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豆鉄砲を喰らってしまった韓国

■「日本人いじめ」を報告した日本

 最近は「徴用工問題」で世間を騒がせていた韓国が、今度は「レーダー照射問題」で世間を賑わせている。
 「慰安婦問題」にせよ「徴用工問題」にせよ、日韓の本当の歴史を少しでも齧ったことのある人なら、単なる「日本人いじめ」にしか見えないと思われるのだが、今回の「レーダー照射問題」では、ついに、いじめられっ子から反撃を喰らった格好となってしまった。反撃と言うより、いじめをチクられたと言った方が正解かもしれないが、いじめられたのであれば、先生(世界)に対して、はっきりと「いじめられました」と言うことが望ましい。そういう意味では、今回の安倍総理の判断は正しかったと思う。

 今回の「レーダー照射事件」は、かつての「尖閣漁船事件」を彷彿とさせる。当時は、与党だった民主党が中国漁船の衝突を映した証拠映像を非公開にして物議を醸したが、今回は与党である自民党が証拠映像の公開に踏み切った。この判断の違いは実に大きい。
 いじめが有ってもいじめを隠すことに躍起になる教師と、いじめが有れば、いじめが有ったと正直に報告する教師の違いとも言える。どちらが正しいかは言うまでもない。

■「日本人いじめ」政策は失敗する

 いじめというものを隠すことで、いじめっ子はさらに増長する。こんなことは、こどもでも理解できることであって、そんな卑屈な態度に徹してきたからこそ、今回のような事件も生じている。日本は何をしても反抗しないとナメられているからこそ、傍若無人な行いが罷り通ってきたのである。

 今回の問題に対して、「いじめが有ったことを公に発表すると、両者の間に対立感が増し、亀裂が生じる」などと言うのは事勿れ主義の偽善でしかなく、先頃、いじめを隠蔽していたことが明らかになった、どこかの教育委員会の姿勢と全く同じだと言える。

 おそらく、韓国(の文在寅大統領)も、今回の日本の反抗を観て、鳩が豆鉄砲を喰らったかのような顔をしたのではないかと想像する。その姿は、いじめられっ子が、いじめっ子の頬にビンタした時のようなものかもしれない。

 文在寅氏は、かつて、反日外交に舵を切り直したとされる盧武鉉政権で「盧武鉉の影法師」と呼ばれた人物であり、現在の反日の立役者のような人物でもある。
 その証拠に、彼が大統領になったことで、これまで以上に韓国は反日姿勢を強めている。

 フランスと同様、韓国経済が落ち目のため、「日本人いじめ」に活路を見出そうとしたかに見える文在寅政権、その政策は、大幅な最低賃金の引き上げ政策の失敗と同様、大きな失敗を招くことになるだろう。
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「既得権(取得した権利)」と「利権(利益を伴う権利)」

■「○○が日本を滅ぼす」

 社会関連の書籍において「日本を滅ぼす」というタイトルは定番中の定番であり、毎年のように発売されている。一例を挙げると、

 『憲法が日本を滅ぼす
 『裁判官が日本を滅ぼす
 『財務省が日本を滅ぼす
 『マスコミと官僚の小ウソが日本を滅ぼす
 『リベラルの中国認識が日本を滅ぼす

 以上はほんの一部だが、先日、新たに発売された『日本を亡ぼす岩盤規制』(上念 司著)という本を購入して読んでみた。

 本書のサブタイトルは「既得権益者の正体を暴く」というもので、そのタイトル通り、既得権益がらみの大御所がズラッと並んでいる。(以下参照)

 1、財務省
 2、農業
 3、放送・通信
 4、銀行
 5、NHK
 6、医療・病院
 7、保育園
 8、朝日新聞

 スーパーで牛乳は山積みで販売されているのに、なぜバターが品切れなのか? テレビのリモコンの1チャンネルボタンはなぜ「NHK総合」なのか? 等々、岩盤規制にまつわる一般人が知らされていない数々の不都合な真実的トリヴィアを知ることができる。詳細は本書に譲るとして、初めて知ったことも多く興味深く読むことができた。

 本書のあとがきにはこう書かれている。

 「いわゆる「新自由主義批判」の家元で、反グローバリズム運動の理論的支柱と言われるデヴィット・ハーヴェイ(イギリスの地理学者)は、政府が税金免除、補助金、参入障壁としての法規制などで特定の企業を儲けさせ、そこからバックマージンを受け取る構造こそが「新自由主義」だと定義している。この定義に従うなら、天下りや利権とセットになっている日本の岩盤規制こそが「新自由主義」の権化だ。
 ところが、日本で新自由主義を批判している一部勢力は、自由化よりもむしろ規制強化で新自由主義政策がなくなると吹聴している。本書をここまでお読みいただいた諸君なら、これが完全な誤解であり、皮肉にも彼らの主張はむしろ新自由主義を擁護、強化するものであることが分かるだろう。救いようのないバカである。」(原文ママ)

■あなたも私も既得権益者

 昔から言われているように、「規制」というものの背景には必ずと言っていいほど「既得権益」というものが存在するが、本書で述べられているのは、ただの「規制」ではなく「岩盤規制」というもので、その名の通り、岩のように固定された社会主義的な規制を意味している。
 「規制」と「既得権益」が密接な関係にあるなら、「岩盤規制」と密接な関係にあるものとは何だろうか。それは「利権」である。

 「既得権益」という言葉はよく耳にするが、なぜか日本では単純に“既得権益=悪”と思い込んでいる人が大勢いる。
 しかし、よくよく考えてみると、実はほとんど全ての人が既得権益者でもある。どんな職業に就いていようと、既得権益者でない人など、ほとんどいない。
 例えば、最先端技術を有したIT企業に勤めているような人であっても、更に新しい技術が開発されれば、直ぐさま既得権益など吹っ飛んでしまう。どれだけ有能な作家であろうと、芸術家であろうと、さらに能力の有る人物が出てくると、あっという間に立場は失われてしまう。学者であろうと、スポーツ選手であろうと、お笑い芸人であろうと、それは変わらない。

 世の中の誰もが「既得権益者」であり、いつ、その「既得権益」を奪われるかは分からない。そんな不安定な社会であるからこそ、誰も彼もが自らの「既得権益=(日々の生活)」を守ろうとする。それは言わば人間の本能のようなものでもあり、そういった感情を持つことは人間の生存本能として必ずしも否定されるべきものではないと思う。

 しかし、世の中には普通の「既得権益」を守るだけでは飽き足らず、個人の「既得権益」を超えた、もっと巨大な「利権」という温床を作り出す人々が存在している。本書で紹介されている「岩盤規制」を守る既得権益者とは、まさにそういった人々のことを指しているのだろうと思う。


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ますます『カエルの楽園』化する日本

■「ローラ」という架空のキャラクター

 ここ1週間ほど、モデルのローラ氏による沖縄の基地問題発言が話題となっており世間の注目を集めているが、ある方面では別の意味でも注目を浴びているようだ。先頃、『日本国紀』を発売しベストセラー街道を驀進中の作家、百田尚樹氏のベストセラー小説『カエルの楽園』の予言が当たってしまった…と。

 私も昨年に書いたブログ記事【『カエルの楽園』化している日本の政治】で『カエルの楽園』は現代の予言書的な意味合いを持った本と書いたことがあったが、残念なことに百田氏の予言は一部、思わぬ形で成就してしまい、日本はますます『カエルの楽園』化しつつあるようだ。

 『カエルの楽園』には、メインキャラの1人(1匹)として、「ローラ」という女性(メス)のカエルが登場する。ローラは「三戒」※というものを神聖視し、三戒さえ守っていれば平和は維持され戦争は絶対に起こらないと固く信じている純粋無垢なカエルだったが、その間違った信仰ゆえに、最期には悲劇に見舞われるという残念なキャラクターだった。そして、その悲劇すらも運命として受け入れるという衝撃的なラストが話題にもなった。

※「カエルを信じろ、カエルと争うな、争うための力を持つな」という教え

 現実のローラ氏が「三戒」のようなものを信じているかどうかは不明だが、時は米中情報戦争真っ只中、トランプ大統領の“覇権国家中国封じ”が失敗すれば、『カエルの楽園』の予言は本当に的中してしまう可能性が有る。

 そんな危険を孕んだデリケートな時代の到来を予告するかのように、数年前、奇しくもベストセラー作家の脳裏に浮かんだ「ローラ」という名前。百田氏曰く「何も考えずに付けたネーミング」とのことだが、その一瞬の閃きが、日本の行く末を暗示した天の啓示(インスピレーション)でなかったことを祈るしかなさそうだ。


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『下町ロケット』の次に観るべきドラマ

■2つの『下町ロケット』の比較

 TBS日曜劇場の国民的定番ドラマとなった池井戸 潤原作シリーズ。その最新作『下町ロケット(ゴースト/ヤタガラス)』の最終回が放送終了した…と言うか、どうやら本当の最終回は正月に持ち越されるらしい。
 3年前の『下町ロケット』と比べるとかなり視聴率が低下したとの噂だが、今回の『下町ロケット』は杉 良太郎が出演している影響もあるのか、『遠山の金さん』を彷彿とさせるようなシーンもあった。この辺は、民放ドラマらしく、大衆向けに脚色されているのかもしれない。

 元々、『下町ロケット』は2011年にWOWOWの連続ドラマWで製作されたテレビドラマだった(主演は三上博史)。それから2年後の2013年にTBSで放送されて人気を博したドラマ『半沢直樹』の影響で、2015年にリメイク放送されたのが、阿部 寛主演の『下町ロケット』だった。(ガウディ計画はTBSオリジナル)

 当時、TBS版を観て、原作は同じ『下町ロケット』でも、WOWOW版とTBS版では、随分とイメージが違うなと思った。
 2017年には、シーズン1はTBSで、シーズン2はWOWOWで分割放送された『犯罪症候群』というテレビドラマもあった。民放の放送枠ではいろんな制約があるため、少し際どいストーリーになると放送できないという縛りがあるのか、ソフトタッチなものは民放で、ハードタッチなものはWOWOWでという割り振りがなされたのかもしれない。

 WOWOWドラマが民放ドラマと大きく違うところは、原作を忠実に再現することに重きが置かれているところだと言える。そういう意味で、WOWOWドラマは既存のテレビドラマというよりも映画に近い趣きがある。

■自由度が増した有料テレビドラマ

 民放ドラマは無料で視聴者数が極めて多い(幅広い)ため、それだけクレームが発生するリスクも高くなる。スポンサー企業やクレーマー等、いろんな制約を受けてしまうため、どうしても万人受けする無難なドラマ作りに徹することになってしまう。例えば、歯の浮いたような台詞を言うシーンを設けたり、ウケを狙った過剰な脚色が為されたりと、目の肥えた視聴者には底意を見透かされそうな演出が鼻に付くことがある。

 しかし、WOWOWの場合は、スポンサー企業に気を遣う必要はない。気を遣わなければならないのは視聴料を支払ってくれる視聴者の方なので、いかにして視聴者に評価される面白いドラマを作るかに重点が置かれる。有料であることが幸いして、クレーマー対策等、あまり余計なことに気を遣わずにドラマを製作できるという自由度がなによりの強みだと言える。

 この辺は、最近の動画配信サービスにも言えることで、民放では観れないような刺激的なドラマも数多く製作されるようになった。民放と違って視聴年齢制限が設けられるので、当たり前と言えば当たり前だが、例えば、huluの『フジコ』(R18)や『代償』(R15)など。

 冒頭に述べた通り、『下町ロケット』は新春ドラマ特別編として正月にもエピローグ(?)的なドラマが放送されるそうだが、少し不完全燃焼を感じている人には、この年末年始にWOWOWドラマWで放送された以下のドラマを観ることをオススメしたい。

 『アキラとあきら』(原作:池井戸 潤、主演:向井 理、斎藤 工)

 『監査役 野崎修平』(主演:織田裕二)

 個人的には、どちらの作品も今回の『下町ロケット(ゴースト/ヤタガラス)』よりも面白かった。(あくまでも現時点での個人的な感想)


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「ファーウェイ事件」から考える「南京事件」

■オープン化しつつある新たな「諜報戦」

 もう随分前から「米中戦争は情報戦争になる」というようなことが囁かれていたが、現在の「ファーウェイ排除事件」を見るに至って、ようやく氷山の一角が海上に姿を現し、全世界がその異様な姿を視認しつつあるようだ。

 「情報戦」は「諜報戦」とも言われ、これまではスパイ映画の如く、クローズドな水面下で行われてきたものだった。昔から各国間でプロパガンダを伴った諜報戦が行われてきたが、現代では、もはや、誰の目も気にすることなく、開けっぴろげ(オープン)に諜報戦が行われるようになった。それが現代における新しい「情報戦争」の姿なのかもしれない。

 中国におけるプロパガンダと言えば、「南京大虐殺」が有名だ。残虐な日本兵が南京の人々を30万人殺害したというようなことが実しやかに語られてきた(最初に言い出したのは中国人ではなく日本人とされる)が、ネット社会になって情報がオープンになると、いたるサイトで「南京大虐殺は無かった」というような話を目にするようになった。

 では実際に「南京大虐殺」は有ったのか?というと、未だ、「南京大虐殺」が有ったことを証明できた人は誰もいない。逆に「南京大虐殺」が無かったことは悪魔の証明なのでできない。
 そういう事情から、結局、この問題も「有った」「無かった」の水掛け論争になってしまうので、ここでは、単に、その可能性について考えてみたいと思う。

■あまりにも非現実的な「南京大虐殺」

 「あなたは南京大虐殺が有ったと思いますか? それとも無かったと思いますか?」

 もし、アンケートで、こう問われれば、個人的には「無かったと思う」と答えると思う。

 頭をゼロクリアして、常識的に「南京大虐殺」というものを考えてみると、どうしても受け入れ難い疑問点が生じてしまう。順を追って、書いてみよう。

 まず、村上春樹氏の小説『騎士団長殺し』に書かれている40万人説というものがあるが、これはあくまでも小説(フィクション)なので度外視するとして、一般的な30万人説はどうだろうか。

 当時の南京には10〜20万人しか住んでいなかったといわれているので、30万人というのは物理的には考えられない数字ということになる。

 では、MAXの20万人ならどうか?ということだが、これも常識的に考えると疑わしいと言わざるを得ない。
 いかに戦時中のことだとはいえ、全市民殺害ということは「一族郎党皆殺し」ということになる。しかし、日本には昔からそういったことは好まない文化がある。

 例えば、日本の戦国時代における合戦でも、殺し合いをするのは基本的には戦の場にいる人間だけに限定されていた。敵を殺したからといって、その敵の家族まで全員皆殺しにするというようなことは行われてこなかった。
 そういった戦文化の根付いた日本人が、同胞ではないという理由だけで、戦闘員でもない無抵抗な一般市民を皆殺しにしたというのは、常識的には考えにくい。

 核ミサイルのようにスイッチ1つで数十万人を殺害するのと、刀や銃で1人1人殺していくというのは訳が違う。目の前にいる生きた人間を数十万人も殺していくというような残虐非道な真似が果たしてできるのだろうか?という素朴な疑問もある。
 それはまさに狂気の沙汰であり、いかに戦時中とはいえ、そこまで人間が残虐になれるとは思えない。
 山本七平氏も『私の中の日本軍』で指摘された通り、刀で人間を切れるのは、せいぜい2〜3人が限界で、それを超えると刃こぼれを起こし切れなくなるらしい。

 そう考えていくと、物理的にも文化的にも常識的にも、一般市民を皆殺しにしたというのは、やはり無理があると思う。

■「南京大虐殺」は「南京殺人事件」だった可能性

 では「南京大虐殺」は無かったのか?と言うと、「南京殺人事件」なら有ったかもしれない。戦時中なら、そういった事件の1つや2つは水面下で起こった可能性は否定できないので、小規模な殺人事件なら有った可能性は有る。しかし、その事件を起こした犯人は必ずしも日本人であるとは限らない。

 先に「一族郎党皆殺し」を日本人は好まないし、そういった文化も日本には無かったと書いたが、実は中国には有った。中国の戦国時代を描いた漫画等を読んでも分かる通り、中国には略奪の限りを尽くす「一族郎党皆殺し」という文化が実際に存在した。
 それゆえ、中国人から見れば「南京大虐殺」の話は現実味のある話になってしまうのだが、当の日本人には全く現実味が感じられないということになってしまう。

 文化が違うと言えば、中国や韓国では犬を食べるという犬食文化がある。しかし、日本では犬は食用の家畜ではなく飼い犬・愛玩犬(パートナー)という概念が根付いているので、犬を食べるなどと聞いても、全く現実味がない。

 そんな日本人に対して、「昔、日本人は犬を大量虐殺した」などと言っても、全く現実味が感じられないので、誰もが「嘘だ」と言って受け付けないと思う。しかし、中国や韓国で、「昔、犬を大量虐殺した」と言うと、現実味のある話になってしまう。

 その時代の生き証人でない限り「南京大虐殺」の有無を断言することはできないが、「南京事件」の可能性について、先入観を捨てて、素直な目で考えてみると、「にわかには信じられない」という結論に至ってしまう。

 話が横道に逸れ過ぎたので、元に戻して締めくくろう。

 「ファーウェイ排除事件」を見ても分かるように、現代の「諜報戦」はオープンになった。それは何を意味するのかというと、これまでのように誰もが真偽不明な情報に踊らされるのではなく、真実を知った人と真実を知らない人が存在することになり、その綱引きによって諜報戦の成否が問われる時代に突入したことを意味している。

 これからの時代は、表に出回る情報だけでなく、裏に隠された情報までもがオープンにされ、その情報の真偽が操作されていることが公然の事実として認知された上で、情報の真偽が問われることになっていく。
 先述した「南京事件」の真偽も明らかにされる日は近付いたと言えるのかもしれない。
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グローバリズムは「公平」or「平等」?

 前回、と言うより、今朝書いたブログ記事では、いろんなコメントを頂いた。「グローバリズム」という言葉には、いろんな定義と解釈が有り得るので、反論や批判は覚悟していたものの、予想していた通りのコメントも散見された。
 BLOGOSのコメントに対する回答はブログの追記として書くことが多いのだが、今回は回答文が少し長くなったので、別記事としてアップしておきたいと思う。
 本記事がBLOGOSに転載していただけるかは判らないが、どちらにしても1つの記事として書いた方が人目に触れる機会は多いと思われるので、別記事として書かせていただくことにした。

 今回は、BLOGOSのYuzo Seo氏のコメントに対する意見を書いてみたいと思う。

>ここで「富豪」と呼ばれているのは、おそらくは、ビルゲイツのような、新しい産業を興した人のことでしょう。

 いや、少し違います。インターネット社会の立役者達がグローバル化を推し進めたのではなく、そのインターネット社会を利用してグローバル化を推し進めた人(グループ)のことです。

>一方、「中産階級」と呼ばれているのは、過去に成功した人たちで、そのやり方をずっと続けている人々の意味でしょうね。

 これも少し違います。正しくは、同じ能力を持って努力しているにも拘らず、グローバル化による逆差別によって、その能力が発揮できていない人々のことです。

>で、中産階級が没落したのは、彼らの富を富豪が召し上げて、発展途上国などに配ってしまったから、なのでしょうか?

 物価の異なる国々の労働者を、いきなり同一市場で競争させたことによって、結果的に中産階級が得るべき富を途上国に配ってしまったという意味です。

>そうではないでしょう。時代が変わっているにもかかわらず、過去に成功したやり方にしがみついているから没落したのではないですか?

 過去の成功にしがみついて愚痴をこぼすような人もいるでしょうけれど、ここで述べているのは、そういう話ではなくて、どんなに努力しようが埋めようのない格差(物価の差)のために割を食う労働者(先進国の労働者)がいるということです。
 なぜそんな労働者が生まれるのかというと、グローバリズムが公平ではなく平等に重きを置いたものだからです。置いたと言うよりも必然的にそう成らざるを得ないという意味ですが。

>中産階級であることは、権利でも何でもない。当人たちの努力によって維持しなければならないポジションなのですね。それをさぼってしまったら、没落するのは当たり前です。

 サボタージュによっての没落なら自業自得かもしれませんが、端から競争が成り立たない環境に放り込まれた先進国の労働者が没落することは当たり前とは言えません。

>不満を富豪にぶつけたところで、何一つ改善しない。
>真の解決策は、自らが富豪になる努力を、まずは始めることです。

 その通りなのですが、急激なグローバル化は、公平な社会ではなく平等な社会を齎すため、個人の能力や努力が無に帰すことになってしまう可能性が極めて高くなります。
 例えば、人件費が日本の10分の1※の中国の労働者と日本の労働者が競争したとしましょう。その場合、両者ともに同じ能力と同じ努力をしたとしても、仕事を受注するのは必ず中国の労働者になります。それが公平な社会と言えるのですか?ということです。

 公平な社会とは、正しい競争原理が機能してこそ成り立つものです。人件費が10分の1ということは、能力が10倍有ることとイコールです。そんな相手と競争することは競争原理以前の問題です。
 「人件費が高い国が悪い」と言う人がいるかもしれませんが、個人の労働者には何の責任もありません。たた単に先進国に生まれたというだけで逆差別される理由にはなりませんし、自己責任論も成り立ちません。100m走で90mものハンデを付けられて、まともな競争などできるはずがありません。

 ※中国の人件費は現在ではもう少し上がっていますが、ここでは話を解り易くするために、あえて10分の1としました。

 以下は私に対する直接の意見ではありませんが、私なりの考えを書いておきます。

>能力が違うなら、貧富の差が生じるのは致し方ないと思いませんか?
>同じ能力なのに、生まれた国が違うだけで貧富の差が生じる。
>後者の方がよほどアンフェアじゃないでしょうか?

 先述した通り、グローバル経済下では、人自体が同じ国に移動して、環境を揃えない限り、個人の能力や努力が正当に評価されません。先の例で言えば、日本にいたまま中国の人と競争すれば、能力が勝っていても人件費が高いという理由で貧富の差が発生することになります。急激なグローバル化は労働における公平(フェア)性を担保できないという意味で否定しているということをご理解ください。
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大富豪達のお節介から生まれた「グローバリズム」

■「グローバリズム」が齎した「中産階級の没落」

 20世紀末から世界の潮流として叫ばれた「グローバリズム」とは、平たく言えば、「世界の貧富の差を無くす」という思想だった。
 地球上には先進国と言われる比較的裕福な人々が暮らす国と、そうでない人々が暮らす国があり、その貧富の差を無くすことを善とする思想でもある。
 「貧富の差を無くす」と言えば、誰もが正しいものと思いがちで、その美辞麗句を否定することは殊の外、難しい。日本でも「格差は悪」とする思想が主流になっているので、グローバリズムは無条件に正しいものと思われがちだ。

 「グローバリズム」の発生時期は、インターネット社会の誕生と軌を一にしているが、その言葉が人工的に作られた思想であるなら、それを提唱した人物、またはグループがいたはずである。
 それが誰であるかは判らないまでも、その人物(グループ)が意図したことは容易に想像することができる。

 例えば、あなたが世界有数の大富豪だとすると、何不自由の無い生活を送る中で、ある日、こう考えるかもしれない。

 「世界の貧富の差を無くしたい

 一見すると、至極まともな発想と思うかもしれない。
 しかし、人工的に世界の貧富の差を無くすことが意味するものは、富者の富を貧者に分け与えるという考えに他ならない。
 働かずに生きていくことができる大富豪のような人々であれば、一生で使い切れない富の一部を分け与えることはさほど難しいことではないが、働くことで生計をたてている人々は、そうはいかない。

 先進国の富を途上国に分け与えるといっても、先進国の中にも貧富の差があるので、その全ての階層の人々から富を与える(富を奪う)ということになると大きな問題が生じることになってしまう。それが、現代で言うところの「中産階級の没落」である。

■「グローバリズム」の行き着く先は「ディストピア」

 一部の大富豪達の善意(偽善)によって、途上国の富は急速に増加したものの、先進国の富は急速に目減りすることに繋がった。それが、現代における「グローバリズム」の最大の問題点でもある。

 無論、世界経済が平準化することは望ましい。しかし、それは自然発生的にそうなっていくことが望ましいという意味であり、人工的に短時間で行うことを意味しない。

 人工的に格差の無い社会を創造するという意味で、「グローバリズム」とは共産主義と非常に酷似した思想だと言える。人工的な平等社会の構築を目指すことによってユートピアという名のディストピアを作り出すという意味では、まさしく共産主義そのものと言ってもよいかもしれない。

 ロシア革命からちょうど100年後にトランプ政権が誕生し、「グローバリズム」を否定する姿を観ていると、何か偶然とは思えない運命的なものを感じてしまう。
 「グローバリズム」を押し進める米国のリベラル勢力が、トランプ大統領を失脚させることに必死になっている姿を観ていると、その思想が透けて見えるかのようだ。

 例えば、全世界に1億人のフォロワーを持つ歌手のテイラー・スウィフト氏が民主党の支持を表明したことで、有権者登録が昨年よりも5万人も増加したというような報道が大々的に行われたが、実はその5万人の多くは、トランプ支持者だった。
 テイラー・スウィフトからトランプを守るために有権者登録を行った人の方が多かったという皮肉な現象が生じた。それは、選挙結果を見ても明らかだったが、リベラルメディアは、都合の悪いことは一切、報道しない。この辺はアメリカも日本も変わらない。

 現在、蒸し返されているトランプ大統領の「ロシア疑惑」も、日本で言うところの「モリカケ疑惑」のようなものなのだろうと思われる。
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「推定有罪劇場」の役者達

■いつまでも続く「推定有罪劇場」

 11月19日にカルロス・ゴーン氏が逮捕されてから2週間が経過しようとしているが、未だに日産ゴーン氏を巡る報道は一向に衰えを見せる様子がない。最近になって、様々な方面から「推定有罪」という言葉が出ているが、罪を認めるまで徹底的に叩くという報道姿勢は、まさしく「推定有罪劇場」というイメージが強く感じられ、海外からも批判が出ているらしい。曰く、「推定無罪という近代国家の原則が日本では通用しない」と。

 これはライブドア事件の時にも見られたことで、本人が無実を訴えているにも拘らず、逮捕されたというだけで既に犯罪者扱いとして徹底的に叩き、これでもかという具合に悪人のイメージを植え付ける。

 以前、検察や警察のあまりにも行き過ぎた密室での取り調べが問題となり、取り調べ室の可視化というものが為されたものの、衆人監視のマスコミ報道自体が、閉鎖された密室での取り調べの如くで、罪を認めるまで執拗にバッシングする姿勢を貫いているように見える。そんな風に見えるのは気のせいだろうか?

■「推定有罪論者」から「推定無罪論者」へ

 しかし、ゴーン氏の弁護人を務めているのが、元東京地検特捜部の大鶴基成氏というのは驚いた。大鶴氏と言えば、ライブドア事件で次のような言葉で名を馳せた人物でもある。

額に汗して働く人、リストラされ働けない人、違反すれば儲かると分かっていても法律を遵守している企業の人たちが憤慨するような事案を万難を排しても摘発したい

 その人物が、今度は弁護士の立場になって、ゴーン氏を擁護するというのだから、実に皮肉なもので、なにか因縁を感じてしまう。

 それにしても、モリカケ騒動で、さんざん推定有罪劇場で役者を演じていた人々が、今度の日産騒動では推定有罪を批判し推定無罪論者に転身しているというのも、実に皮肉なものだ。

 ダブルスタンダード(二重基準)とはよく言ったもので、二枚舌もここまでくると立派なものだが、彼らは結局のところ、始めから善悪を理解した上で台本通りに役を演じている役者なのかもしれない。
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