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「マイノリティ」と「民主主義」の関係性

■「マイノリティ」と「マジョリティ」分割の危険性

 杉田水脈氏の一件から、世間では「マイノリティ」という言葉が独り歩きをしているように見える。
 「マイノリティ(少数派)」と「マジョリティ(多数派)」のどちらが正しいのかと言えば、正解はどちらでもあり、どちらでもない。ところが、「マイノリティ」は差別されているから絶対的に正しいというような風潮の度が過ぎると、行き着く先は、民主主義の否定となる。

 民主主義が絶対的に正しい制度と言うわけではないが、基本的に民主主義は「マジョリティ」の原理に則した制度である。ところが、少数派の言うことは絶対的に正しく、多数派は少数派に一切の反論が許されないというような空気が社会に充満すると、行き着く先に待っているのは、当然、民主主義の破壊=独裁主義の誕生である。

 そういった社会的な危険性を考慮せずに、「差別」という言葉を安易に多用することは非常に危険だ。

■「言葉狩り社会」は「言論統制社会」

 アメリカで先行したとされる行き過ぎた「ポリティカル・コレクトネス」の猛威は、少数派の意見こそが絶対で、多数派は少数派に無条件に従わなければならないという窮屈な社会を作り出した。異論に一切耳を傾けないという傲慢なイデオロギーによって、皮肉なことに、まともな意見が言えなくなるという独裁国家のような社会が作り出された。アメリカには元来、人種差別というものが存在していたので、一度生まれた窮屈な言葉狩り社会からの脱皮はより難しいものになった。

 しかし、アメリカのリベラル勢力にとっては、これは実に都合の良い状態だった。民主主義下にある政党は、多数の人々から支持されることによって選ばれるが、少数派の意見が正しいとされる社会では、そういった制度が意味を為さなくなる。多くの人々に支持されずとも、「ポリティカル・コレクトネス」に則った意見ばかり述べていれば、誰もそれを否定しない。「差別」という言葉を盾に言葉狩りが横行し、正論が言えない社会になっていけば、そこに現出するのは姿形を変えた「言論統制社会」である。

 そのことに気が付いたトランプ氏は、正論を武器に行き過ぎた「ポリティカル・コレクトネス」に警鐘を鳴らした。息苦しい社会に嫌気が差していた多くの心ある国民は、トランプの本音に賭けた。それが、トランプ革命の始まりであり、人知れず社会主義化していたアメリカで多くの人々に支持された民主主義革命だった。

 「マイノリティ」という言葉が独り歩きした時に訪れるものは、「差別」を憎むべき人々が最も嫌うであろう「独裁主義社会」である。そんな社会の到来は誰も望んでいないのである。「差別」という言葉が生み出す危険性を知らねばならない。

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