読書

BOOK『日本人にリベラリズムは必要ない。』を読んで

■「憲法」を「聖典」と認識している人々の存在

 今年は70回目の憲法記念日を迎えたということもあり、最近の北朝鮮情勢も手伝ってか、メディアでも例年以上に憲法論議が盛んに行われているような気がする。もちろん、主題は憲法9条をどうするのか?ということであり、自衛隊の有無と憲法9条の関係がメインテーマとなっている。
 しかしながら、「自衛隊を軍隊と認めるか否か?」と問うた時に、「軍隊ではない」などと言う人は誰もいない。これは海外でも同様で、日本の自衛隊を「軍隊ではない」などと言う人は皆無だろうと思う。世界でも日本の軍事力は10位以内に入っているとも言われている(本書では4位と書かれていた)ので、誰がどう見ても軍隊以外の何者でもない。ちなみに北朝鮮は30位以下。
 ところが、憲法9条2項に「・・・陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と書いてあるので、この矛盾をどうするのか?という議論が毎度、繰り広げられることになる。そして、いつも結果は有耶無耶になる。

 常識的に考えると、現在の自衛隊の存在は、明らかに違憲状態であるので、この矛盾を是正するためには、憲法を変えるか、自衛隊を無くすしかないことになる。しかし、軍事力を持たない国家などは有り得ないので、常識的には憲法を変えるしかない。
 これは子供が考えても、そう成らざるを得ない帰結であると思われるのだが、なぜか日本では聖書でもない憲法を少しでも変えることに拒絶反応(脊椎反射)を示す勢力が存在するため、全く事態が進行しない。いや、むしろ、「憲法」を「聖典」と認識している人々が存在しているがために変えることができないと言った方が正解だろうか。

■「リベラル」とは「隠れマルクス主義者」のこと

 前置きはこの辺にして、昨日、『日本人にリベラリズムは必要ない。』(田中英道著)という新刊を読んでみた。ちょうど、本書には憲法9条のことについてもタイムリーな話が書かれてあったので、レビューがてらに少し紹介しておきたいと思う。

 「3度の食事よりも○○が好き」という言葉があるが、最近の私の知的好物は、リベラル研究本の類いで、書名に「リベラル」と付く本は、大抵、目を通している。
 これまで何冊もリベラル研究本を読んできたが、本書はその中でも出色の出来映えで、3食とはいかずとも、1食抜いても読む価値が充分に有る本であり、蒙が啓かれたような気がした。(寝食を忘れてしまうほど夢中になって読んだという意味)

 「リベラル」や「リベラリズム」という言葉の定義から成り立ち、そして日本国憲法についても、テレビや新聞のような表層をなぞっただけの「How(どのように)」論議ではなく、思想的な「Why(なぜ)」にまで遡って平易に詳述されている。内容的にはディープでありながら、文章的には非常に解り易くシンプルに書かれていたのが印象的だった。著者があとがきで、「小難しい書物を捨てよ」と書かれていたことの意味がよく解る。

 本書のタイトルである「日本人にリベラリズムは必要ない」理由が、理論的に書かれており、これまでなぜ憲法9条を変えることができなかったのかも、歴史に秘された出来事を通してズバリ書かれている。「歴史に秘された」と言っても、陰謀論の類いではない。

 著者は「リベラル」とは「隠れマルクス主義者」であり「偽装された左翼」と位置づけている。元々は「左翼リベラル」だったものが、ソ連の崩壊を機に、「左翼」をカットして「リベラル」になったと書かれている。
 具体的に言えば、革命のターゲットを「経済」から「文化」に切り換えた。つまり、左翼は経済を破壊することが目的だったが、リベラルは文化を破壊することが目的になったということ。

 左派野党が何でもかんでも反対するという万年風物詩的な言動も、実は意味のある活動であり、「批判理論」というものが、そのベースになっているらしい。「批判理論」については『病むアメリカ、滅びゆく西洋』(パトリック・ブキャナン著)に詳述されている。

■「リベラル」という化粧言葉

 「リベラル」という言葉は、日本でもアメリカでも、「隠す」あるいは「化粧する」という目的を持って使用されてきたという経緯がある。日本の場合は本書に書かれてあった通り、「左翼」であることを隠すために使用された経緯があり、アメリカでは、ニューディール政策という社会主義的な経済政策を行うことで国民から毛嫌いされることを恐れて、当時の民主党が「リベラル」という言葉を使用した(化粧した)という経緯がある。大恐慌を境として、アメリカのリベラルもまた「自由」とは正反対の概念にすり替わってしまったわけだ。

 それ以前に、リベラリズムは、当初、啓蒙主義という考え方であり、西洋におけるキリスト教からの「自由」を意味するものだった。だから、日本人には向かないし、また必要のない思想だということらしい。

 昭和20年から22年の間に行われた『新憲法発布』『財閥解体』『農地解放』は民主主義運動ではなく、実は社会主義運動だったというくだりは興味深かった。1945年に社会主義者であったルーズベルト大統領が死去したことによって、偶然にも翌年、アメリカは反共産主義に舵を切り直した。しかし、当時、既に日本で行われてしまった社会主義運動によって生じた負の遺産は残り続け、現代の日本にも悪影響を与え続けている。
 本書を通読すれば、憲法を変えることができなかったことも、その悪影響の1つであることが腑に落ちる。是非、多くの人に読んでいただきたいと思う。

【追記】2017.5.5
(BLOGOS転載記事のコメントに対する返答になります)

>この著作を読んだことはありませんが、筆者が共感・納得している範囲でいうと、戦後の「財閥解体」「農地改革」は社会主義の思想に基づくもので、これらは有害なものであり、今日までも弊害を及ぼし続けているということでしょうか。

 よく読んでいただければ分かると思いますが、『財閥解体』や『農地解放』は単に一例として挙げただけで、GHQが行ったとされる社会主義政策は多岐に渡るものです。それら全てを引っ括めて「負の遺産」と書いたわけです。

>仮に財閥解体がなかったとすれば、たとえば三菱と名の付く各企業は、すべてオーナーの岩崎一族が支配する同族企業集団でしかなく、もちろん三井や住友も同様に三井一族や住友一族の支配下にあったわけであり、今の韓国と同じような経済構造になっていたことでしょう。

 『財閥解体』がGHQの占領政策の一環で行われたことは事実ですし、それが戦争資金を断つという目的のために行われた政策であることも事実です。とはいえ、「財閥解体」にも当然、メリットとデメリットがあります。実際に行った場合(現実)と行わなかった場合(仮定)を比べることはできませんが、ここで重要なことは、民主化を目的に行われたものであったのか、それとも社会主義化を目的に行われたものだったのかということです。前者である場合の『財閥解体』と、後者である場合の『財閥解体』を同一線上で考えるのは無理があります。結果が同じであっても評価は違ってきますから。

>また農地改革がなかったとすれば、農民のほとんどは大地主から土地を借りて生活する小作人でしかなく、少し前の中南米のような状況になっていたと思います。

 これも同上で、メリットとデメリットが有ります。行わなかった場合のデメリットだけに目を向けても、あまり意味があるとは思えません。

>この筆者「自由人」という人の過去のエントリを見ると、それとは真逆の、個人主義的・自由主義的な社会指向の人ではないかと思います。

 「過去のエントリ」と書いていますが、あなたは当ブログの記事をどれだけ読んだ上で言っているのでしょうか? 私は「自由人」と名乗っていますが、自由主義者という限定した意味ではありませんし、個人主義者でもありません。「自由人」というのは、「物事を自由に考える人」という意味合いで使用しています。

>こーいう印象操作をやっちゃうからリバタリアンも信用が無くなっちゃうのですね。

 私はリバタリアンではありませんが…。

>そもそも、いまどきマルクスを読んでマルクス主義者になった日本人がどれほどいるのだろうか。
ほとんどいないだろう。
結局、【「隠れマルクス主義者」として「リベラル」】なる者は、脳内仮想敵にすぎず、実際にはほとんど存在しないのではなかろうか。

 その通り、ほとんど存在しません。ではなぜ、左翼過激派による暴動や学生運動などの血なまぐさい活動が20世紀に存在したのでしょうか? それはそういった破壊活動を行わせるに足る思想が明らかに存在したということでしょう。しかし、当時の学生達がマルクス主義を理解していたのか?というと、これも理解せずに空気で(妄想で)動かされていただけでしょう。あなたの言葉で言えば、「脳内仮想敵」ということになりますが、「脳内仮想敵」を作った人々(=妄想家)という意味では当時も今もマルクス主義者は確かに存在しているのです。(本人に自覚が有るかどうかは分かりませんが)

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BOOK『歯はみがいてはいけない』を読んで。

■「食後すぐに歯みがきしてはいけない」が世界の常識

 昨年の夏頃に発売された新書『歯はみがいてはいけない』(森 昭著)を読んでみた。

 本書のタイトル「歯はみがいてはいけない」というのは、もちろん誇張表現であり、言葉を端折らずに正しく書くならば、「歯は(食後すぐに)みがいてはいけない」となる。
 それでも、「えっ!?」と驚く人が多そうだが、本書によると、食後すぐに歯みがきする習慣がある国は「日本」と「韓国」だけであるらしい。無論、日本と韓国が世界に先んじて食後に歯みがきを行うようになったという美談ではなく、その逆で、世界の常識から隔絶してしまったという意味である。
 韓国の場合は、日本の歯みがき文化を真似たそうなので、食後に歯みがきする習慣を最初に作り出した国は「日本」ということになる。翻って、世界に目を向けてみると、「食後すぐに歯みがきしてはいけない」という真逆の常識が根付いているらしい。

 ではなぜ、日本でそのような特異な習慣が出来上がってしまったのか?と言うと、1960年代に始まったとされる「3・3・3運動※」というものが提唱されたことに依る。それ以来、この運動が国民の間で“常識”として根付いてしまい、歯みがき習慣に関してもまた、日本の常識だけは世界の非常識となってしまったというわけだ。

※「毎食後3分以内に3分間、一日3回歯をみがこう」というキャンペーン

■「3・3・3運動」から生まれた悪弊

 私の場合、いつの頃からか朝起きてすぐ歯磨きし、就寝前に歯磨きするという習慣が出来上がっていたので、運良く驚かずに済んだが、自らの歯みがき習慣が世界の非常識だったことを知って「えー?!」と驚いた人も結構いるのではないだろうか?

 夜間、寝ている間に口腔内に雑菌が大量に繁殖しているので、朝起きて歯を磨かないまま食事をすると気持ちが悪いし、寝る前も口の中を清潔にしておかないと余計に雑菌が繁殖しそうなので歯を磨く。普通に考えれば、これはごく自然に根付くべき習慣だと思われるのだが、日本ではそうはならなかった。
 良かれと思い人為的に作られた習慣(この場合は「3・3・3運動」)が、皮肉なことに当たり前の習慣が定着することを阻害し、間違った悪習慣を根付かせることに役立ってしまう。こういった悪弊を回避するためには、常に世の中の常識というものが、いつ、どうやって生まれたのか?ということに思いを巡らせる必要がある。

 実際は、雑菌が気持ち悪いというような感覚的な理由だけでなく、食後すぐに歯みがきしてはいけない科学的な理由も本書には詳しく書かれている。詳細は本書に譲らせていただくが、間違った歯みがき習慣を何十年も続けてきた人々にとってはショッキングかつ有益な情報が書かれている。

■「増え過ぎた歯科医」と「安過ぎる治療費」が齎した悲劇

 朝食を食べる前に歯みがきすると、食事の味が変わってしまうので、仕方なく食事の後に歯をみがいているという人は多いと思う。歯をみがいた後は、歯みがき粉に含まれている界面活性剤やメントール成分が口中に残っているので、食事が苦く感じる。そのため、食前はうがいだけにして、食後に歯みがきする習慣が身に付いたという人も案外多いのではないかと思う。
 私の場合、この(苦い)問題をクリアするために「せっけんハミガキ」を使用している。これだと、ほとんど無味無臭なので、食前に歯みがきしても、食事の味は損なわれないのでオススメだ。

 本書には、現在の歯科業界が陥っている問題点もいくつか指摘されている。アメリカでは1本の歯の根を治療するのに10万8000円かかるが、日本では5800円らしく、20倍近くもの差があるらしい。国民皆保険制度のおかげで治療費が(他の国と比較して)安価に成り過ぎているためか、歯科医には様々なジレンマもあるらしい。

 私も何年か前に、歯の詰め物が1年で取れたので歯医者に行った。その詰め物をした当の歯医者だったのだが、いつまで経っても治療完了とならず、通う度に「あと何回です」とどんどん延びていったので、途中でお断りしたことがある。1回や2回で終わりそうな治療をどこまで引っ張るのか?と疑念を抱き、患者を無視した押し売り的な姿勢に憤りを感じたことを覚えている。
 そういった出来事もまた、増え過ぎた歯科医と安過ぎる治療費が齎した悲劇であったのかもしれない。

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BOOK『くたばれパヨク』を読んで。

■チバレイ流パヨク論考 第2弾

 最近は本当にリベラルやサヨクに対する研究・批判本が多くなり、本音で書かれた活字を読むことも多くなった。少し前までなら一部の保守論客の本でしか読めなかったような正論が、様々なタイプの論客から聞かれるようになったので、自然と購入する本も多くなり積読本がますます増える傾向にある。
 そんな状態だから、なるべく薄く平易な文章で書かれた興味深い本から優先的に読むことになる。人間は心理的に簡単な問題から先に解決していく傾向にあるので、難解で読みづらい分厚い本は最後まで残ってしまうのかもしれない。

 前置きはこの辺にして、この年末に平易で興味深い本の1つ『くたばれパヨク』を一気読みした。昨年ベストセラーになった千葉麗子氏の『さよならパヨク』の続編的な位置付けになる本だが、文章量的には少し増えた感じがしたものの、内容的には前作同様、パヨク(劣化した左翼)の暴露本というか、入門書という趣きの本だった。ある程度の保守的な知識のある人には少々物足りなく感じるかもしれないが、大部分の日本人はパヨクに関しては素人だと思われるので、これはこれでよいのかもしれない。

 前書同様、詳細は省かせていただくが、大きく分類すると、「芸能界とパヨク」「教育とパヨク」「若者とパヨク」という感じでパヨクの実態を彼女なりに簡易レポートしたエッセイ風の書物になっている。タイトルは「さよなら」から「くたばれ」と過激になっているが、内容的には逆に大人しめになっている。

 「芸能界とパヨク」では、パヨク芸能人を断罪するというスタイルではなく、ある意味で、同情的なことが書かれていた。千葉麗子氏曰く「(芸能人の)主要な得意先であるマスメディアがパヨれば、それに合わせて芸能人もパヨるのもある意味仕方がないことなので、既存メディア以外でも(芸能人が)活躍できる場を考えなければならない」(原文ではない)とのことだが、これは全く同感だった。

 「教育とパヨク」では、「(戦後)70年以上かけてパヨった教育は、さらに長い年月をかけないと取り戻せない」と書かれていた。

 私が中学生の時の社会科の教師は、なぜか、日本の歴史よりも中国の歴史を熱心に教える教師だった。中国の元号は熱心に教え込むのに、日本の元号は教えないという教師だったせいか、中国の元号はキッチリ覚えているが、日本の元号はほとんど覚えていない生徒ばかりという有り様だった。
 中学時代の私には、思想的な知識も探究心も無かったので、「先生、なぜ中国の元号は教えるのに、日本の元号は教えてくれないのですか?」というような質問もできなかったが、今考えると、あの教育は一体なんだったのか?と思う時がある。

 「若者とパヨク」では、「環境パヨク」「人権パヨク」「反戦パヨク」と3つのカテゴリーの説明が書かれており、かつて「反原発」という「環境パヨク」にハマってしまった自らを反面教師として、若者にアドバイスされている。

 しかし、つい2〜3年前まで反原発アイドルだった人物が、これだけの短期間で見事に転身できるということは、驚きであると同時に可能性を感じさせもする。「70年以上かけてパヨった教育は、さらに長い年月をかけないと取り戻せない」という彼女の言葉に照らせば、実際はもっと短期間で取り戻すことが可能であることを身をもって証明してくれているかのようだ。今後の更なるご活躍に期待したい。

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BOOK『いよいよ歴史戦のカラクリを発信する日本人』を読んで。

■「日本の歪んだ常識」のカラクリ

 親日家として知られるケント・ギルバート氏の新刊『いよいよ歴史戦のカラクリを発信する日本人』を読み終えた。
 『まだGHQの洗脳に縛られている日本人』、『やっと自虐史観のアホらしさに気づいた日本人』に続くPHPシリーズ3作目となる本書は、非常に興味深く示唆に富み、知的好奇心を刺激してくれる本だった。
 『いよいよ歴史戦のカラクリを発信する日本人』と言うよりも、現状では『いよいよ歴史戦のカラクリを発信したケント・ギルバート』という段階かもしれないが、非常にフランクに正論を語られているのが印象的だった。

 例えば、共産主義に関して、ケント氏は以下のように述べられている。

>人間に欲望や個性が必ず存在するかぎり、結果の完全平等とは、悪平等にしかなり得ないのです。共産主義者は、根本的な人間理解に欠けています。人間のことを、大量生産の歯車と同じだと考えているからです。共産主義とは、有能な人間のやる気を失わせ、無能な人間はますます無能な怠け者になるという仕組みです。人間の精神面を確実に腐らせ、社会を後退させます。だから、ソ連や東欧諸国は破綻したのです。

 まるで、日本の多くの会社にもそのまま当て嵌まりそうだが、私も同じようなことを書いたことがあるので共感を覚えた。上記のような認識は、まともな先進国では常識なのだろうけれど、日本だけは随分と違うらしく、ケント氏は40年前に来日した時から違和感を感じられていたらしい。

 GHQの影響を受けなかったアメリカ人の目から冷静に観察した戦後の日本社会の様相が具体的に書かれており、読む人によっては、スパイドラマを観ているかのような錯覚を覚えるかもしれない。歴史の裏に隠された真相を知ることで、世界の常識から乖離した日本の歪んだ常識を形作ってきた巧妙なカラクリの一部が垣間見えるかもしれない。

■「戦争は情報戦から始まる」カラクリ

 永世中立国であり国民徴兵制度のあるスイスの国民は、以下の2点を常識として認識しているらしい。

 「軍事力によってこそ国の独立は守られる
 「戦争は情報戦から始まる

 日本では「はあ?」と言うような人も多そうだが、残念ながら、「はあ?」などという言葉が出てくること自体、「私は平和ぼけしています」と白状しているようなものだろうと思う。ケント氏も日本人の「平和ボケ」と「知的怠慢」を嘆かれている。

 スイス政府が冷戦時代に出版し一般家庭に配布した『民間防衛』という本の中にある「武力を使わない情報戦争」の手順とは、次のようなものであるらしい。

 第1段階
  工作員を政府中枢に送り込む。

 第2段階
  宣伝工作。メディアを掌握し、大衆の意識を操作する。

 第3段階
  教育現場に入り込み、国民の「国家意識」を破壊する。

 第4段階
  抵抗意志を徐々に破壊し、「平和」や「人間愛」をプロパガンダに利用する。

 第5段階
  テレビなどの宣伝メディアを利用し、「自分で考える力」を国民から奪っていく。

 最終段階
  ターゲット国の民衆が無抵抗で腑抜けになったとき、大量植民で国を乗っ取る。

 ケント氏は、この文章を読んで、これは日本のことを書いたものではないか?と戦慄を覚えられたそうだが、なるほどな…と考えさせられる。

 本書は、現代の日本が置かれている状況というものを正しく認識し、再確認する上でも重要な位置付けの本になると思う。興味を抱いた方には是非、読んでいただきたいと思う。

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BOOK『99%の会社はいらない』を読んで。

■99%の人は、自分の時間を生きていない

 ホリエモンこと堀江貴文氏の新刊『99%の会社はいらない』を読んでみた。

 「99%の会社はいらない」などという過激なタイトルを付けると、また多くの人(本を読まない人)からバッシングされそうだが、この数字には意味があって、本書曰く、「会社勤めをしながら、自分の時間を生きている人は100人中1人位しかいないので、99%の会社はいらない」ということらしい。
 本書の要諦は前書きにも書かれてある通り「自分の時間を生きる」ということになるのだろうか。“他人の時間を生きて苦しむ”のでなく、“自分の時間を生きて楽しむ”ことが、これからの仕事のテーマになっていくと書かれている。

 「ホリエモン曰く」ではなく、「本書曰く」としたのにも理由があって、本書は堀江氏が1人で書いたわけではなく、別の人の協力を得て書かれているらしい。文体を見る限り1冊丸ごと同じ個性で書かれてあるので、章ごとに分担して書かれたわけではなさそうだ。ある事柄についてインタビュー取材した内容を編集し、ゴーストライター的な役割を持った人が1人で書かれたのかもしれない。しかし、内容的にはホリエモン個人の体験談が多かったので、それを別人が書いているというのは驚きだった。

■「クール・ビズ」が唯一の成功例

 私は堀江氏の本は『稼ぐが勝ち』から、ほとんど全て目を通している。以前、同書内の「人の心は金で買える」という過激な発言が話題になりバッシングされたことがあったが、あの言葉も実は編集者の案だったというようなことが別の本に書かれてあったと記憶している。しかし当時のマスコミや評論家は、彼の本を読んでいなかったのか、そういったバックグラウンドを無視して好き勝手に「拝金主義者だ」とホリエモンバッシングを行っていたので、少し気の毒に思っていた。冒頭でも触れたが、本(資料)も読まずにイメージだけで批判する人は一般人だけでないということがよく判ったエピソードだった。

 本書の冒頭では、日本の会社の矛盾点がいくつか書かれてあったが、無意味化している日本企業の古くからの習わしを崩すことに成功した、たった1人の人物として小池百合子氏のことが紹介されていた。無論、「クール・ビズ」のことだが、これだけが唯一、融通の利かない日本企業で変革(と言うより改善)されたことであるらしい。

 そう言えば、先の東京都知事選で、堀江氏は舛添氏の続投を望む発言をされていたが、小池百合子氏が新都知事になったことは、どう思われているのだろうか? 案外、結果オーライだったのかもしれないが…。

■エンターテインメント業界のビジネスモデル

 これからは仕事が遊びになる時代が来るということで、そこで真っ先に注目を浴びるエンターテインメント業界のビジネスモデルが書かれていた。

 そのビジネスモデルというのは、以下の4つに分類されるらしい。

 1、[メジャー&高収入]/超有名人型
 2、[マイナー&高収入]/ネット著名人型
 3、[メジャー&低収入]/売れない芸人型
 4、[マイナー&低収入]/一般ブロガー型

 私などはブロガーが本業ではない一般人なので、どれにも該当しないが、強いて選ぶなら「4」に分類されるのだろうか。しかし、一般ブロガーがブログで商売していけるようになるのは、正直、かなりハードルが高いような気がする。あまり後ろ向きなことは書きたくないのだが、世間一般のブロガーがブログを書くという遊びを仕事として認識できるようになるためには、ブログというシステム自体も、大きく変わっていく必要が有るのではないかと思う。それを具体的に説明しろと言われてもできないが、もし、ブログを書くという遊びが仕事に変化する未来が訪れるのであれば、その時は現在とは違ったシステムが構築されているような気がする。

 本書は全体を通して、ひたすら前向きなホリエモン流のリアルな行動哲学という趣きの本だった。簡単なようでも一般人にはなかなか真似の出来ないことが多そうだが、行動派ホリエモンの現在を知るには最適な本だと思う。

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BOOK『劣化左翼と共産党』を読んで。

■劣化左翼が注目される時代

 「リベラル」はともかく、「左翼」などという言葉が普通(?)に語られるようになったのは、つい最近のことかもしれない。マスコミでは禁句になっているのか、全くと言っていいほど聞かれない言葉だが、ここ数年、保守的な論調も聞かれるようになり、そんな世相を反映してか、「リベラル」や「左翼」という言葉を用いた書籍(主に批判本)も相次いで出版されている。関連書籍を年代順に新しいものから並べてみよう。

 ○「リベラル」がうさんくさいのには理由がある(2016.5)

 ○さよならパヨク(2016.4)

 ○劣化左翼と共産党(2016.3)

 ○反米という病 なんとなく、リベラル(2016.3)

 ○リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください(2015.6)

 ○左派リベラル勢力の言説は見事に嘘だらけ(2015.4)

 ○戦後リベラルの終焉(2015.4)

 ○戦後日本を狂わせた左翼思想の正体(2014.10)

 ○左翼はなぜ衰退したのか(2014.9.30)

 他にも多々出版されているが、主立ったものは、こんなところだろうか。

 上記の半分程度は既読済みだが、最近、3番目の『劣化左翼と共産党』(山村明義著)を購入して読んでみた。山村氏の著書を読むのは『GHQの日本洗脳』に次いでこれが2冊目だが、ソフトカバー本であるせいか、前著よりは一般向けに書かれており、真面目な中にもユーモアが感じられる面白い本だった。
 著者の山村氏が「左翼用語に馴染みのない方にもできるだけわかりやすくした」と言うだけあって、平易な言葉で書かれているので読み易い。

 個人的には、次の3点が興味深かった。

 1、日本での最初の左翼は「石川五右衛門」

 2、共産主義はデフレ不況の時に増大する。

 3、左翼の人達は普通の人が分からない難しい文章を書く人が多い。

 石川五右衛門は、権威や権力者を嫌い、自分自身が逆にその地位に就くことを願っていた人物ということらしい。権威や権力を嫌うだけなら左翼とは呼べないが、“権力を手に入れたい”という内に秘めた欲望のために権力者を嫌う人は左翼と呼び得るわけだ。
 権力が欲しいから権力者を批判し、お金が欲しいからお金持ちを批判する。しかし、その屈折した欲望のためか、大抵はその両方とも手に入れることができない。

 「マルキストはデフレを好む傾向にある」ということは少し前の記事で触れたところだったが、なぜそうなるのかの理由が本書に書かれていた。
 「マクロ経済学に弱い人はマルクス経済学を信じてしまう」という考察も面白い。

 左翼の人達が難解な文章を書くというのも昔から思っていたことで同感だった。
 左翼の人達は、難しいことを簡単に書くのではなく、簡単なことを難しく書く才能に長けている人が多いのだが、それが昔のインテリ(後述する)の条件だったのかもしれない。

■マルクス=レーニン主義はヘルペスのようなもの

 本書でも述べられていたが、マルクス=レーニン主義はよくウイルスに喩えられることがある。世の中が不況になると、流行り病の如く出現し、まるで免疫力の落ちた人がヘルペスを発症するかのように、激しい痛みとともに赤い発疹が突如として吹き出す。
 恐慌と戦争の世紀と言われた20世紀では、マルクス=レーニン主義という思想的な伝染病が全世界の多くの人々をマインドコントロール下に置いた。20世紀も終わり頃を迎えると、その真っ赤な思想は音を立てて崩れ落ちたかに見えたが、実際は残存していた。その思想はヘルペスウイルスと同様に、身体の内側で息を潜めているだけであり、免疫力が低下した時(景気が悪くなった時)には、ここぞとばかりに活発化し、何度も表側に出ようとする。この10年間でも、リーマンショック時や東日本大震災時に顕著に見られた現象だ。

 景気が悪くなる状態というのは、人体に喩えて言うなら、身体の血の巡りが悪くなり不健康になった状態を意味する。景気が悪くなれば、失業者や貧困者が増加し、おのずと人々の嫉妬心は増幅していくことになる。その嫉妬の炎を媒介して激しく燃え上がるのがマルクス思想の悪しき特徴でもある。

 マルキスト達は本人にはその自覚が無くても、深層心理では不況になることを願っている。彼らの言動を傍から眺めていると、無意識の内に景気が悪くなることを望んでいるかのように見えることがままあるが、それもそのはずで、景気が良くなれば、自然と人々の嫉妬心も鎮まっていくことになり、彼らにとって都合が悪くなるためだ。
 景気が良くなることよりも景気が悪くなることを暗に願うような人々が権力を手中に収めるようなことになると、多くの善良な国民は必要の無い塗炭の苦しみを味わうことになってしまう。かつてのソ連や現在の北朝鮮が良い例だ。

 日本は昔(戦後)、「左翼でなければ知識人ではない」というような言葉が流行ったとか流行らなかったとか…、いずれにしても、左翼であることがインテリの条件というような風潮があったらしい。本書にも「インテリ」という言葉の語源はロシア語の「インテリゲンチャ」と書かれてあった通り、マルクス=レーニン主義が、かつての日本のインテリ左翼を産んだと言っても決して言い過ぎではないと思う。

 左翼はなぜ劣化したのか? その原因を、思想にまで踏み込んで鋭く暴いている本書は、左翼研究(批判)本の決定版と言える。

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BOOK『さよならパヨク』を読んで。

■脱原発運動終焉の足音が聞こえる

 あまり話題になっていないが、現在、隠れたベストセラーとなっている「チバレイ」こと、元祖電脳アイドル千葉麗子氏の実録ノン・フィクション『さよならパヨク』を読んでみた。ちなみに「パヨク」という言葉は、最近、ネットでよく見かけるが、「劣化した左翼」という意味らしい。

 大阪生まれで福島県で育った千葉麗子氏は、東日本大震災を契機に「福島をなんとかしなければいけない」という使命感から、反原発運動に参加することになる。元アイドルということもあり、反原発のシンボルとして担ぎ上げられるが、反原発活動を続けているうちに疑問と違和感を感じて、脱パヨクに至る。その数年間の経緯が短いながらも赤裸々に述べられている。

 かなり際どい内容なので、ここではあえて説明は省略させていただくが、個人的には「やっぱりな…」というのが正直な感想だった。「虎穴に入らずんば子を得ず」という諺の通り、反原発運動の真っただ中に潜入した千葉麗子氏の、その活動の中に我が身を置くことによってしか手に入れることのできない生の体験談は、実に興味深く面白かった。元アイドルの歯に衣を着せずの語り口は意外にも新鮮で斬新だった。

 右も左も分からなかった女性が、単身で反原発運動に身を投じるのは、さぞ勇気がいったことだろうし、また、このような暴露本を出すのも更に勇気がいったことだろうと思う。そう考えると、元々、天真爛漫で純粋無垢なタイプなのかもしれないが、現在は、逆に右翼的な活動の方に傾斜されているらしい。

 千葉麗子氏と同じように、さすがに原発事故から数年も過ぎると、熱が覚める…と言うよりも真実に気付き、反原発運動から逃げ出す人は多いらしい。その足音はどんどん大きくなり、本書を通じて遂に我々一般人の耳にも聞こえてくるようになったというところだろうか。

 物事の両極端を知らなければ中道は解らないと言われるが、左も右も体験すれば、中道がよりハッキリと見えるようになるかもしれない。両極を体験した女性としての中道(保守)論を上梓される日を楽しみに待ちたいと思う。

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BOOK『ケトン体が人類を救う』を読んで。

■「ブドウ糖」と「ケトン体」という2つのエネルギー

 久しぶりに糖質制限記事でも書こうかと思い、現在ベストセラーになっている『ケトン体が人類を救う』(宗田哲男著)を読んでみた。本書は先月(11月)に発売された本だが、12月初旬に数軒の書店を訪れても売り切れ(?)で置いていなかった。大型書店にも足を運んだものの、その甲斐なく、結局、アマゾンで購入した。

 本書は同じくベストセラーになった『炭水化物が人類を滅ぼす』(夏井 睦著)の続編的な内容の本になっており、より具体的(妊婦の糖質制限)な体験談を混じえて書かれているので、読み易い本だった。
 両書ともに進化論(仮説)にまで言及しているところは疑問符が付くが、読み物としては非常に面白い。

 『炭水化物が人類を滅ぼす』=『糖質過剰が人類を滅ぼす』

 『ケトン体が人類を救う』=『糖質制限が人類を救う』

 こう考えても、同じような意味合いの本になるのだが、本書のメインテーマは「ケトン体」であり、これまで悪者(?)扱いされてきた「ケトン体」というものに光を当てられている。

 自動車はガソリンを燃料とするガソリン車だけでなく、現代ではガソリンと電気をエネルギーとするハイブリッド車が人気だが、実は、人間の身体もブドウ糖のみをエネルギーにするのではなく、ケトン体というものもエネルギーにできるハイブリッドエンジンだった、否、むしろケトン体こそがメインのエネルギーだったというのが本書の要諦になっている。

■医者が知らないことでも身体はすべて知っている

 恥ずかしながら、私も数年前までは「人間の脳のエネルギーはブドウ糖のみ」という常識を疑わずに信じていた人間の1人であり、頭を使う仕事をする場合、糖分は多めに摂取した方がよいと思っていた。そのため、仕事の合間に飲むコーヒーには砂糖を多めに入れて飲むなど、今、考えると知らず知らずのうちに随分と無知な行動を実践していたものだなと思う時がある。
 そうは言っても、私の場合、糖分を採っていないというわけではなくて、普通に糖分は摂取している。単に過剰な糖分摂取を控えているというだけの超ゆるめの糖質制限者なので、糖質自体を絶対悪とまでは考えていない。超ゆるめの糖質制限でも、現在は理想体重をずっと維持している。どれだけ食べても太らないという学生時代のような身体になってしまったのは、ある意味で驚きであり、人間の身体というものは複雑なようでありながらも、実は単純に上手くできているものだと実感している。

 昔から、ボクサーの減量方法はカロリー制限であり、マンガ等でもその悲痛ぶりが描かれているが、糖質制限にすれば、もっと楽に減量できるのではないかと思ってしまう。

 かつての古代ギリシアで「医学の父」と呼ばれたヒポクラテスは次のような有名な言葉を残している。

 「医師が病を治すのではなく、身体が病を治す

 まさに至言であり、実際にその通りだと思う。人間は自分自身だと思っている自らの身体のことを何も知らなくても、身体は勝手に病気や怪我を治してくれる。どのような物質が身体に良いのか悪いのかを当の本人が知識として知らなくても身体はすべて知っている。栄養素はキチンと仕分けして吸収してくれる、腐ったものを食べれば、拒絶反応(=嘔吐)してくれる、身体に不要なものは便や尿として排出してくれる。
 このことは糖分についても同じことが言えると思う。これは半分は私の推論だが、糖質を過剰に摂取したとしても、身体はその全てを栄養として吸収するわけではなく、ある程度までは自動的に排泄してくれるのではないかと思っている。糖質制限をしている人は便が固くなり便秘気味になることは有名な話で、実際に私も経験したが、なぜそうなるのか?というと、余分な糖分を採っていないからだと思う。
 下痢になるのは、糖分自体が身体に吸収されずに便として排出されることにも関係があるのだろうと思う。その場合、人体は糖分を異物と判断し、大腸から水分が分泌されて下痢になる。無論、冷えなどで胃腸が正しく機能せずに下痢してしまうことや、ウイルスが侵入して下痢になることもある。
 便の固い・柔らかいは糖分の摂取量によって違ってくるということは実体験を通して認識することができたので、昔から言われているような「長いバナナのような便が健康の証」という言葉も、どこまで本当かは疑わしいと思っている。

■「脚気論争」と「糖質制限論争」の相似性

 自動車を人間の身体に喩えて言うなら、ハイブリッドカーに乗っている多くの人が、自分の乗っている車はガソリンでしか動かないと思っている。ガソリンが空になれば車は止まってしまうと思っている。
 人間の身体はガソリン(糖分)を満タン以上に入れ過ぎると、余分なガソリンを脂肪として蓄える機能を有しており、その蓄えられた脂肪をエネルギーに変える役割も有している。

 人間の脳は未だ謎に満ちた臓器であり未知な領域の多い神秘的な器官であるとも言われるが、人間の肉体自体も未だ解らないことだらけであり、現代の医療科学では解ることよりも解らないことの方が圧倒的に多い。どんなに権威を持つ医者であろうと科学者であろうと、人間の肉体を全て把握しているなどということはまず有り得ない。だからこそ、いつの時代でも真実が判明するまでは間違った医療知識が蔓延り、間違った治療方法の存在も許されることになる。

 そういう意味でも、本書に書かれていた「脚気(かっけ)論争」の論考は興味深かった。脚気という病気が昔にあったことは知っていたが、脚気になった人間は見たことがないので、あまり意識したこともなかったが、戦時中には多くの人が戦死ではなく、脚気で亡くなっていたとは知らなかった。具体的な死亡者数は以下にようになるらしい。

 ○日清戦争時
  戦死者453人

  脚気死亡者2410人/脚気患者48000人

 ○日露戦争時
  戦死者47000人

  脚気死亡者28000人/脚気患者212000人

 今でこそ、脚気で死亡するような人はいないが、昔は戦争で死ぬ人間よりも脚気で死ぬ人間の方が多かったというのだから驚きだ。
 日本の国民病だった脚気が必要以上に広まり長引いた背景には、「麦飯(ビタミンB1)が脚気に効く」という事実を無視し、麦飯を弾圧し、白米一辺倒にした当局に責任があったという史実は実に興味深い。現在の糖質制限否定派と当時の当局の姿勢をオーバーラップさせているところも面白い。

 まだまだ書きたいことは山ほどあるのだが、長々と書き過ぎるのもどうかと思うので、詳細は本書に譲ることにしよう。是非、多くの人に読んでいただきたいと思う。

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BOOK『神さまとのおしゃべり』

2015073101■ユルい系自己啓発書の決定版『神さまとのおしゃべり』

 昨年、話題となったベストセラー書籍『神さまとのおしゃべり』(さとうみつろう著)を読んでみた。

 本書のスタイルは、昨年にブログでご紹介した『嫌われる勇気』と同じく、対話篇の体裁(おまけに導入部の数ページは漫画)を採っているので、500ページもある本ながら、サクサクと読むことができた。『嫌われる勇気』は哲人と青年の対話だったが、本書は、そのタイトルの通り、神さまと青年(著者)の対話だった。
 「神さまが出てくる」などと書くと、間髪入れずに《胡散臭い》と思われた人もいるかもしれない。しかし、本書に登場する神さまは人間的にデフォルメされており、冗談好きのユーモアのある神さまなので、特に胡散臭さは感じることなく読むことができる。言葉使いが少し汚いのはご愛嬌だが。

 一般読者に対する敷居を下げるために、高潔な神さま像を廃し、人間的に面白可笑しく神さまを描いているところは好感が持てる。著者自身を悩める青年に置き換え、さりげなくフィクション風に描いているところなどは、非常によく考えておられるなと感心した。
 しかし、敷居が低くなっていることが裏目に出て、逆に縁遠くなっている人もいるのではないかと思う。実際に私の場合も、随分前から、書店でよく見かける本だったので気にはなっていたものの、少しオフザケ系の表紙のせいか素通りしていた。今回たまたま、書店で立ち読みしたのがキッカケで購入する運びとなったが、まず表紙を見て本を選ぶような人の場合、敷居が低くなり過ぎて逆に手に取らないということもありそうだ。(別にイラストやイラストレーターが悪いというわけではないので誤解のないように)

 ジャンルとしては、ポジティブシンキング系の自己啓発書の部類に入るのだろうと思う。そういう意味では『嫌われる勇気』とは少し毛色が違うかもしれない。『嫌われる勇気』がお上品な玄人ウケする心理学本なら、本書は少しお下品な哲学本といったところだろうか。
 「ポジティブシンキング」などと書くと、またまた《胡散臭い》と思われた人もいるかもしれないが、本書に限って言うなら、それは杞憂だと思う。自己啓発関連の書籍は、常に一定の需要が見込めるジャンルなので、類似書籍が毎年何冊も発刊されているが、その中でも本書は飛び抜けてユルく、内容は専門的ながら、学生にも支持されそうな面白い本に仕上がっている。
 内容的には何年か前に話題になった『引き寄せの法則』をベースにした哲学書といった趣きだったが、ざっくばらんな会話を通して、潜在意識論を解り易く説明されており、改めて、ハッと気付かされることもあって、個人的にはお買得感のある書籍だった。バリバリの自己啓発書だと、少し身構えてしまうので、これぐらいに砕けた感じの方が良いのかもしれない。

■超訳『引き寄せの法則』の原理

 まあ、世の中には『引き寄せの法則』と言っても、ピンとくる人もいれば、頭から否定する人もいる(頭脳で理解するものではないのだが…)と思われるので、万人にオススメできるような本ではないかもしれないが、「引き寄せの法則って何?」という人もいるかもしれないので、少しだけその要諦に触れておこうと思う。(引き寄せの法則に理解のある人は読み飛ばしてください)
 
 「引き寄せの法則」とは、目に見えない宇宙(あるいは心)の法則のようなもので、アール・ナイチンゲールの言葉「人間は自分が考えているような人間になる」という、まさにその言葉通りの法則のことを意味している。

 こう書くと、必ず次のような疑問を抱く人が出てくる。

 「自分が考えているような人間になると言うなら、なぜ私はお金持ちになりたいと言っているのに、お金持ちになれないのか?

 しかし、「引き寄せの法則」的に考えると、この疑問は至極簡単に氷解する。

 屁理屈っぽく聞こえるかもしれないが、一言で簡単に説明すると、

 「お金持ちになりたい」と言っている人は、深層心理では「お金持ちではない」と思っているということなので、お金持ちになれない。

 「あ、なるほど…」と思えたあなたはなかなか鋭い。真偽の程はともかくとして、「引き寄せの法則」では、そういうことになる。「お金持ち」という言葉を「幸せ」「成功者」などの言葉に置き換えても同様のことが言える。

 表面意識で「お金が欲しい」と思っている人(建前)は、潜在意識では「お金が足りない」と思っている(本音)。ゆえにお金が足りない現実が自己実現されるという、実にシンプルな法則だ。

 お金持ちを否定する人は、自分のことを貧しいと思っているからこそできるのであり、お金持ちを否定し続けている限り、お金持ちの仲間入りはできない。そういう人が、お金持ちになってしまうと、お金持ちを否定できなくなってしまう(自己矛盾が生じる)ので、貧しいままの方が都合が良いことになってしまう(=深層心理的には、貧しいままでいることを願っていることになる)。
 貧しさの自己実現とは、げに恐ろしきかなと言える。

 「嫉妬は我が身を滅ぼす」とはよく言ったものだが、なぜ嫉妬することがいけないのかが「引き寄せの法則」を理解すると、よく解るようになる。このことを理解している人は、お金持ちや成功者を否定するような割りの合わないことはできなくなってしまう。

 「ホリエモンは拝金主義者だ」 = 「私は清く貧しい人間です」 → 貧しさを引き寄せる

 「安倍総理は戦争を礼賛している」 = 「私は戦争の恐怖ばかり考えています」 → 戦争を引き寄せる

 具体的に言うと(半分ジョークだが)、こんな具合になるだろうか。誤解があるといけないので念のため、お断りしておくと、この2つの場合、始めの前提自体が間違っている(ただの思い込み)ので余計に性質(タチ)が悪い。

 本書にはそういった基本的な「引き寄せの法則」のヒントが多角的に網羅されているので、もっと詳しく知りたい方は、一読されることをオススメします。信じる信じないは別として、少なくとも頭の体操にはなると思えるし、物事は前向きに考えた方が人生にとってプラスであることだけは疑いようのない事実なので、本書のような考え方を知ったとしても損をすることはない(と思う)。

 ちなみに、私は自己啓発セミナーなどには興味はありませんので、勧誘の類いはご遠慮ください。
 なお、当ブログ内で「引き寄せの法則」についての神学論争をする気はないので、ご容赦願います。こういう考え方もありますよという1つの意見としてご理解して頂ければ幸いです。

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BOOK『なぜ日本人は、こんなに働いているのにお金持ちになれないのか?』を読んで。

2015052901■「日本人は、世界一、お金のことを知らない」

 本書は一見すると分厚いハードカバー本なので、読むのに少し時間がかかりそうだな…と思ったものの、実際に読んでみると文字数は少なく、実感的には新書よりも早く読み終えることができた。
 内容的には非常にシンプルな本であり、著者が旅行した十数ヵ国の備忘録的な簡単な紹介(体感的な物価など)と、お金の歴史と仕組みを上手くミックスして書かれている。著者の言う「つながりキャピタリズム」という概念は、私の認識不足のせいか、あまりピンと来なかったが、お金というものを考えるという意味では、参考になるところが多かった。

 この本のタイトル、「なぜ日本人は、こんなに働いているのにお金持ちになれないのか?」と聞かれると、思わず考え込んでしまう人も多いかもしれない。著者はその答えを求めて、世界一周の旅に出かけるのだが、バックパッカーとして2年間、世界40ヵ国を旅して気付いたことは、「日本人は、世界一、お金のことを知らない」という事実であった…そんな興味深いプロローグで本書は始まる。

 では、日本人はなぜ、お金のことを知らないのか? それは、「お金=汚いもの」という無意識の誤解のもと、お金のことを話すこと自体がタブー視され、お金の教育を受けてこなかったからだと述べられている。

 日本の義務教育課程でお金の教育が行われていないのは当然としても、著者は高校・大学でも「お金とは何か?」という本質的な問題を学ぶ機会はなかったと書かれている。

 言われてみれば、実際にその通りであり、私自身もせいぜい大学で簿記を勉強した程度であり、「お金とは何か?」という基本を学校で教えられた記憶がない。社会に出てからは、誰から教えられるまでもなく必然的にお金のことを考えるようにはなったものの、社会経験から得た知識よりも、そのての書籍から得た知識の方が多いかもしれない。

■ネガティブなお金観を持った人々

 個人的に本書で最も興味深かったのは、お金持ちの中にも「ネガティブなお金観」と「ポジティブなお金観」というものがあるという部分だった。

「ネガティブお金観を持つお金持ちは、根本的にお金の持つパワーそのものにとらわれています。まるで、お金は他者を支配するための「力」であるかのように。お金があれば他者を自由にできるし、逆にお金がなければ他者に自由に使われてしまう。そんな、もはやお金のあるなしに人生を支配された価値観を根底に持っているので、お金集めに必死になるし、そのお金を他者への暴力的な支配の道具として行使します。」
【引用文献】渡邉賢太郎『なぜ日本人は、こんなに働いているのにお金持ちになれないのか?』いろは出版株式会社(2015).

 なるほど、確かにこういう思想を持った人は実際にいる。本書ではお金持ちに限定して書かれているが、お金持ちでない人の中にも、このようなネガティブなお金観を持っている人は大勢いるように思う。
 “お金は他者を支配するための「力」”などというさもしい考えを持っている人は、結局、その自分自身の囚われた考えの通りに、自らも他者に支配される立場に置かれることになってしまう。(注:必ずしも実際に支配されるというわけではなくて、“支配されている”という思い込み(妄想)を抱いてしまう)
 それゆえに、ますますお金に執着するという悪循環に陥ることになるのだが、なぜそうなるのかが自分では解らないという悩ましさを抱えている。

■「景気が悪い…」という言葉の意味するところ

 日本人の多くが、お金のことを詳しく教えられたわけでも、深く考えたこともない証拠として無意識的に発される言葉(口癖)に以下のようなものがある。

 「景気が悪い…

 この「景気が悪い」というのは、どういう経済状態なのかというと、一言で言えば、「お金が循環していない」ということだろう。
 では、「景気が悪い」と嘆いている人々は、なにか景気が良くなる努力をしているのか?と問えば、答えに窮する人がほとんどだろうと思う。
 
 「景気が悪い」を「景気が良い」にするために必要なことは、マクロ的には「お金を使う」ことになるはずだが、「景気が悪い…」と言うばかりで、自分からは率先的にお金を使おうとせずに、誰かが大々的にお金を使ってくれるのを待っている状態、それがこの言葉が持つ意味とも言える。

 つまり、「景気が悪い、誰かお金を使ってくれないかなあ…

 これが、「景気が悪い…」という言葉の本当の意味であり、その言葉には他力への依存心というのものが多分に含まれている。

 一般的に、景気が悪い時には、どんな状況でも効率的に仕事ができるように(または仕事に就ける能力を身に付ける)努力をすることが大事だと言われることがあるが、実はもう1つ、全く別の努力が存在する。それは、“気前よくお金を使う”という努力である。

 前者の自分の能力を磨くという努力は、景気が悪いという状況は変えられないという意味では、少々、受動的な努力とも言える。しかし、後者のお金を使うという努力は、景気そのものに直接影響を与えるという意味では、能動的な努力であるとも言える。

 国の景気が悪い時に必要なことは、お金を使う(循環させる)ことだという最も基本的なお金の常識を教育で教えられていないため、日本では、不況下では節約するとか、貯金をするとか、安値競争をするとか、全く正反対のことを勧める向きがある。これなどは、自分さえ良ければよいというミクロ経済論者の典型だとも言えるが、ミクロ経済学者にはリベラル寄りの人が多いことと無関係ではないと思う。

 「景気が悪い…」「景気が悪い…」と言うだけで、ほとんどの人は自分から進んでお金を使おうとしないので、結局、国が代わりにお金を刷ってバラまかなければいけなくなる。
 「規制を無くせば…」「魅力的な商品が出れば…」需要は満たされるというような意見もよく聞かれるが、別にそんなことをせずとも、誰もが気前よくお金を使うようになれば、景気はすぐさま良くなる。
 しかし、そうは言っても、将来的な不安があれば、人情的にはなかなかお金は使えない。でも、お金を使わなければ景気は良くならない。

■「お金=汚いもの」という刷り込み教育の悪弊

 例えば、安倍総理が「もっとお金を使ってください」とお願いしても、ほとんどの人は言うことを聞かないだろう。「もっとお金を使ってくれなければ消費税率を上げますよ」と脅しても無駄かもしれない。
 そんなことを言えば、「安倍総理は独裁者だ!」とか、「国民のお金を奪うペテン師だ!」という人も出てくるかもしれない。
 なぜ、そのような経済音痴丸出しの人々が現れることになるのかと言えば、理由は簡単、まともなお金の教育を行ってこなかったからだろう。

 「国民の前に出現した不況という怪物を退治するためには、皆が率先してお金という武器を使わなければいけない」そのような幼稚園児にも解るような簡単な譬え話すら教えられてこなかったからだろう。不況を退治する武器は有り余るほど蓄えているにも拘わらず、それが武器になることを知らない。
 お金は捉え方によっては善にも悪にもなる代物だが、「お金=汚いもの」という一面的な刷り込み教育だけが行われてきたことにより、この不況という怪物を退治できない国になってしまった。

 現代の総理大臣が言っても耳を傾けない国民でも、昔の(人間宣言する前の)天皇陛下が「日本を救うためにお金を使ってください」と言えばどうだろう? おそらく、当時の国民なら本当にどんどんお金を使うようになり、景気は良くなるだろう。(あくまでも過去の仮定話)

 良い悪いはともかくとして、「お国のため」というマクロ的な発想(=国家観)が希薄になり、自分さえよければそれでよいとする個人主義(日本ではリベラル思想とも言う)が蔓延したことによって、人々の連帯感が薄れ、誰もが必要以上にお金を使わなくなった(=守銭奴になった)と言えば言い過ぎだろうか。

 現代では、「お金」は時に「信用」とも訳されるが、お金が動かない社会とは、信用や信頼が希薄になった社会だと言い換えることも可能かもしれない。著者の言葉を借りて言うなら、「ネガティブお金観」を持った人々があまりにも増え過ぎたことが日本人が貧乏になった本当の理由なのかもしれない。

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