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「ファーウェイ事件」から考える「南京事件」

■オープン化しつつある新たな「諜報戦」

 もう随分前から「米中戦争は情報戦争になる」というようなことが囁かれていたが、現在の「ファーウェイ排除事件」を見るに至って、ようやく氷山の一角が海上に姿を現し、全世界がその異様な姿を視認しつつあるようだ。

 「情報戦」は「諜報戦」とも言われ、これまではスパイ映画の如く、クローズドな水面下で行われてきたものだった。昔から各国間でプロパガンダを伴った諜報戦が行われてきたが、現代では、もはや、誰の目も気にすることなく、開けっぴろげ(オープン)に諜報戦が行われるようになった。それが現代における新しい「情報戦争」の姿なのかもしれない。

 中国におけるプロパガンダと言えば、「南京大虐殺」が有名だ。残虐な日本兵が南京の人々を30万人殺害したというようなことが実しやかに語られてきた(最初に言い出したのは中国人ではなく日本人とされる)が、ネット社会になって情報がオープンになると、いたるサイトで「南京大虐殺は無かった」というような話を目にするようになった。

 では実際に「南京大虐殺」は有ったのか?というと、未だ、「南京大虐殺」が有ったことを証明できた人は誰もいない。逆に「南京大虐殺」が無かったことは悪魔の証明なのでできない。
 そういう事情から、結局、この問題も「有った」「無かった」の水掛け論争になってしまうので、ここでは、単に、その可能性について考えてみたいと思う。

■あまりにも非現実的な「南京大虐殺」

 「あなたは南京大虐殺が有ったと思いますか? それとも無かったと思いますか?」

 もし、アンケートで、こう問われれば、個人的には「無かったと思う」と答えると思う。

 頭をゼロクリアして、常識的に「南京大虐殺」というものを考えてみると、どうしても受け入れ難い疑問点が生じてしまう。順を追って、書いてみよう。

 まず、村上春樹氏の小説『騎士団長殺し』に書かれている40万人説というものがあるが、これはあくまでも小説(フィクション)なので度外視するとして、一般的な30万人説はどうだろうか。

 当時の南京には10〜20万人しか住んでいなかったといわれているので、30万人というのは物理的には考えられない数字ということになる。

 では、MAXの20万人ならどうか?ということだが、これも常識的に考えると疑わしいと言わざるを得ない。
 いかに戦時中のことだとはいえ、全市民殺害ということは「一族郎党皆殺し」ということになる。しかし、日本には昔からそういったことは好まない文化がある。

 例えば、日本の戦国時代における合戦でも、殺し合いをするのは基本的には戦の場にいる人間だけに限定されていた。敵を殺したからといって、その敵の家族まで全員皆殺しにするというようなことは行われてこなかった。
 そういった戦文化の根付いた日本人が、同胞ではないという理由だけで、戦闘員でもない無抵抗な一般市民を皆殺しにしたというのは、常識的には考えにくい。

 核ミサイルのようにスイッチ1つで数十万人を殺害するのと、刀や銃で1人1人殺していくというのは訳が違う。目の前にいる生きた人間を数十万人も殺していくというような残虐非道な真似が果たしてできるのだろうか?という素朴な疑問もある。
 それはまさに狂気の沙汰であり、いかに戦時中とはいえ、そこまで人間が残虐になれるとは思えない。
 山本七平氏も『私の中の日本軍』で指摘された通り、刀で人間を切れるのは、せいぜい2〜3人が限界で、それを超えると刃こぼれを起こし切れなくなるらしい。

 そう考えていくと、物理的にも文化的にも常識的にも、一般市民を皆殺しにしたというのは、やはり無理があると思う。

■「南京大虐殺」は「南京殺人事件」だった可能性

 では「南京大虐殺」は無かったのか?と言うと、「南京殺人事件」なら有ったかもしれない。戦時中なら、そういった事件の1つや2つは水面下で起こった可能性は否定できないので、小規模な殺人事件なら有った可能性は有る。しかし、その事件を起こした犯人は必ずしも日本人であるとは限らない。

 先に「一族郎党皆殺し」を日本人は好まないし、そういった文化も日本には無かったと書いたが、実は中国には有った。中国の戦国時代を描いた漫画等を読んでも分かる通り、中国には略奪の限りを尽くす「一族郎党皆殺し」という文化が実際に存在した。
 それゆえ、中国人から見れば「南京大虐殺」の話は現実味のある話になってしまうのだが、当の日本人には全く現実味が感じられないということになってしまう。

 文化が違うと言えば、中国や韓国では犬を食べるという犬食文化がある。しかし、日本では犬は食用の家畜ではなく飼い犬・愛玩犬(パートナー)という概念が根付いているので、犬を食べるなどと聞いても、全く現実味がない。

 そんな日本人に対して、「昔、日本人は犬を大量虐殺した」などと言っても、全く現実味が感じられないので、誰もが「嘘だ」と言って受け付けないと思う。しかし、中国や韓国で、「昔、犬を大量虐殺した」と言うと、現実味のある話になってしまう。

 その時代の生き証人でない限り「南京大虐殺」の有無を断言することはできないが、「南京事件」の可能性について、先入観を捨てて、素直な目で考えてみると、「にわかには信じられない」という結論に至ってしまう。

 話が横道に逸れ過ぎたので、元に戻して締めくくろう。

 「ファーウェイ排除事件」を見ても分かるように、現代の「諜報戦」はオープンになった。それは何を意味するのかというと、これまでのように誰もが真偽不明な情報に踊らされるのではなく、真実を知った人と真実を知らない人が存在することになり、その綱引きによって諜報戦の成否が問われる時代に突入したことを意味している。

 これからの時代は、表に出回る情報だけでなく、裏に隠された情報までもがオープンにされ、その情報の真偽が操作されていることが公然の事実として認知された上で、情報の真偽が問われることになっていく。
 先述した「南京事件」の真偽も明らかにされる日は近付いたと言えるのかもしれない。
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