環境問題

「南海トラフ地震」は予測できるのか?

■過去に発生した「南海トラフ地震」

 ここ数年、テレビ等で「南海トラフ地震」の危険性を煽る番組をよく見かけるようになった。言わずと知れたように、「南海トラフ地震」とは、四国沖で90〜150年周期で発生している大地震のことだが、今後30年以内に発生する確率は70〜80%と言われている。

 しかしながら、その予測確率がどこから出てきたのかというと、おそらくは、これまでに発生した地震年度から割り出した平均値としての数値にしか過ぎず、「南海トラフ地震」がいつ起こるかは実際のところ、誰にも分からない。明日起こるかもしれないし、1000年後かもしれないし、起こらないかもしれない。

 過去の「南海トラフ地震」を時系列で表記すると以下のようになっている。

 1498年(明応地震)

 それから107年後 1605年(慶長地震)※

 それから102年後 1707年(宝永地震)

 それから147年後 1854年(安政東海地震)

 それから90年後 1944年(昭和東南海地震)

 それから2年後 1946年(昭和南海地震)

(※)慶長地震は南海トラフ地震ではないという説もある。

 昭和の2度の地震は同時期と考えると、直近5回の「南海トラフ地震」の発生周期が90年から147年になっている。次も同じような周期で発生すると考えれば、2036年〜2093年に必ず起こるという目算があるのだろう。

 (107+102+147+90)/4=111.5年

 1946年+111年=2056年

 このての計算(実際はもう少し対象地震が多い)で、30年後(2048年)までに発生する確率が凡そ70〜80%ということなのだろう。
 しかし、先にも述べたように1944年(昭和東南海地震)と1946年(昭和南海地震)の間にはわずか2年しか空いていないわけで、実際のところは過去の統計だけで未来の地震を予測するのは無理があると言える。

■「余震震度」の予測は不可能

 今年6月に発生した「大阪府北部地震」や、今回発生した「北海道地震」を見ても分かるように、現代人には地震の予知などできないし、統計だけで判るようなら誰も苦労しない。
 全国津々浦々どこででも巨大地震が起こる可能性が有るわけだから、「南海トラフ地震」だけに拘るのはある意味、ナンセンスだとも言える。

 気象庁の発表も、震度6強の地震が発生すれば、

 「今後、震度6強程度の余震が発生する可能性があります」と言い、

 震度6強が震度7に変更されると、

 「今後、震度7程度の余震が発生する可能性があります」と言う。

 震度7以上の地震は原則無いわけだから、「震度7」と言っておけば絶対にハズレないということなのかもしれないが、これでは、全く判らないと言っているに等しい。実際、2年前の熊本地震では、本震と発表されていた地震が予震(前震)で、2日後に本震が発生したということもあった。

 今回の地震でも同じ発表ミスがあってはいけないので、保険をかけてわざわざ「震度7」と言い換えたのだと思われるが、そんなことなら、わざわざ「震度何」などと言わずに、「大きな余震」と言えば済むのではないかと思う。なぜ、判りもしないのに、予言者の如く「震度何」などと言う必要があるのか解らない。

 地震がどこで起こるか判らない、予震か本震かも判らないのに、なぜ正確な震度を予測することができるのだろうか?

■ある中学校の教室での1シーン(フィクション)

【教室Aの場合】
教師A「昨日は震度6の地震が発生しましたが、今後、大きなの余震が発生する可能性がありますので、皆さん気を付けてくださいね。」

生徒達「はい、わかりました。」

【教室Bの場合】
教師B「昨日は震度6の地震が発生しましたが、今後、震度6程度の余震が発生する可能性がありますので、皆さん気を付けてくださいね。」

生徒A「え?、なんで震度6と分かるんですか?」
生徒B「震度なんて分かるわけないじゃん。」
生徒C「先生は予言者なんですか?」

教師B「・・・」

 結論として言えることは、「現代人には地震の予測はできない」、その一言に尽きる。
 ゆえに、地震対策をしなければならないのは、「南海トラフ地震」の被害想定に入っている地域の人々だけでなく、全ての日本人が対象と言える。予測もできない巨大地震を煽り、一部の地域の人々だけが危険であるかのような予言をすることはミスリードであり、別の意味で危険とも言える。


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現代の「天動説」と「地動説」

 『2020年までの日本の温室効果ガス削減目標』というものがある。これは中期目標に当たるそうだが、政府の検討委員会は次の6つの案を出しているらしい。
(1990年比) 2009051201
 1、4%増
 2、1%増〜5%減
 3、7%減
 4、8〜17%減
 5、15%減
 6、25%減
 
 この6案に対して、日本経団連の御手洗冨士夫会長が「1」を支持すると発表したことで物議を醸しているようだ。京都議定書の目標数値が6%減だということから、斉藤鉄夫環境相は御手洗氏に対し「そんな甘い目標では日本の国際社会における地位を貶めることになり世界の笑い者になる」と批判したらしい。
 
 CO2削減が地球温暖化にどれくらいの影響があるのかは様々な意見が飛び交っているが、未だハッキリとしたことは判らないというのが現状であるらしい。地球温暖化説ではなく、逆に地球寒冷化説を唱える科学者もいるぐらいなので、これは言わば現代の「天動説」と「地動説」のようなものなのかもしれない。

 地動説というものは科学の進歩とともに証明されることになったが、地球温暖化や地球寒冷化というものは科学が進歩したとて証明する術がない。天動説や地動説というものは事実の証明だが、地球温暖化や地球寒冷化というものは未来における自然現象のことなので、予測はできたとしても現時点では誰にも証明することができない予言のようなものであるからだ。こういった確かな答えが無いものというのは、得てして詐欺や騙しが横行しやすい。多くの人々が理解・認識できないものが騙しに利用されるというのは歴史の常でもある。
 
 と言っても(書いても)、私はここで陰謀論の類いを述べるつもりはない。現実的な視点から、『温室効果ガス削減目標』というものを少し考えてみたいと思う。
 
 まず、御手洗氏がなぜ「1」の4%増加を選択したのか?ということを考える必要があると思う。環境先進国と言われる日本という国で、日本経団連の会長という社会的責任のある人物が「1」を支持すれば批判されることになるだろうことは誰にでも想像できると思う。それでも御手洗氏は敢えて「1」を選択した。いや、おそらく選択せざるを得なかったのではないだろうか? なぜ? 「日本経済の発展を見据えれば。」 それが答えではないだろうか?
 
 「CO2削減は善、CO2排出は悪」と述べることは簡単だが、実際に世界経済を舞台に働いている企業人から観れば、そんな発言はただの建前に過ぎないことは言うまでもない。製造業の企業がCO2の削減を至上命題にしてしまうということは、イコール売上減少、利益減少を余儀なくされることを意味している。
 「CO2を削減する」ということは、結局のところ“モノを作るエネルギーを削減する”ことと同義だ。つまり、換言すれば「モノを作るな」ということに他ならない。この不況下でモノを作るなと言われても、企業人としては困ってしまう。海外企業は誰にも文句を言われずにせっせとエネルギーを利用してモノを作っているのに、日本だけがモノを作らない方向に経営をシフトするわけにはいかない。そんなことを本気で行えば日本経済が崩壊しかねない。いくら建前であっても簡単に認めるわけにはいかないというのが御手洗氏の本音ではないかと思う。

 よく、「CO2排出は悪だ」と恥ずかしげもなく言う善人気取りの人がいるが、その言葉を突き詰めると、「人間が為す経済活動は全て悪だ」ということになってしまう。もっと極言すれば、「人間が築いた現文明は全て悪だ」さらに言えば「人間が生きていること自体が悪だ」となってしまう。こんなのはただの暴論でしかないことは誰にでも分かると思うのだが、『CO2削減教』にハマった人々には現実が見えないのかもしれない。彼らは二酸化炭素の無い理想的な世界でも夢に描いているのかもしれないが、残念ながらそんな世界には人間は住むことができない。そんな世界がもしあるとすれば、それは天国ではなく地獄だと考えるべきだろう。
 CO2削減に努めることは「善」なのかもしれないが、現実的には努力し過ぎると返って悪くなってしまうということも考える必要がある。無駄を無くすことは善いことだと思うが、生活に必要な生産自体を縮小してまでCO2を削減しても意味がないと思える。
 人間社会は、生産し消費するというシステムで成り立っており、人間はその中で生活している生き物なのだから、生産も消費もこの世から無くすことは基本的にはできないということを前提に考える(議論する)べきだろう。

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