パソコン・インターネット

スマホバブルの行方【物質的バブルと感情的バブル】

2012091101 現在、日本だけでなく世界中で最も熱い注目を浴びている電化製品(ハイテク機器)は何か?と問えば、おそらく誰もが「スマホ」と答えるだろうと思う。世界中の先進企業は、ほぼ例外なく「スマホ」を中心に回り始めていると言っても過言ではなく、パソコンの機能を有した多機能携帯電話「スマホ」の前途は有望に見え、その可能性は限り無く広がっているかに見える。これは誰もが認めるところだろうと思う。
 
 しかしながら、「スマホは万能か?」という質問をされても、現状では「イエス」とは言い難いものがある。例えば、以下の2つの質問に対して、あなたはどう答えるだろうか?

 (1)「スマホは“ポスト携帯電話”に成り得るか?

 (2)「スマホは“ポストパソコン”に成り得るか?

 こう質問された場合、(1)は「イエス」だろうと思うが、(2)を「イエス」だと言える人がどれだけいるだろうか? 熱烈なスマホ信者であっても、さすがに答えに窮するのではないかと思う。

 私もiPod touchをスマホとして利用してはいる(無線LANを使用すれば無料でインターネットができる)が、目の前に「パソコン」と「スマホ」があった場合、どちらを使用するかといえば、躊躇することなく「パソコン」を選択する。如何にスマホが便利なツールだとはいえ、パソコンの代わりに使用しようとは思わないので、私個人としては、(2)の答えは「ノー」となる。

 特に情報(ブログなど)の発信を行っている人であれば、皆そう感じているのではないかと思う。文章を書くにしても、イラストを書くにしても、画像を加工するにしても、画面(作業領域)の大きさというものは何物にも変え難いものがある。クリエイティブ・ワークをスマホのみで行っているというような人は流石にいないと思う。
 情報を閲覧(ネットサーフィン)するだけであっても同様で、やはり「パソコン」の優位性は変わらないと思われる。

 スマホ(タブレットも含む)の優位性と言えば、“持ち歩くことができる”という点だが、よく考えれば、これは既にノートパソコン等でも実現されていたことであり、iPad程度の大きさのものになれば、携帯性はほとんどノートパソコンと変わらない。サイズがiPoneまで小さくなれば、携帯性という意味では、ノートパソコンを凌駕しているが、先程も述べたように画面の大きさではパソコンには全く敵わない。iPadやiPoneがモデルチェンジしてサイズが変更になったといっても、せいぜい数インチの違いでしかないめ、作業能率が格段に上がるというものではない。

 旅行に出かけた時など、パソコンが使えない環境では、スマホがあれば非常に便利だと感じると思うが、それはパソコンの代わりになるという意味での便利さではなく、あくまでもパソコンが無い場合における『お助けツール』としての便利さでしかない。
 スマホの画面がどれだけ綺麗に高精細になったとしても、画面の大きさという物理的な壁を越えない限り、スマホがパソコンに置き換わることはできない。実に単純な話だが、これは否定のしようがない。

 この10年程でパソコンの大きさは劇的に小さくなった。私も使用しているが、持ち運び可能なMac miniのようなパソコンもある。そのベクトルはどんどん縮小化に向かう傾向にあり、スマホもその産物の1つだと言える。しかし、ディスプレイはパソコン本体とは逆にどんどん大きくなってきた。本体は限り無く小さくできても、出力装置としてのディスプレイまでは小さくできない。この矛盾がある限り、スマホがパソコンに置き換わることは残念ながら有り得ないと思う。

 現在は、一時的にパソコンをレンタルするというネット喫茶が流行りではあるが、スマホの性能がもう少し上がると、スマホの外部入出力端子を用いて使用するディスプレイとキーボードのみを設置したネット喫茶ができるかもしれない。
 如何に現在のネット喫茶のセキュリティー管理が万全であったとしても、やはり他人のパソコンに個人情報(パスワードなど)を入力するのは抵抗があるという人は多いと思うので、個人のパソコンならぬスマホを持ち込み、大画面でスマホを利用するというスタイルの商売は近い内に登場するものと思われる。おそらく入力装置と出力装置のみを完備し、パソコン(スマホ)本体は持ち込みというスタイルのホテルや旅館も出てくるのではないかと思う。

 近未来のSF映画に出てくるホログラム・ディスプレイのようなものがパソコン・ディスプレイの代用品として使用できるレベルまで進歩し実用化されれば、パソコンは本当に不要になり、携帯用小型端末(その時は「スマホ」とは呼ばないだろう)の時代を迎えることになると思うが、そこまで行くには数十年か数百年先になるだろうから、現在のスマホブームというのは、その段階に至るまでの途方もない過渡期の1段階に過ぎないと思う。
 しかし考えようによっては、それだけの長い間、景気を刺激し続ける商品として君臨できる可能性があるわけだから、経済的には良いことであり、悲観に暮れる必要性は全くない。「スマホバブル」とは、おそらくはホログラム・ディスプレイが実用化されるまで続いていく可能性を抱えた良い意味での“物質的バブル”なのである。

 ただ、現在のように「スマホがあればパソコンは不要になる」というような言説は明らかに“感情的バブル”だと思う。「電子書籍が普及すれば紙の本は無くなる」というような言説も同様だが、こういった現実から乖離し過ぎた感情的な意見は「バブルではないか?」と一度、疑ってみた方がよいかもしれない。

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