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嘘が真実になる前の「大人の対応」

■賛否両論の「大人の対応」

 日本と韓国との間で起こった「レーダー照射事件」は、一向に解決に向かう気配が感じられず、いつまでも駄々をこねる韓国側に対して、ついに日本側は「大人の対応」として、韓国政府との協議を打ち切る発表を行った。

 これには賛否があるようで、「甘い」という声や、「これで良かった」という声も聞かれる。
 私自身も「甘い」と思う反面、「これで良かったのかもしれない」とも思っている。(理由は後述)

 以前のブログ記事で「日本」と「韓国」の関係を「いじめられっこ」と「いじめっこ」という表現を用いて書かせてもらった。
 その喩えで言うなら、「いじめられっこ」が「いじめっこ」に対して「大人の対応」をとるということは、「泣き寝入り」を意味し、事件の解決を放棄した単なる「事勿れ対応」にしかならない。そういう意味では「甘い」というのは正しい。

■「嘘も百回言えば真実になる」からの回避

 しかし、ここでもう1つ考えなければならないのは、ナチスのゲッペルスが言ったとされる次の言葉だ。

 「もしあなたが十分に大きな嘘を頻繁に繰り返せば、人々は最後にはその嘘を信じるだろう

 所謂、「嘘も百回言えば真実になる」という言葉の元になったとされる台詞だが、このままレーダー照射問題について日本側が韓国側を糾弾し続けたとしても、その度に嘘を付いて、はぐらかされる可能性が高い。
 相手(韓国)は罪を認める気が一切なく、嘘を言うことにも何の恥も感じていない。それは長年続き現在でも未だ行われている反日教育の為せる業かもしれないが、彼らが自らの過ちを認めて日本側に頭を下げるということは、政治的にも、およそ考えられないことでもある。そもそも謝罪することが美徳だとするような考えは、日本でしか通用しないからだ。

 他のアジア諸国において、自らの過ちを認めて謝罪するという行為は、敗北を意味する。それは反日教育は間違いだと認めることに繋がりかねないため、どんな嘘を繰り返してでも事実をねじ曲げようとしてくるだろう。既にその傾向は出ており、明らかに無理筋の言い訳を展開していることは子どもにでも感じられるはずだ。

 現在の韓国政府の姿を観ていると、嘘を言っても恬として恥じないところは中国(中共)と同じだと言える。
 このまま普通に協議を続けると、延々と嘘を繰り返し、「嘘も100回繰り返せば真実になる」という具合に、またまた日本が悪者にされてしまう可能性がある。

 嘘を100回繰り返されないため(=嘘が真実になる前)の「大人の対応」なら、応急処置としては仕方がないとも思う。しかし、それで完全に引き下がったのでは、「泣き寝入り」したことにしかならないため、別の策を講じる必要がある。
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2つの『空飛ぶタイヤ』の比較

■「映画版」に足りないもの

 WOWOWドラマの中でも屈指の…と言うよりも、個人的には最高の傑作と思う『空飛ぶタイヤ』の映画版のDVDが発売されたので比較するために観てみた。

 観終わった感想の方は、当初から予想していた通り「ドラマ版には敵わない」だった。もちろん、同じ原作を映像化しているのでストーリー的に面白いドラマであることに違いはないのだが、おそらく、WOWOWドラマ版よりも映画版の方が面白かったという人はほとんどいないと思う。

 その理由はどこにあるのかというと、結局のところ、映画版では「尺が足りない」ということに尽きると思う。
 いくらキャストを豪華にしても、映像にお金をかけても、1冊の長編小説を120分程度の映画枠で製作するのは難しい。2時間では小説本来の魅力を余すことなく伝えるという芸当はできないので、どうしても要所要所のダイジェスト版のような感じになってしまう。そのため、主人公の心情や内面の掘り下げが浅くなり、それに比例して視聴者の感情移入度も浅くなってしまう。

■長編小説を映像化する最適な手段

 たまに、映画を2本立に分割して映画化される長編小説もあるが、そんな真似は余程の大作しかできないだろうし、1つの物語を時期をズラして半分ずつ観るというのも感情移入度が低下してしまう。料金的にも2本で3600円もかかってしまうので、経済的にも足枷になって観客数も減少してしまうことになる。ハリウッドの『アベンジャーズ』シリーズでもない限り、2本立にして興行的に成功するのは至難の業だろう。
 DVD化されれば2本を同日に観ることができるが、映画ではそうはいかない。

 となると、長編小説の映像化は、テレビ放送として4〜5時間かけて描くのが最も最適な形式だと言える。それで成功したモデルが、まさにWOWOWのドラマWなのだろうと思う。

 先月にも『下町ロケット』に関するブログ記事を書かせてもらったが、民放ドラマではタブーが多過ぎて、少し骨太な小説となると、そのままストレートに映像化できないという縛りがある。『空飛ぶタイヤ』のような実在する自動車メーカーをモデルにしたようなスポンサー無視の骨太ドラマは、映画化するか、有料ドラマ化するしか映像化する手段が無い。
 その2つの手段を用いて製作された本ドラマを実際にそれぞれ観比べてみると、最終的に行き着く結論は、後者(有料ドラマ化)が最も適しているということがよく分かった。

 百聞は一見に如かず、まだどちらも観ていない人は、両方を観るとその違いがよく分かると思う。興味がある人は是非、観比べてみることをオススメしたい。
 
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「ゴーン・ショック」から「竹田ショック」へ

■「陰謀論だ」を疑うべき事態

 フランス司法当局が日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長に対して捜査を開始したことで話題になっている。タイミングから考えても偶然にしては出来過ぎ感があるため、「ゴーン氏逮捕の報復」だという説が飛び交っているようだ。

 「報復捜査」の真偽の程は不明だが、確かに十分に有り得るケースだと思える。
 こんなことを書くと、「陰謀論だ」と言う人が必ず出てくるのだが、それが妄想論か、本当の陰謀論かは、よくよく考えなければならない。
 世の中には、陰謀を隠すための陰謀論というものも有るので、真相を見抜くのはなかなか難しいのだが、直ぐさま鵜呑みにする行為も、頭から否定する行為も実は表裏一体の同じ行為だということも考える必要がある。

 ちなみに、竹田恒和会長については以前から贈賄疑惑が報じられていたので、捜査対象になっていたことは事実だ。ゆえに「やはり陰謀論だ」と言う人がいるかもしれない。しかし、捜査が再開されたタイミングがあまりにもゴーン氏逮捕とピッタリ符号し過ぎているので、フランス政府絡みの国策捜査を疑わざるを得ない状況とも言える。

■海外の経営者が恐れる国

 日本では労働者不足からの移民問題が取り沙汰されており、賛否が問われているが、ゴーン氏逮捕を海外から観ている人々は、ゴーン氏の罪の有無・多寡に関係なく、こう思っていることだろう。

 「日本は恐い国だ、こんな国では(経営者として)働けない。

 人を殺めたわけでもなく、人を傷付けたわけでもない経済犯罪容疑で、空調も無い狭い密室空間に閉じ込められ、反論は一切聞いてもらえず、ようやく仮釈放されても、まるで病院に入院していた重病人のように窶れた姿で出てくる。
 ホリエモンが仮釈放された時にもテレビにそんな光景が映っていたが、未だ疑惑の段階であるにも拘らず罪人のような扱いをされると、たとえ無実であっても罪を認めるまで解放されないのではないか?というようなイメージが浮かんでしまう。その感覚は中国や北朝鮮のような独裁国家を彷彿とさせ、同情心とともに恐怖感さえ感じさせるものがある。

 今後、日本には移民としての労働者は大勢来るかもしれないが、経営者として招かれても「働きたくない」と思われ、オファーを突き返されても仕方がないような気もする。

 『ゴーン・ショック!』(渡邉哲也著)という本には、「フランスはヨーロッパの中国」と書かれていた。
 そこまで揶揄されるフランス政府が実質上の経営を行っているルノー、そのルノーが日産を呑み込む動きを察した日産と日本政府(官僚)が国策捜査紛いの摘発を行ったというのが私の見立て(あくまでも推測)だが、あまりやり過ぎると逆に国益を損ねるのではないかとも思われる。

 しかし、今回の竹田恒和会長の再捜査によって、本当に以前に書いたブログ記事の通り、「日本政府 vs フランス政府」の構図になってしまったようだ。
 これ以上、事を複雑にしないためにも、いい加減に落としどころを探る必要があるのかもしれない。

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「レーダー照射問題」と「煽り運転問題」

■煽り運転事故を起こした大人げない韓国

 韓国レーダー照射事件は、想定の範囲内とはいえ、常識的には考えられない展開を迎えてしまったようだ。

 この問題は、少し前に話題になった自動車の煽り運転問題とよく似ている。前を走行していた自動車が嫌がらせの蛇行運転を繰り返し、後ろの自動車が停車したことによって、更にその後ろを走行していた自動車(トラック)が追突事故を起こし、死亡事故に発展してしまった。これも起こるべくして起こった想定の範囲内の交通事故ではあったが、常識的には考えられない事故でもあった。

 その常識とは何か?と言えば、先頭を走行していた運転手の“大人げない態度”であり、その非常識な行動によって、悲劇的な事故を招いてしまった。命に関わる交通事故が発生する可能性の有ることを事前に予想できたにも拘らず、それを避けることができなかった責任は、非常識な行動を取った者にある。

 今回のレーダー照射事件を煽り運転に喩えると、前を走行していた車の後部座席に乗っている人間が、意図的に太陽光を反射した手鏡を翳し、後ろの車を運転している人間に眩しい思いをさせたようなものかもしれない。

■ドライブレコーダー映像を編集する非常識な韓国

 専門的なことを抜きにして考えれば、レーダー照射行為は明らかに非常識な煽り運転行為に他ならない。その危険な煽り運転行為が後ろを走っていた車のドライブレコーダーに映っていたわけで、それを「危険な行為だから止めてくれ」と公表した日本には何の問題もない。
 一応お断りしておくと、ここで言うところの「危険」とは、交通事故が発生する危険ではなく、戦争の引き金になるという意味での危険である。

 しかし韓国側は、そのドライブレコーダーに映った証拠映像をあろうことか、編集し、あたかも映画やドラマの予告映像でも作るかのような感覚で音楽入りの演出まで加えて世間に公表してしまった。

 ここまでやることが大人げないと、1国家として社会的常識の有無が疑われるレベルであり、一般人が傍から観ても、幼稚な情報操作ごっこにしか見えず、もはや、北朝鮮と変わらないとも言える。

 政府は、危険な煽り運転行為を認めるような真似は、政治的にも人道的にも絶対に避けなければならない。
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ローラ氏「辺野古埋め立て反対発言」の行方

■ローラ氏にとっては「寝耳に水」

 タレントのローラ氏が辺野古埋め立て反対発言および署名活動を行ったことで、テレビCMのスポンサーからCMを降ろされる可能性があると話題になっている。

 このことで、またぞろ、意見が真っ二つに分かれており、スポンサー側を批判する人、ローラを批判する人、はたまた、スポンサーを擁護する人を批判する人、ローラを擁護する人を批判する人、と全く話が噛み合わないようだ。

 このような大騒ぎになることは、ローラ氏にしてみれば、おそらく寝耳に水の出来事なのだろうと思う。彼女にしてみれば、単に環境問題という意味での発言であり、美しい海辺の景観が損なわれるという意味合いで反対しているだけなのだろうと思う。彼女個人としては、政治的なイデオロギーは全く意識していないだろうことは容易に想像が付く。それは純粋に政治的に無知であるがゆえに招いてしまった悲劇だったと言えるのかもしれない。

■企業のイメージ戦略は「民主主義」が前提

 しかしながら、テレビCMのスポンサーは、タレントのイメージを買って、イメージに合うタレントをCMに起用している。化粧品のCMには顔の綺麗なタレントを、シャンプーのCMには髪の綺麗なタレントを、洗剤のCMには清潔なイメージのするタレントを、という具合に、たとえ、そのタレントが、その化粧品もシャンプーも洗剤も実際に使用していなくても(多分、使用していないと思う)、消費者に訴えかけるイメージを重要な要素としている。つまり、そこには企業のイメージ戦略が前提として有り、いかにして多くの消費者の心を掴むかが最大のテーマになる。

 となると、辺野古の埋め立てに賛成の人と、反対の人とでは、どちらが多数派を占めているか? それが、スポンサーにとって最も重要なファクターになる。
 民主主義の原則によって与党に君臨している自民党が進めている辺野古の埋め立てと、同じく民主主義の原則によって野党に甘んじている政党が反対している辺野古の埋め立てでは、どう考えても、多数派は前者であり、それも僅差ではなく、圧倒的な差が開いている。
 そんな状況で、スポンサー企業が少数派の意見を優先するようなイメージ戦略に切り替えることは、通常、有り得ない。

 本来、民主主義とは多数派の意見を尊重するという思想だったはずが、戦後、日本の民主主義は少数派の意見を尊重するものだと誤解されている。この辺はアメリカのリベラルも同様かもしれないが。

■ローラ氏が「靖国に参拝しよう」と言えば?

 では、逆にローラ氏が、「靖国に参拝しよう」と言い出し、署名活動を行った場合はどうなるだろうか?

 この場合もおそらくは、CMを降ろされる可能性が高くなるだろう。その場合は、左翼メディアによる嵐のような批判が予想されるという理由からであり、その巻き添えを防ぐというリスク回避が主たる理由になる。

 今回のローラ氏の言動は、本人が予想だにしなかった残念な結果(CM降板)を招くことになるかもしれないが、逆にメディアからは引っ張りだこになる可能性は有る。
 しかしながら、それも短期間で終わる可能性が高いと思える。なぜなら、先にも述べたように、今回の騒動はローラ氏の政治的なイデオロギーから派生した出来事ではなく、彼女の純粋さから偶発的に生まれてしまった出来事であるからだ。
 たとえ、メディアに出演し、辺野古埋め立て反対を語ってもらったところで、辺野古埋め立て反対派を利する結果には繋がらないだろうから、一時的な騒ぎだったということで落ち着くのではないかと思う。
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