的には値上げには賛成だ。(理由は後述)
 私個人はQBハウスではなく、一般の理容店(3,600円)を利用しているので、1,200円でも、まだまだ安いと思う。

 QBハウスの影響で安価なカット専門店が増えたこともあり、一般の理容店に行くと利用客が激減している。そのため、待ち時間がほとんど無いというメリットがある(理容店にとってはデメリットだろうけれど…)。
 しかし、いくら安くても、1時間も2時間も待たなければならないということになると時間の無駄(=お金の無駄)になるので、休日しか休めない会社員は多少、お金がかかっても空いている理容店の方が有り難い。「床屋談義」という言葉もある通り、店主と世間話ができるのも一般の理容店ならではサービスとも言える。逆にそういった対人サービスは不要(うざい)という人や、平日でも休める人であればQBハウス等の方が向いているのかもしれない。

■価格破壊業者の「責任」とは?

 「価格破壊」という言葉があるが、良くも悪くもQBハウスも理容業界における価格破壊業者だったのだろうと思う。

 あまりにも料金が高止まりしているような業界に、価格破壊業者が参入すると、料金が適正価格まで下がる…と言うのが、市場における理想的な価格形成メカニズムとする向きもあるが、実際は、そう簡単には行かず、価格だけでなく市場まで破壊されるというリスクが有る。
 市場原理は絶対だとする原理主義者にこういうことを言っても、鼻で笑われるだけかもしれないが、気にせずに話を続けよう。

 例えば、赤字ギリギリまで料金を引き下げる価格破壊業者が市場に出現した場合、1円の利益を競っての消耗戦(所謂、レッド・オーシャン)となり、競争に付いていけなくなった企業は潰れてしまう。その後、その価格破壊業者までが利益が出ずに潰れてしまった場合、価格だけでなく市場までが破壊されたということになってしまう。散々、市場を荒らした挙げ句、無責任にも当の価格破壊業者までが潰れてしまった場合、結果的には価格破壊業者は「市場破壊業者」となってしまう。

 もっと具体的に言えば、牛丼一杯200円の価格破壊業者が現れ、その他の牛丼店が全て潰れてしまい、最後に残った価格破壊業者も“一杯200円”に拘り利益が出ずに潰れてしまった場合、まさしく牛丼市場を破壊したことになってしまう。

 だから、価格破壊業者には責任がある。価格を破壊する限りは、最後まで市場を破壊せずに消費者に対するサービスを継続しなければならない。そうでなければ、レッド・オーシャンに沈んでいった同業者、言い換えれば、無意味な薄利競争で潰れていった同業者が浮かばれなくなる。

 それゆえにこそ、下がり過ぎた料金は、素直に上げることが望ましい。“1カット1,000円”に拘るあまりに経営が成り立たなくなり潰れてしまっては、結果的に「市場破壊業者」となってしまい元も子も無くなってしまう。消費者に迷惑をかけないために、適正な料金に値上げすることもまた価格破壊業者の「責任」だと思う。
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『マルキシズムとは何か』を読んで

■新書1冊800円は高過ぎる?

 最近、書店に足を運び、新書コーナーに立ち寄る度に、「新書の値段が高過ぎるのではないか?」と思えてしまう。1冊800円(税抜)という価格設定が消費者の購買意欲を引き下げているのではないか?と思う時がある。これがワンコイン(500円)なら、もっと売れるのではないだろうか?と。

 実際は、本の価値なんて、あやふやなもので、本当に面白い本なら数千円出しても構わないし、全く面白くない本には100円も出したくない、それが消費者の本音だろうと思う。しかし、それはあくまでも読後の話であって、読む前にはその本にどれだけの価値が有るのか分からない。ゆえに、本を買うことが一種の賭けになってしまう。

 本の原価というものは、発行する部数によって大きく変わることはよく知られている。発行部数が大きくなればなるほど、原価は安くなっていく。売れることが分かっている人気漫画の『ワンピース』や『キングダム』などは、初版から大部数印刷できるので原価は大幅に下がり利益率も大幅にアップする。多くの本が売れなくても、一部のベストセラー本が出れば、それで潤うというのが、出版業界のビジネスモデルでもある。

 書店で販売されている新書の値段は200ページ程で700〜900円位が一般的だが、電子書籍でしか販売されていない本となると、ぐっと値段が下がる。電子書籍の場合、ページ数はマチマチで、中には数十ページという短い本もあるが、価格も比例して安くなる。
 私も昨年にKindleFire10を購入したので、たまに電子書籍を購入することがある。電子書籍としてしか販売されていない本に限られるが、まず初めに購入した本が現在、絶版になっている河合栄治郎氏の『マルキシズムとは何か』という本だった。

■戦前、全体主義と闘った思想家

 河合栄治郎(1891-1944)と言えば、知る人ぞ知る立志伝中の人物であり、戦前に左右の全体主義と闘った思想家としても有名な人物だ。最近は保守系の本でも度々、その名を見かける。例えば、『共産主義の誤謬』や『「リベラル」という病』にも河合栄治郎氏のことが紹介されていた。

 この『マルキシズムとは何か』は、僅か140ページの本ながら、実に興味深く面白い本だったので、既に何度か読み返している。戦前にこれだけのことが書ける人がいたとは驚きであり、53歳という若さで亡くなったことが悔やまれるほど惜しい人物だったと思えた。
 保守の重鎮だった渡部昇一氏が「河合栄治郎が長寿であったなら、
日本のインテリは、30年も早くマルキシズムの幻想から自由になっていたであろう」と述べていたことの意味が少しは解ったような気がした。

 ただ、河合氏は、左の全体主義者(=左翼)と右の全体主義者(=右翼)の双方を敵に回したため、その言論の一部が都合よく、左翼に利用されたり、右翼に利用されたりすることがあるらしいので、その辺は少し注意する必要がある。しかし本書は、河合氏本人が書かれた書物なので、脚色されている心配はなく、彼の素の意見が読める。

■マルクス主義の矛盾を一刀両断

 本書で、河合氏は「酔生夢死の徒※」という言葉を使用し、当時の東京帝大生(現在の東大生)の一部を思想的に分類されている。3000人の学生中、7割の学生が「酔生夢死の徒」であり、残った3割の内の1割が保守的学生であり、1割が進歩的傾向を持っている学生、そして残る1割がマルクス主義者だと述べている。要するに当時の東大生の1割(300人)がマルクス主義者だったということになる。しかし、その1割が全体の3000人を引っ張るだけの影響力を持っていたらしい。
 それというのも、当時は、学生を虜にするような思想が日本に無かったことが禍いして、優秀な学生がマルクス主義に惹かれることになったと書かれている。

※何等目的もなく、唯空々寂々にその日その日を送っている学生

 河合氏はマルクス主義の影響力は認めながらも、マルクス主義の矛盾については、哲学的な見地から論理的にバッサリと一刀両断されている。マルクスの誤りをここまで見事に論破した本も珍しい。特に、唯物論、唯物史観の反駁は白眉で痛快、深く納得させられた。
 戦後の著名な作家や評論家でも唯物史観にどっぷりと漬かったような人が多く見受けられるが、河合氏の聡明ぶりはそういった人々とは一線を画しており、まさに本物の知識人という印象を受けた。

 わずか180円でこれだけの知識を得られるというのも、紙の新書とは一線を画している。是非、多くの人に読んでいただきたいと思う。


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『働きたい時に働く改革』が始まった

■『働き方改革』よりも『働きたい時に働く改革』

 国会内で政治家達が『働き方改革』の内容について「あーだ」「こーだ」と揉めている最中、民間企業内では、本当の『働き方改革』が水面下で進行していたらしく、働く時間の自由を求めて、敢えて非正規雇用を選ぶ人が増えているらしい。

 昨今の人手不足で賃金も上昇しつつあり、厚生年金にも加入できる非正規雇用が出てきているため、月給をもらうためだけに無駄な労働時間に縛られるよりも、「働きたい時に働く」という合理的な労働スタイルに魅力を感じる人が増えてきたということなのかもしれない。

 「非正規を正規に!」と叫んでいる人々がいる一方で、自ら進んで非正規になっている人が大勢いる。なんとも皮肉な現象だが、自ら非正規を選んでいる人にとっては「非正規を正規に!」と言われても大きなお世話だろう。

 『働き方改革』は、イメージ的に「働きたい」よりも「働きたくない」という感情が優先されているような感じがする。そんな中、「働きたい」を重視した『働きたい時に働く改革』に注目が集まるのは時代の趨勢と言えるのかもしれない。
 単に「仕事(残業)はしたくない」ではなく、「無駄な仕事(残業)はしたくない」の方がより健全な思考だと言える。

■「同一労働同一賃金」はミッション・インポッシブル

 『働き方改革』が目標としている「長時間労働の是正」と「同一労働同一賃金の実現」は、より本質的に書けば以下のようになる。

「(無意味な)長時間労働の是正」
「(公平な)同一労働同一賃金の実現」

 この2つを実現するために必要なことは次の通り。

 ○8時間分の仕事を6時間でできる人には、

  →2時間早く終業できるようにする。
   (帰れないなら2時間分、給料を上げる)

 ●8時間分の仕事を10時間かかる人には、

  →2時間分の給料を減額する。
   (2時間分、残業する必要がなくなる)

 あくまでも限られた一例だが、これで、2人で16時間以上費やしていた労働時間を実質的に12時間(給料を考慮しての時間)まで圧縮できるので、長時間労働の是正に繋がり、同一労働同一賃金にも少しは近づく。無論、労働生産性もアップする。

 しかし、前者(○)を認めれば「不平等だ!」という批判が出て、後者(●)を認めれば「それはできない!」という批判が出る。「8時間分の仕事を6時間でできる人」には文句を言う理由がないので、どちらの批判も、ここで言うところの「8時間分の仕事を10時間かかる人」から出てくることになる。

■「平等」は「不自由」を齎し、「公平」は「自由」を齎す

 8時間分の仕事で10時間分の給料を貰うことは普通に考えても不自然だと思うのだが、なぜかこの国では、そういった当たり前の常識が通用しなくなっている。「同一賃金」ばかりに意識が向けられ、「同一労働」というものが考慮されていない(曲解されている)状態だとも言える。

 以前にも指摘したことだが、「同一労働同一賃金」というのは、その言葉の通り、「同じ労働は同じ賃金」ということ、つまり「能力給」のことを意味している。それにも拘らず、仕事を行う能力に関係なく同一賃金になるという幻想を追いかけているため、実現不可能になってしまう。

 政府の音頭に関係なく、「働く時間の自由」を求めて自ら非正規労働を選択する人が増加している背景には労働における価値観の変化がみてとれる。
 「平等」を追い求める「同一労働同一賃金」は不可能なので、「公平」な労働形態である非正規労働にシフトしていく人が増えているのかもしれない。

 先行きの見えない変化の激しい時代であるからこそ、正規・非正規間の収入・待遇にそれほどの開きがなくなれば、時間に縛られ過ぎる正規雇用よりも、時間に余裕の持てる非正規雇用を選ぶ人がいても何ら不思議なことではない。
 この現象は、“「平等」は「不自由」を齎し、「公平」は「自由」を齎す”という当たり前のことが認識されつつあることを物語っているのかもしれない。
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『「反日」という病』を読んで。

■裏返されていた2冊の本

 先日、行き着けのショッピングモールの書店に行き、政治・社会コーナーの書棚を覗いてみると、平積みされた2冊の本が裏返しになって置かれていた。何の本かと興味を抱き、手に取ってみると、以下の2冊の本だった。

 

 この2冊から推察するに、どんな人(人々)がこういうことをしたのかは大体の察しが付いてしまうが、私はこういう姑息な真似が嫌いなので、親切に表向けておいた。裏返した人(人々)からすれば営業妨害(?)と言われそうだが、こういうことをすると、余計に目立って印象が悪くなると思わないのだろうか?と疑問に思ってしまう。

■「善い日本人」と「悪い日本人」

 前置きは置いておいて、その日は同じコーナーに置かれていた『「反日」という病』(木佐芳男著)という本を購入した。


 
 本書は、戦時中、戦争を礼賛していたはずのメディアが、戦後、急速に左傾化(反日化)した原因を心理的に探った本であり、戦後のマインド・コントロールの実体を事細かに記しているのが印象的だった。
 キーワードとなるのは「善い日本人」と「悪い日本人」というもので、戦時中、戦争を煽ったメディアは、本来であれば「悪い日本人」にカテゴライズされるはずだったが、戦後、メディア自体が解体されなかったことによって、「善い日本人」の立場を演じることになった。
 戦後の「善い日本人」というのは、進歩的文化人のことであり、ガラパゴス化した平和主義者を意味した。

 逆に「悪い日本人」とは、どんな人々になるのかというと、「神仏や天皇制を含む伝統文化を重視し、ポリティカル・コレクトネスや共産主義、エセ平和主義などには本能的に大なり小なり抵抗を感じる人びと」(原文ママ)ということらしい。

 そうなると、私も「悪い日本人」ということになってしまうのかもしれない。と言うか、大抵の日本人は「悪い日本人」にカテゴライズされてしまうことになると思われる。

■「産経辺りが世界の標準」

 日本の主要活字メディアを右から順番に列記すれば、次のようになるらしい。

  産経新聞
  読売新聞
  時事通信
  日本経済新聞
  毎日新聞
  共同通信
  朝日新聞

 私も現在、産経新聞を購読しているが、特に右寄りという感じはしない。著者も「産経辺りかその少し左が世界の標準」と述べておられる。

 本書は先にも少し触れた通り、全体を通して精神分析(プロファイリング)論風に記述されている。前半部の事実としてのマインド・コントロール論は興味深かったが、後半の精神分析論は、半分仮説のような体裁を採っているので、個人的にはあまりピンとこなかった。

 本書は『“戦争責任”とは何か—清算されなかったドイツの過去』という本の姉妹編らしいので、機会があればそちらも読んでみたいと思う。
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「マイノリティ」と「民主主義」の関係性

■「マイノリティ」と「マジョリティ」分割の危険性

 杉田水脈氏の一件から、世間では「マイノリティ」という言葉が独り歩きをしているように見える。
 「マイノリティ(少数派)」と「マジョリティ(多数派)」のどちらが正しいのかと言えば、正解はどちらでもあり、どちらでもない。ところが、「マイノリティ」は差別されているから絶対的に正しいというような風潮の度が過ぎると、行き着く先は、民主主義の否定となる。

 民主主義が絶対的に正しい制度と言うわけではないが、基本的に民主主義は「マジョリティ」の原理に則した制度である。ところが、少数派の言うことは絶対的に正しく、多数派は少数派に一切の反論が許されないというような空気が社会に充満すると、行き着く先に待っているのは、当然、民主主義の破壊=独裁主義の誕生である。

 そういった社会的な危険性を考慮せずに、「差別」という言葉を安易に多用することは非常に危険だ。

■「言葉狩り社会」は「言論統制社会」

 アメリカで先行したとされる行き過ぎた「ポリティカル・コレクトネス」の猛威は、少数派の意見こそが絶対で、多数派は少数派に無条件に従わなければならないという窮屈な社会を作り出した。異論に一切耳を傾けないという傲慢なイデオロギーによって、皮肉なことに、まともな意見が言えなくなるという独裁国家のような社会が作り出された。アメリカには元来、人種差別というものが存在していたので、一度生まれた窮屈な言葉狩り社会からの脱皮はより難しいものになった。

 しかし、アメリカのリベラル勢力にとっては、これは実に都合の良い状態だった。民主主義下にある政党は、多数の人々から支持されることによって選ばれるが、少数派の意見が正しいとされる社会では、そういった制度が意味を為さなくなる。多くの人々に支持されずとも、「ポリティカル・コレクトネス」に則った意見ばかり述べていれば、誰もそれを否定しない。「差別」という言葉を盾に言葉狩りが横行し、正論が言えない社会になっていけば、そこに現出するのは姿形を変えた「言論統制社会」である。

 そのことに気が付いたトランプ氏は、正論を武器に行き過ぎた「ポリティカル・コレクトネス」に警鐘を鳴らした。息苦しい社会に嫌気が差していた多くの心ある国民は、トランプの本音に賭けた。それが、トランプ革命の始まりであり、人知れず社会主義化していたアメリカで多くの人々に支持された民主主義革命だった。

 「マイノリティ」という言葉が独り歩きした時に訪れるものは、「差別」を憎むべき人々が最も嫌うであろう「独裁主義社会」である。そんな社会の到来は誰も望んでいないのである。「差別」という言葉が生み出す危険性を知らねばならない。

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