医療

高血圧の基準値「130」は正しいか?

■年々、下がっていく高血圧の基準値

 現在、日本では高血圧の基準値が、上が140、下が90とされている。この数値が妥当な数値かどうかは扨措くとして、今年(2019年)の4月からは、基準値は据え置くらしいが、目標値をそれぞれ10引き下げて、上が130、下が80に改訂される可能性があるらしい。

 【現在の基準値】上140/下90

 【今後の目標値】上130/下80

 高血圧の基準値は、この30年間程で大きく低下した。

 1987年…上180/下100

 2000年…上140/下90

 2008年には上が130になったという説もあるが、いずれにしても、130になってしまえば、その差、なんと50。わずか30年間で高血圧の基準値(目標値)が1.4倍近くも下がることになってしまう。

■老化現象が無視されている血圧の基準値

 もし本当に130が正しい高血圧の基準値なのだとすれば、これまでの30年間は一体なんだったのか?という疑問が生じる。「これまでの30年間はハッキリとしたことが判らない時代でした」または「これまでの数値は全くの出鱈目でした」とでも言わなければ辻褄が合わなくなってしまう。

 昔から、高血圧の定義は、「年齢+90」と言われていた。

 40歳の人であれば、40+90=130

 50歳の人であれば、50+90=140

 60歳の人であれば、60+90=150

 70歳の人であれば、70+90=160

 こんな具合に、年齢によって高血圧の基準値は違うものというのが一般的な常識だった。実際に、血圧は年齢とともに上がっていくものなので、現在のように、成人であれば20代の人間も80代の人間も全く同じ基準値を適用しているというのは、人間の生理的な老化現象が全く考慮されていないことになる。

 これは身長や体重の差を考慮しないメタボ検診と同じようなものだと言える。以前、メタボ検診の基準値(85cm)は小型犬と大型犬の違いを考慮せずに腹囲を検査しているようなものだと指摘したことがあるが、血圧の基準値は、成犬と老犬の違いを考慮せずに検査しているようなものである。

■全国民の2人に1人が高血圧?

 人間は加齢とともに血液の流れが悪くなるので、血液を身体の隅々まで送り届けるために、生理現象として血圧が上がるようになっている。

 そう考えると、高齢者がある一定の水準まで血圧が上がるのは、むしろ健康である証拠でもある。その一定水準を超えて上がる分には対処が必要になってくるが、ほんの少し血圧が上がる程度なら、肉体の防御システムが機能していると考えるべきだろう。

 これは、風邪のウイルスが身体に侵入すれば、肉体の免疫システムが機能して体温が上がる(熱が出る)のと同じようなものとも言える。

 高血圧の基準値が140から130に引き下げられることで、高血圧と診断される人は現在の4000万人(これでも多過ぎる)から、実に6000万人以上に拡大されるらしい。本当にそんなことになると、全国民の2人に1人が高血圧患者として病人扱いになってしまう。

 医者が足りないと言われている時代に、無闇に高血圧の基準値を引き下げて、病人の数を増やす意味があるとは思えない。国民の半数を“病人”にカテコライズしてしまう基準値が本当に正しい基準値と言えるのかは甚だ疑問である。
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「インフルエンザ集団感染」で判明したこと

■インフルエンザワクチンは有効なのか?

 今週、長野県松本市の病院でインフルエンザの集団感染が発生し、老齢の入院患者が2人死亡したというニュースがあった。毎年、インフルエンザで死亡する高齢者はいるが、今回のニュースで特筆すべきは、入院患者だけでなく、病院の職員が30数人もインフルエンザに感染しているところだろうか。しかも、その職員達はインフルエンザワクチンを摂取していたと伝えられている。

 ここで疑問となるのは、インフルエンザワクチンは有効なのか?ということだが、ほとんどのインフルエンザウイルスには無効というのが実際のところらしい。たまに流行しているウイルスの型とピッタリと合った時だけ有効ということはよく知られている。
 ウイルスというのは毎年、進化(変異)を繰り返しており、次の年に流行するウイルスをピッタリ当てるというような芸当は誰にもできないため、ほとんど無効というのが実情らしい。そもそも流行する型が判ったとしても、そんな型通りのワクチンを作れるのかどうかも疑問だが。

■根拠のない思い込みには注意が必要

 毎年、ワクチンを摂取していてもインフルエンザに罹ってしまう人がいることは周知の事実で、実際、私の知人も病院に勤めているが、ワクチンを摂取していてもインフルエンザに罹っていたことがある。しかもかなり重い症状だったという。

 私自身は10年程前まではワクチンを摂取していたが、この10年来、ワクチンは摂取していない。この10年間で1度だけインフルエンザに感染(家族のインフルエンザが伝染った)したことがあるが、処方された薬(タミフル)もリスクを考慮して飲んでいない。

 インフルエンザウイルスに対する抵抗力(免疫力)が低い乳幼児や高齢者でなければ、大抵のインフルエンザは風邪と同じように薬は飲まなくても寝ていれば治ると言われている。
 薬が全く無効というわけではないが、乳幼児や高齢者であれば、抵抗力の問題で逆に薬自体の副作用リスクも高くなる。インフルエンザで死亡する人もいれば、薬の副作用で死亡する人もいるので、この辺は悩ましい問題でもあるが、抵抗力と症状の重篤性をみて臨機応変に対処する必要がある。

 「ワクチンを摂取すれば安心」「薬を飲めば安心」と思い込むことはプラシーボ効果的には良い面があっても、医学的には必ずしも安全ではないという現実も併せて考えなければいけない。

■インフルエンザの判定法

 ところで、インフルエンザに罹ったかどうかは病院に行って調べなければ判らないので、病院に行かざるを得ず、それが原因でインフルエンザに罹ってしまった(病院で伝染った)という人が大勢いるかもしれない。

 これは確かに難しい問題だが、インフルエンザ経験者としてアドバイスさせていただくと、普通の風邪とインフルエンザでは症状に1つ大きな違いがある。それは、味覚が無くなってしまうこと。

 風邪をひくと食欲が無くなることがあるが、インフルエンザに罹ると食欲ではなく味覚が無くなる。苦く感じると言った方が近いかもしれないが、インフルエンザを発症してしばらくすると体内の亜鉛が欠乏してしまうため、何を食べても味が分からなくなってしまう。
 どんなインフルエンザにも適用できるかどうかは分からないが、インフルエンザかどうかを判別する1つの指標にはなると思うので参考までに。
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「胃がんの原因の95%はピロリ菌」の勘違い

■「95%」という言葉を鵜呑みにしてはいけない

 いつの頃からか、「胃がんの原因の95%はピロリ菌」(99%という意見もある)という言葉が独り歩きを始め、現在では、その言葉を本気で信じている人が存在するようになった。
 正しくは「胃がん発症者の95%はピロリ菌保持者」なのだが、この言葉がいつの間にか「胃がんの原因の95%はピロリ菌」となってしまったようだ。
 しかし、どちらにしても「95%」などという数字を安易に使用するのは考えものだと思う。この「95%」という言葉は非常に紛らわしく、悪意は無いとしても真実を隠しているという意味では、トリッキーな言葉とも言える。そのトリックは、よく考えれば誰にでも解けるはずなのだが、専門家や有名人の言うことはいつも正しいと信じて疑わない人は、その間違いに気が付かないのかもしれない。そういう意味では、非常に罪深い言葉だとも言える。

 今回は、この「95%」という数字の意味をシンプルに考えてみようと思う。

 まず始めに認識しておかなければいけないことは、現代の日本人の35%はピロリ菌に感染しており、50歳以上の高齢者に至っては50%近くがピロリ菌持ちだとされていることだ。しかし、多くの人はピロリ菌の除去もせずに健康に過ごしている。
 ここまで高い確率だと「感染」と言うよりも、人間と共存している「常在菌」に近いと言えるのかもしれないが、ここではそのことには敢えて触れない。

■「胃がん発症者の50%はピロリ菌保持者」と聞けば?

 胃がんを発症する人もまた、大部分は50歳以上だと思われるので、もし、胃がんを発症した人の胃を全員検査すれば、必然的に50%はピロリ菌がいることになる。

 もし、「胃がん発症者の50%はピロリ菌保持者」と聞けば、あなたはどう思うだろうか?

 多くの人は「高い確率だな…」と思うだろう。

 しかし、元々、ピロリ菌持ちが50%もいるのだから、デフォルト値は50%であり、これは検査するまでもなく決定している数字である。

 デフォルト値が50%なので、95%という数字は確かに低くない数字であり、ピロリ菌と胃がんの因果関係が有ることは否定できない。しかし、「胃がんの原因の95%はピロリ菌」というのは端から胃がんの原因はピロリ菌のみという前提で組み立てられており誤解を招く恐れがある。

 2015年度の胃がんの罹患数は98万人(死亡数は37万人)となっている。年齢別の詳細は分からないので、凡その判断しかできないが、高齢者が多いことを考慮すれば、50万人以上は元々、ピロリ菌を持っている。重要なのは、その50万人のうちにピロリ菌が原因で胃がんになった人が何%いるのか?ということだが、これが全く無視されている(と言うより判らない)。参考までに書いておくと、「ピロリ菌が原因の胃がんは20%未満」と言っている専門家もいる。

 罹患数98万人の95%がピロリ菌保持者なのであれば、98万人×0.95=93.1万人となるので、93万人はピロリ菌持ちだったことになる。しかし、そのうちの50万人以上は元々ピロリ菌持ちだということを考慮すれば、「胃がんの原因の95%はピロリ菌」というのは乱暴な意見と言わざるを得ない。

【関連記事】「ピロリ菌除去」におけるリスクを考える

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「ピロリ菌除去」におけるリスクを考える

■ピロリ菌除去の副作用

 ホリエモンが2016年3月に開始した『「ピ」プロジェクト』なるものが再び脚光を浴びているようなので、少し思うところを書いておきたいと思う。
 先月、書店の医療本コーナーを覗いてみると、たまたま堀江氏の『むだ死にしない技術』という本を見かけたので、興味を抱き少しだけパラパラと立ち読みしてみた。(残念ながら購入には至らなかった)
 その本には、よく知られている「ピロリ菌」についてのことも書かれてあったので、また近い内に話題になりそうだなと思っていたのだが、案の定といったところだろうか。

 昨年に読んだ別の本にも書かれてあったことだが、本書でも「胃がんの99%はピロリ菌が原因」と書かれてあった。
 しかしながら、ピロリ菌が関係しているのは胃の表面にできる胃炎、胃潰瘍、胃がん等であり、スキルス胃がんとの因果関係は未だハッキリと判っていないらしい。胃というのは精神的なストレスと密接に関係している臓器なので、感覚的には、ストレスによる影響が全く無関係だとは思えないのだが。

 ピロリ菌の存在が胃に悪い影響を与えることは、ずいぶんと前から囁かれていたことだが、実はもう1つ、あまり知られていないことがある。それは、ピロリ菌を除去すると胃腸環境が急激に変化するため、副作用として逆流性食道炎を発症する可能性が高くなるというもの。
 私も昔、井戸水を飲んだことがあるので、多分、ピロリ菌には感染していると思うが、副作用があるがゆえにピロリ菌検査も除去も敢えて受けていない。どんな治療にも副作用というものがあるという点は知っておいた方が良いと思う。

■「予防医療」と「予防生活」

 「医学の父」として知られるヒポクラテスは「人間は生まれながらにして100人の名医を持つ」という名言を残している。人間は生まれながらに現代医学でも解らないことを知る最高の名医を身体の内に宿している。その名医のまたの名を「自己治癒力」と言う。

 「予防医療」というのも確かに大事な視点かもしれないが、もっと大事なことは、極力、医療にかかる必要のない生活を心がけることだと思う。言わば「予防生活」だ。
 「予防医療」と「予防生活」の違いは、他者に依存しているか、依存していないかの差だとも言えるだろうか。先のヒポクラテスの言葉で言うところの「100人の名医」とは、「予防生活」の中でこそ活躍してくれる医者のことでもある。

 健康診断や人間ドックというものは基本的に、「病気になった結果」を調べるためのものであり、「病気の原因」を調べるものではない。しかし、最も重要なことは、結果が生じる前の段階で、原因となるものを追求することであり、病気予防になる健康的な生活を意識し実践することだと思う。
 例えば、血液検査で少し異常な数値が出れば、その数値が出た原因は何なのか?ということを自分なりに追求し、生活習慣を改める。それが「予防生活」の基本だが、「予防医療」というのは、言葉の定義から考えても、予め病気になる原因が判っているものを、医療行為によって事前に取り除くという意味合いになる。当然、そこにはなんらかの副作用のリスクが付いてまわる。

 肺がんを例に挙げれば、ヘビースモーカーの人が肺がん検診を受診することが重要なのではなく、肺がんにならないように、健康に悪いとされるタバコを極力吸わないように努めること。それが、健康な生活をおくるために必要なことであって、病気になる原因を改めずに、検査ばかりしていたのでは、本末転倒というものだろう。
 ちなみに、タバコを吸ったからといって必ずしも肺がんになるわけではなく、タバコを吸わないからといって必ず肺がんにならないわけでもないが、タバコを吸えば、血流が悪くなることだけは間違いのない事実なので、どう考えても健康に良いとは言えない。「血流が悪くなること」=「万病の原因」ということは誰もが認めているところなので、その部分を改めずに検診の結果だけに意識が向くというのでは可笑しいと思う。

 少し前に話題になった鳥越俊太郎氏の「がん検診100%」のように、「ピロリ菌除去100%」を強制的に行うというようなことは控えていただきたい。知識を伝えて啓蒙することは良いことだと思うが、人の命に関わるようなことは、あくまでも個人の意思を尊重していただきたいと思う。

【追記】2016.10.23
(BLOGOS転載記事のコメントに対する返答になります)

>そういう素人考えが一番良くないと思うのですが。副作用が嫌だから治療しないなどと言っていたら、どんな治療もできなくなりますよ。

 副作用が嫌と言うより、単純なトレードオフの問題と言った方が近いと思います。
 現在、全くの健康体であるのに、なぜ副作用のリスクを背負ってまでピロリ菌を除去する必要があるのか?ということです。
 本来、ピロリ菌の除去は、胃散過多等による胃炎や胃潰瘍を患っている人が、その苦しみを緩和するために行っていた治療です。ピロリ菌を除去することによる副作用を考慮しても、胃の症状を治したいという人のための治療ということです。

 ピロリ菌が胃がんの直接的原因になっているというよりは、慢性的な胃炎や胃潰瘍を患っている人の胃にピロリ菌がいることで、その症状が悪化するため、それが胃がんに進行する可能性があるということだと思います。記事にも書きましたが、その証拠にスキルス胃がんとピロリ菌の因果関係は証明されていません。

>勇気のない男だな。大丈夫、ガンの告知じゃないんだから。ガンの可能性は少しでも減らしておくべきでしょう。

 ピロリ菌の除去は、あくまでも胃がんのリスクを下げるだけであり、その他のがんになるリスクまで下がるわけではありません。ピロリ菌を除去することで胃がんになる可能性は減少しても、食道がんになる可能性は逆に増加することになります。そんなリスクが現実に有るわけですから、勇気が有る無いの問題ではありません。リスクを背負うか背負わないかを決めるのは個人の自由です。私は誰にもピロリ菌除去を受けるなとは言っていません。受けるか受けないかを決めるのは、個人の自由だからです。もちろん、その選択には責任が伴います。だからこそ、リスクが有ることを知ってもらうために勇気を出して記事を書いたのです。

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労災認定ニュースで考える「バリウム検査」

■「年間20ミリシーベルト」という閾(しきい)値

 前回、健康診断のバリウム検査の被曝量(レントゲンとの比較)についての記事を書いてみたが、具体的な被曝量については言及しなかった。しかし、先週、ちょうど参考になるニュース(原発作業員の労災認定ニュース)が報じられたので、備忘録も兼ねて少しまとめておきたいと思う。

 まず、先週、労災認定ニュースで伝えられた福島原発作業員の被曝量だが、報道されているところによれば、年間19.8ミリシーベルトということになっている。
 現在、日本で普通の生活を行うことで受ける自然被曝量(内部被曝量+外部被曝量)は1.5〜3ミリシーベルト(日本人の平均は2ミリシーベルト程度)と言われているので、単純計算で言うと一般人の10倍程度の被曝量だったということになる。「原発作業の被曝量19.8mSv」と「自然被曝量2mSv」を足した場合でも22ミリシーベルトなので同じことが言える。

 ICRP(国際放射線防護委員会)で定められている一般人の年間被曝許容線量は1ミリシーベルトであり、原発作業員の年間被曝許容線量は20ミリシーベルト(5年間の平均が20ミリシーベルトという意味)になっている。
 自然被曝だけで2ミリシーベルトもあるのに、1ミリシーベルトが限界値に設定されているところは疑問ではあるが、一応は「年間20ミリシーベルト」が安全を保障する閾値ということなのだろう。

■「職業被曝」と「公衆被曝(自然被曝)」と「医療被曝(人工被曝)」

 上記で述べた被曝量は、原発作業員の「職業被曝量」と一般人の「自然被曝量」についての話だが、ここには医療における被曝量は入っていない。自然被曝というのは、食物や大気から受ける放射線のことであり、医療における被曝は自然被曝ではなく「人工被曝」というものになる。

 毎年、健診で受ける胸部レントゲン撮影は0.07〜0.1ミリシーベルトであるが、胃がん検診(バリウム検査)は最小で5ミリシーベルト、最大で35ミリシーベルトにもなる。検査機や検査時間によって少し変わってくるが、中間をとれば20ミリシーベルトと言ったところだろうか。

 20ミリシーベルト÷0.07ミリシーベルト=約286という計算になるので、レントゲン撮影約300枚分ということになるわけだ。

 ここで注意しなければならないのは、この数字(20mSv)は年間の数値ではなく、ごく短時間(数分間)の数値であるということである。
 原発作業員の1年間で20ミリシーベルトというのは、簡単に言えば、毎日胸部レントゲン撮影を行っている程度の被曝量である。もっと言えば、労働時間内(8時間?)にレントゲン1枚分の被曝をするということだから、瞬間的な被曝量はバリウム検査よりもかなり低い。
 医学的には長時間かけてゆっくりと受ける放射線よりも、短時間で受ける放射線の方が危険だとされているので、バリウム検査の20ミリシーベルトは、原発作業員の年間20ミリシーベルトよりもはるかに危険な値ということになる。
 それが本当に人体に悪影響を及ぼす値であるかどうかはともかくとしても、比較数値としては正しいということだけは認識しておく必要がある。バリウム検査を5年間続けて受ければ、原発作業員の5年間のリミットである100ミリシーベルトの被曝量に達するということだけは知っておく必要がある。

■恐れるべきは「放射線無知(医療無知)」

 医療の世界では、がんを治療する放射線治療(単位はグレイ)というものもあるため、年間被曝許容線量というものが曖昧になっているのか、20ミリシーベルト程度では全く騒ぎにならない。実際、「100ミリシーベルト以下なら安全」という説もある。
 しかし、もし20ミリシーベルトで発ガンする可能性が有るということであれば、毎年1000万人が受診しているバリウム検査は、労災(労働災害)ならぬ医災(医療災害)※に認定される人が出てもおかしくないということになってしまう。
 今回の労災認定は、労災基準である年間5ミリシーベルトという条件を満たしていたことで認められたケース(放射線被曝が認められたというよりも、労働における災害として認められたというもの)であるらしいので、そのような基準がない医療においては、災害として認定されることは有り得ない話だが。

 ※医災(医療災害)保障というものは有りません。(念のため)

 仮に毎年バリウム検査を受診している原発作業員がいたとすれば、その人物は年間40ミリシーベルト以上は被曝している計算になる。それで発ガンした場合、発ガン理由として真っ先に疑われるのは「原発作業」ということになってしまうのだろうけれど、可能性としては「バリウム検査」が原因だったということも考えられる。無論、どちらも因果証明は不可能であり、あくまでも可能性の話だが。

 本当に恐いのは放射線そのものではなく、放射線無知かもしれない。ほんの僅かな自然被曝にも満たない放射線量に対して闇雲に危険を煽る人々も問題だが、科学的に判明している医療の被曝数値(リスク)に無頓着で有り過ぎるのも危険だと言える。

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健康診断の「バリウム検査」は必要か?

■リスクのある「バリウム検査」

 日本の労働者は毎年1回(主に春や秋)健康診断を受けなければならなくなっている。これは労働者の義務と言うよりも、事業主側の義務であるらしいが、法定検査ということで以下の診断項目の受診を行うことが義務づけられている。

 01.既往歴・喫煙歴・服薬歴・業務歴の調査
 02.自覚症状および他覚症状の有無の検査
 03.身長、体重、腹囲、視力、および聴力の検査
 04.胸部X線検査、喀痰検査
 05.血圧の測定
 06.尿検査
 07.貧血検査
 08.肝機能検査
 09.血中脂質検査
 10.血糖検査
 11.心電図検査

 基本的に上記11項目の受診さえすれば義務を果たしていることになるのだが、多くの企業では上記の項目に加えて、がん検診も行われている。特に胃がん検診というものを行っているケースが多い。
 この「胃がん検診」というものは別名「バリウム検査」と呼ばれ、アンケートを実施すれば、おそらく「最も苦手な検診項目」の筆頭になること間違いなしの不人気な検査であり、実際に検査を棄権する人も多いと聞く。ちなみに私も毎度、丁重にお断りしている。

 バリウムというのは銀白色の軟金属の一種であり、エックス線を透過しないという特徴を持っている。通常はレントゲンに写らない胃腸を発泡剤で人工的に膨張させ、胃の内壁にバリウム膜を作り、エックス線に写るようにするのがバリウムの役割だ。
 バリウム検査のイメージは「飲みにくい」「変な味がする」「気分が悪くなる」というようなもので、検査が終了した後には下剤でバリウムを体外に排出しなければならない。もし下剤を飲まなければ(あるいは体外に出なければ)、腸内で固体化し、重篤な症状に見舞われる危険性を抱えた厄介な代物でもある。(実際に死亡事故も発生している)
 そして、もう1つ重要なことは、バリウム検査は「被曝する」というリスクを抱えていることである。その被曝量はレントゲン撮影の100倍から300倍もあるということはあまり知られていない。

■レントゲンを300枚撮れますか?

 もしあなたが手足を捻挫したとして、骨折しているかどうかを調べるために医者から「レントゲンを300枚撮ります」と言われた場合、どんな返答をするだろうか?

 「はい、お願いします」と即答できる人はまずいないと思う。

 国民の多くは「過剰なレントゲン撮影は危険」という認識を持っている。しかし、ことバリウム検査となると、「せいぜいレントゲン撮影に毛が生えた程度のものだろう」…と認識していればまだましな方で、多くの人は「被曝する」ということさえ意識していないのではないかと思われる。実際に私の周りでも知らない人が多い。

 医者から「バリウム検査はレントゲン300枚分程度の被曝量です」などと言われると、極度に放射線を嫌う人々なら卒倒してしまうかもしれない。普通の人であっても「ちょっと考えさせてください」「様子をみてみます」、あるいは「お断りします」と応えるのが普通だろうと思う。

 バリウム検査では初期のガンの発見は難しいらしく、見落としも多くある。バリウム検査では異常なしだったが、胃カメラで見つかったという人も多い。
 健康な人がレントゲン300枚分のリスクを背負ってバリウム検査を受診することの意味をもう少し考えた方がよいのではないかと思う。

■「バリウム検査」は「任意検査」であるべき

 世の中には「適度な放射線は人体に良い影響を及ぼす」とするホルミシス※論(仮説)というものもあるので、もしこの仮説が真実であるのならば、レントゲン撮影の被曝量はもとより、バリウム検査の被曝量も全く意識する必要のないものとなる。(細かいデータ説明は敢えて控えます)
 しかしながら、現状ではホルミシス論が正しいとする確実なエビデンスが有るとは言えないので、「バリウム検査にリスクが有る」という事実だけは動かしようがない。

 ※大量に使用すれば有害性を持つものでも、少量であれば逆に有益な作用や刺激がもたらされる現象のこと

 実際、ホルミシス論を説明することでバリウム検査を行っている良心的(?)な病院も存在するのだが、多くの病院はバリウム検査にリスクが有るということすら患者に伝えておらず、その証拠(エビデンス)として、健診者はリスクを意識せずに毎年バリウム検査をホイホイと受診しているという有り様だ。

 たとえホルミシス論が正しいと仮定したとしても、いまのところ、国は「微量な放射線でも人体に悪影響を及ぼす」とする反ホルミシスを国是としているので、病院側も被曝量を公表することには抵抗(や遠慮)があるのかもしれない。医者が「バリウム検査でがんになるリスクが有る」などと説明しても冗談にしか聞こえないかもしれないが…。

 しかし、如何なる理由があろうとも、患者の命を預かる医者がリスクの説明を行わずに人体実験の如くバリウム検査を行うのは問題だと言える。
 現在は検査でがんを見落としたことを訴える人がいるそうだが、いつまでもリスクの説明をしないままでいると、終いにはバリウム検査を行ったことを訴える人が出てくるかもしれない。何十年か後に「バリウム訴訟」というような言葉が出てこないことを願うばかりだ。
 
 「バリウム検査」は幸いにも法定受診項目ではないわけだから、健診者には受診を選択する自由と権利がある。きちんとリスクを説明した上で、どうしても受診したいという人にだけ実施すればいいのではないかと思う。基本的にリスクの有る検査は「強制」ではなく「任意」であるべきだ。

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「ピロリ菌除去」におけるリスクを考える

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BOOK『どうせ死ぬなら「がん」がいい』を読んで。

2012121501 少し前にベストセラーとして話題を呼んだ『大往生したけりゃ医療とかかわるな』の中村仁一氏と、『がん放置療法のすすめ』等で有名な近藤 誠氏の対談本『どうせ死ぬなら「がん」がいい』を読んでみた。

 前著同様、本書も読者に誤解を与えかねないような挑発的なタイトルになっており、中身の方も負けじと「がんの9割は放置がいちばん」と現代医療に真っ向から異を唱える内容になっている。しかし、こういう思い切った題名の本を出版できるということは、それだけ自身の説に絶対的な自信が有るということなのだろうと思う。
 近藤氏は、どんな反論があっても論破するだけの理論武装を行っているらしく、何年か前までなら論戦を挑んできた医療関係者もいたそうだが、現在では誰もが逃げ出すらしい。

 私も父親をガンで亡くした経験から、自らの医療無知を悟り、ガンという病気については自分なりに学習した経験があるので、この御二方の意見には9割方、同意している。同意できない残りの1割は、少々、虚無的な発言が目立つというところだろうか。
【関連記事】BOOK『大往生したけりゃ医療とかかわるな』を読んで。

 つい最近も、歌舞伎俳優の中村勘三郎氏が食道がん手術後の治療で肺の疾患を患い死亡したという痛ましいニュースがあったばかりだが、本書はこの出来事を考える上でも実にタイムリーな書籍だと言える。

 テレビのニュース等では、中村勘三郎氏は“食道がんで亡くなった”というようなニュアンスで報じられていたので、本当に死因は食道がんだったと思っている人が多いかもしれない。
 しかし、彼の場合、食道がんの手術は成功していたので直接的な死因は食道がんではない。手術後の抗がん剤治療によって免疫力が大幅に低下したことにより肺炎を発症したことが直接的な死因だろうと思う。実際、抗がん剤治療によって抵抗力が激減して肺炎で亡くなるケースが多いことはよく知られている。
 
 あくまでも仮定の話だが、失礼を承知で中村勘三郎氏が食道がんの治療をせずに放置していた場合をシミュレーションしてみよう。その場合、どうなっていたかというと、ほぼ間違いなく現在も(元気で)生きていたはずである。残念ながら結果的には、手術や治療を行ったことによって寿命を縮めることになってしまったことは疑いようのない事実である。

 では、手術後の抗がん剤治療はしなくてもよかったのか?ということだが、本書はその疑問に答える内容になっている。と言うよりも、手術自体が必要無かったのではないか?、がん検診もする必要が無かったのではないか?というのが彼らの主張でもある。

 「そんなのは結果論だ!」「がんが転移していた可能性もあるだろう!」と言う人がいるかもしれないが、実はそうとも言えないことが本書には書かれている。
 ただ、何事にも例外はあるように、がんという病気にも様々な例外があるので全てが彼らの言う通りにはいかないことも事実だ。本書内にも「9割」という言葉が使用されているのは、そういう意味を含んでいる。この辺は非常にややこしい構造になっているのだが、ある程度のガンの知識を得るとその構造が把握できるようになり、ガンに対する認識のコペルニクス的転回を体験することになる。

 この本の帯にはこう書かれている。

 「日本人よ、医者と医療を妄信するな

 これは実に含蓄のある言葉だ。現代医療というものは、ある意味で医者を神様と仰ぐ(悪い意味での)宗教と化しており、多くの人々は自分の頭で病気のことを考えずに、全ての判断を医者に委ねてしまう。己の肉体だけでなく精神も、そして時には、命すらも医者に預けてしまう。
 私も何年か前まではそういった部類の人間だったのかもしれないが、不幸な経験から幸運にも現代医療について少しだけ学ぶ機会を経て、「無知であることは恐ろしい」ということを後悔とともに実感した。
 そしてもう1つ実感したことは、医療の世界にも「知は力なり」という言葉が存在するということだった。本書は、きっとあなたの人生に少なからずプラスになる知力を与えてくれるはずだ。


【追記】
 BLOGOSのコメント欄を見ると、「新書2、3冊で判断するな」という批判や、「信じる根拠がUFO等と同じでは…」という疑問が有るようなので、質問に答える形式で以下に追記しておこうと思う。

>「新書2、3冊で判断するな」

 ガンの関連本は数十冊は読んでいます。

>「信じる根拠がUFO等と同じでは…」

 敢えて文章を推測形にしただけであり、実体験(医療現場を見ている)を通して述べています。

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BOOK『大往生したけりゃ医療とかかわるな』を読んで。

2012042801 現在、どこの書店に行ってもベストセラーとして陳列してある新書『大往生したけりゃ医療とかかわるな』を遅ればせながら読んでみた。
 挑発的なタイトルからも分かる通り、本書も最近流行り(?)の現代医療批判本であるが、「自然死」のススメ的な内容の本である。著者は現在、老人ホームの医師をされている中村仁一氏。実際に老人ホームで数々の「自然死」を見届けてきた氏の言葉には説得力がある。中村氏は本書の前書きで以下のように述べている。
 
 「私などは、有名人ではないので失うものがない、おまけに先が短いので恐いものがありません」
 
 死を恐れない人物が他人からの批判や中傷を気にせずに本音を書けばこうなるという見本のような本であり、多少、毒々しい言葉遣いが見られるものの、ユーモアセンスのある文体は読み易かった。
 
 近年、「情報弱者」という言葉をよく耳にするようになったが、この言葉は実は医療の世界にも当て嵌まる…と言うより、医療の世界ほど情報弱者が多い(=情報格差が大きい)世界も珍しいかもしれない。
 医療に拘わらず、現代日本でまともな情報を仕入れるためには、本を読むか、インターネットで情報を取得するしか方法がない。インターネットが無くても本を読む習慣がある人はまだ救いがあるが、テレビや新聞だけの情報に頼っているような人は、無条件に「情報弱者」に分類される。この単純な事実を実感できない人のことを情報弱者と呼ぶわけだが、情報弱者が被る被害には、金銭的な被害だけでなく、命の危険に晒されてもそのことに気が付かないという恐ろしい被害がある。
 ここまで読んで「そんなバカな…」と思った人は、生粋の情報弱者だと思われるので、要注意だ。
 
 簡単なところで言えば、ネット販売の経験や知識が無い人は、ネットで買い物をする人よりも割高な値段での買い物を余儀無くされる。これは実際にその通りであることはネット販売経験者なら誰もが知っている。パソコンが利用できないと損をする、しかし、その程度のことなら、特に問題視する必要もない。せいぜい数百、数千円を損する程度なら笑って済ませられるし、そういった人が多い方が実は日本経済にとってもプラスになるという一面が有る。
 ところが、医療における情報弱者になってしまうと、無駄に命を危険に晒すことになり、場合によっては命を失ってしまうという損害を被ることになる可能性も有るので、笑っては済ませられない。
 
 私も数年前に父親をガンで亡くしているので、当時はガン関連の書籍を貪るように読んだ経験がある。その時に初めて気付いたのは、世間のガンに対する認識が必ずしも正しいものではなく、その治療法に至るまで疑問を抱かざるを得ないというものだった。
 不幸にもガンを告知された患者は、その医者からの言葉に絶望し、ガンという自らの病を詳しく知ることもなく、ただ、ガンという病を叩くという対症療法的な治療のみに専念することになる。余程、気丈で腹の据わった人でない限り、ガン告知後に、ガンを知るために自ら本を読もうなどとは思わない。ゆえに、こういった医療関係の本は病気になる前に読んでおいた方が、いざという時に冷静に判断できることになるし、実は病気の予防にも繋がるということを発見した。
 
 昔から「病は気から」という言葉もあるように、病気の多くはストレスによる免疫力の低下が原因であり、病の正体を知らないことによるストレスも病気の原因になることもあるかもしれない。過度な健康検診が逆にストレスになり、免疫力を下げているという本末転倒な事態もあることだろう。
 
 「大往生したけりゃ医療とかかわるな」というのは、「長生きしたけりゃ病院にいくな」という身も蓋もない言葉ではあるが、この言葉はある意味で正しいと思う。医者は神様ではないし、ある程度の病気は自己の免疫力を高めることによって治せるだろうし、生活習慣を改めることによって治せる病気もある。もちろん、治せない病気もあるが、自己責任の結果として生じた生活習慣病を他人である医者に治して貰おうと考えること自体に無理がある。
 
 病気というのは命に関わるものでもあるので、「大往生したけりゃ医療とかかわるな」と言われても、どう判断するかは、あくまでも自分自身である。たとえ、正しいアドバイスをしていたとしても、それを誰にも強制することはできない。そこが医療の難しいところでもあるが、先にも述べた通り、著者は「恐いものがない」人なので、本音を書き連ねている。意図的にユーモアを盛り込んだのかもしれないが、健康な(若い)内に読んでおいて損はないだろうと思う。
 実際、本書を読んで死の恐怖から解放された人も多いらしい。恐怖心から解放されることが病気を遠ざける効果があることは言うまでもないだろう。
 
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『健康診断』から見える思考停止病患者達

2010101101 先日、ウチの会社でも毎年恒例の定期健康診断が行われた。検尿、身長、体重、レントゲン、心電図、視覚、聴覚、聴診器、血液検査が主な診断項目だが、最近ではメタボ検診なるものも追加された。
 健康診断自体を否定するつもりはないのだが、毎年、同じような検診を行っていると、どうしても疑問に思うことがある。それは、成人の健康診断になぜ身長測定が毎年必要なのか?という素朴な疑問である。小学校や中学校、高校であれば、毎年身長が伸びるだろうから、身長測定があって然るべきものだろうが、背が毎年伸びるわけではない成人の身長を毎年測る意味が一体どこにあるのだろうか? 成人であったとしても、朝起きた時と就寝前では少し身長が違うことはあるが、そんなものを測ったところで何の意味もない。
 体重測定が毎年必要というのは理解できるのだが、身長測定を毎年実施する意味が解らない。そして、身長測定が毎年有ることに対して誰も疑問を抱かないということも不思議でならない。学生時代に行ってきたことだから、大人になっても行うことが当たり前だと単純に思い込んでいるだけなのかもしれないが、よく考えれば、これほど可笑しな話もない。大の大人が、自分にとって必要なものと必要でないものとの区別がつかない…と言うよりも、完全な思考停止状態に陥っている。そんな姿を毎年の健康診断で観せられることになる。
 医者は身長測定代を請求できるので、自ら「身長測定は必要ない」などとは絶対に言わない。ゆえに、患者が正論を述べていかない限り、無意味な診断は永遠に繰り返されることになる。
 
 先に「メタボ検診」というものが開始されたと述べたが、これとて、単に腹囲(ウエスト)をメジャーで測るだけの検査である。その測ったウエストが85cm以上ならメタボと診断され、それに近い数値であれば、メタボ予備群と診断されるという極めてお粗末な検査であり、ほとんど幼児のお医者さんごっことしか思えないレベルの診断である。
 ウエストなどというものは、その人の体格によって相対的に違うものであり、一概に85cm以上が異常などというのは誰が考えてもおかしい。例えば、身長190cmの人身長150cmの人が共にウエスト85cmだった場合、双方共にメタボと診断されることになるが、こんなのは馬鹿げているというほかはない。
 身長150cmでウエストが85cmもあれば、確かに太り過ぎだと言える(これとて絶対的な尺度とは言えないが)だろうが、身長190cmの人がウエスト85cmというのは別に太り過ぎでもなんでもない。身体が大きくなるに比例してウエストも太くなるのは人体的な特徴であり常識である。
 もっと分かり易く言えば、大型犬(シェパード)と小型犬(チワワ)のウエストが同じになるはずがないということである。大型犬と小型犬のウエストの異常値を同じ値にすることが如何に馬鹿げているかは小学生にでも解るはずである。
 しかし、そういった医学的な常識自体を無視していると思われるのが、現在のメタボ検診だ。
 もし、身長測定なるものが、メタボ検診の関係で測定しなければならないということであれば、まだ理解できる。メタボかどうかを判断するための参考データとして身長も測定しなければならないというのであれば、それはその通りだ。しかし、現状では身長自体は考慮されていないのだから、身長測定は無意味だという結論にならざるを得ない。
 
 ウエスト85cmという数値は厚生労働省のお達しだと思われるが、そんな数値を基準にして全国民に適用することが無意味であることは当の医者自身も理解していると思う。しかし、医者も患者もそのことに触れようともしない。まるで洗脳されたどこかの独裁国家の国民達のように、黙ってお上に従うのみ。これが異常な光景に観えないのだとすれば、この国の国民の認識レベルは相当危険な状態だとも言えるが、おそらくほとんどの人は解っていながら、敢えて考えない自分を演じているのだろう。それとて、異常な光景であることに違いはないのだが…。
 
 平等至上主義者であるこの国のお役人達が、まさか、人間のウエストまで平等に扱わなければならないなどと考えてはいないと思うが、そんなことをつい考えたくもなるほどに、現在のメタボ検診というものは馬鹿げている。
 
 最後に私個人の意見を述べさせてもらうと、健康診断などというものは、半強制的に企業が実施するものではなく、本来であれば、自主的(個人的)に病院に行って検査してもらうものだと思う。無論、検査する項目も自分で選択できるようにするべきだ。特にレントゲン撮影などは、微量の放射線だとはいえ、人体にとって有害であることに違いはないので、行うかどうかは個人別に選択できるようにするべきである。歯科医に行っても必要以上にレントゲンを撮ろうとする歯医者がいるが、歯が痛くもないのに検診の度にレントゲンなどを撮っていては、なんのための検診なのか分からない。医者を儲けさせるために過剰なレントゲン撮影などを行わせるのは、まさに愚の骨頂である。主役はあくまでも患者(あなた)であって医者ではないということを考えてこその健康診断である。
 現在の医療関係者も一般庶民も主客が転倒していることに気が付かず、まるで考えようともしない。まさに、国民のほとんどが思考停止病を患っているとも言える。しかし、残念ながら健康診断を受診しても思考停止病は発見されるどころか、ますます蔓延する一方に見える。健康診断を受診するたびにそのことを嫌というほど認識させられる。

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