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「国家には国民の命を守る義務がある」のなら…

■「自己責任」論は一種のタブー

 某ジャーナリストの拘束・解放問題で、またぞろ「自己責任」という言葉が飛び交っている。
 専ら、「弱者」というものを題材とした「自己責任」論は、日本では一種のタブーとして煙たがられる傾向にある。
 なぜそうなるのかと言えば、「弱者」の線引きというものが極めて曖昧なものであり、これが「弱者」ですというような明確な基準がないため、如何様にも批判が可能な厄介な代物だからである。

 たとえ正論であったとしても、「弱者の自己責任」などと言おうものなら、世間から猛バッシングされる危険性があるため、大手メディアも「自己責任」論からは一歩引き下がって傍観する傾向にある。

 一口に「弱者」と言っても、世の中には「病人」や「貧者」、最近で言えば「LGB」者、等、いろんな弱者と思えし人達が存在している。「拘束された」ということも「弱者」にカテゴライズされるのかもしれないが、その誰もが「好きで弱者になったわけではない」という思いは抱いているものなので、反論しようのない正論(そんなものは存在しない)でない限り、「自己責任」論が公に受け入れられるのは難しい。

■「国民」=「ジャーナリスト」=「拉致被害者」

 某ジャーナリストに対しても、個人攻撃をしても埒があかないと思われるので、もっと視野を拡げて、国家としての「自己責任」論に結び付けることが望ましい。また、そうすることによって、問題の本質がよりクリアに見えるようになると思う。
 そこで、次の言葉から、国家としての「自己責任」論を考えてみよう。

 「国家には国民の命を守る義務がある

 今回の拘束・解放問題でも、左派から盛んに聞かれた言葉だが、これは間違いなく正しい。しかし、それならば、なぜ、北朝鮮の拉致問題に対しても同じように「国家には国民の命を守る義務がある」と言ってこなかったのだろうか?

 1個人のジャーナリストの拘束と、多くの無辜の民の拉致のどちらが重大な問題かと言えば、どう考えても後者の「無辜の民」の方である。なぜなら、そこには国家の義務を放棄するに足る「個人の自己責任」的要素が全く存在しないからである。
 彼らは「自己責任」で北朝鮮に旅行に行ったわけでもなく、取材のために「自己責任」で危険を冒して密入国したのでもない。無理矢理に誘拐された国民の命は「自己責任」以前の問題である。

■「国家には拉致被害者の命を守る義務がある」

 少し前に拉致被害者の会のインタビューで次のような言葉が聞かれた。

 「やっとこの時がきた

 おそらくは、「やっと拉致問題に真剣に取り組んでくれる日がきた」という意味だったのだろうと思われる。しかし、本来、この場合の主語は「日本」でなければおかしいのだが、実際のところは「アメリカ」になっていた。トランプ大統領が北朝鮮と話し合うということで出てきたのが「やっとこの時がきた」という言葉だった。
 
 (本来)「やっと日本が拉致問題に取り組んでくれる日がきた」

 (実際)「やっとアメリカが拉致問題に取り組んでくれる日がきた」

 なぜこんなことになるのかと言えば、日本には国家主権が無いからである。国としての軍隊を持てないという意味で、日本には国家としての主権の一部が無い状態になっている。
 だからこそ、拉致問題を解決するためには、憲法を変えて、軍隊を持てるようにする必要があるわけだが、なぜか「国家には国民の命を守る義務がある」と言っているような人達が中心となって、そのことを妨げてきた。これは大いなる矛盾である。

 「国家には国民の命を守る義務がある

 「国家にはジャーナリストの命を守る義務がある

 「国家には拉致被害者の命を守る義務がある

 これは、個人の「自己責任」というものを考慮しなければ、どれも同じことである。

 正義感から、1ジャーナリストを擁護するために「国家には国民の命を守る義務がある」と勇ましく宣うのであれば、拉致被害者問題についても、もっと前のめりになって意見していただきたいものだ。
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