経済・政治・国際

「民主」という曖昧過ぎる言葉

■「民主」という言葉が意味しているもの

 「民主」という言葉を聞いて、真っ先に思い浮かぶのは「民主主義」という言葉だと思われるが、世の中に出回っている「民主」という言葉には、首を傾げたくなるようなものが多い。

 例えば、「朝鮮民主主義人民共和国」などは、その最たるもので、どう見ても民主主義とは思えない国が「民主」を名乗っている。ついでに言えば、「共和国」というのも、明らかに間違っている。
 「共和国」というのは、「君主がいない国」という意味であり、「君主」とは「世襲により国家を統治する人」という意味になる。そう考えると、何から何までが出鱈目ということになってしまう。
 北朝鮮の国名を実態(実体)に即して言うなら、「朝鮮社会主義独裁君主国」ということになると思う。

 北朝鮮の国名1つからも判る通り、戦後、「民主主義」という言葉は、「社会主義」という意味合いで使用されてきたとも考えられる。報道されるところの「民主主義」という言葉は、実は「社会主義」を意味していることが多々あると思われるので、注意しなければいけない。

■「他党の理解」と「国民の共感」は無関係

 さて、今回、自民党総裁選に出馬することが決定した石破氏の安倍総理批判の言葉の中にも「民主主義」という言葉が入っている。

>「(安倍総理は)ずいぶん9条に拘っているが、他党の理解と国民の共感を得てやるものは他にありはしないか。先にスケジュールありきで、民主主義の現場を理解していないとしか思えない。

 石破氏の言うところの「民主主義の現場」とは、一体なにを意味しているのかは分からないが、「先にスケジュールありきなら民主主義ではない」というのは言葉としては正しい。「計画経済」という言葉もある通り、「先にスケジュールありき」は社会主義である。

 「他党の理解」と「国民の共感」とあるが、憲法改正は憲法を変えることに反対の護憲政党には「理解」が得られるはずがないだろうし、憲法改正の意義を広く国民に周知させた上でなければ国民の「共感」など得られるはずがない。「先にスケジュールありき」で、憲法を変えることを邪魔しているかに見える護憲マスコミや護憲政党は民主主義の現場を理解していると言えるのだろうか?

 もし、改憲を行おうとする行為が、安倍総理個人のスタンドプレーであったなら、この言葉は正しい。しかし、自民党の党是は「憲法改正」であるので、選挙によって選ばれた政党が「憲法改正」を目的とするのは別に不思議なことでもなく、むしろ当然の行為だと言える。

 逆に言うなら、選挙によって選ばれなかった政党が、「憲法改正」を否定すること自体が、国民の意思を無視していることになる。

 「他党の理解」と「国民の共感」というのは、それぞれ別々のものであり、ベクトル的にも同じ方向を向いたものとは言い切れないので、どちらも満たさなければならないということであれば辻褄が合わなくなる。
 「国民の共感」を得た政党が、「他党の理解」も得る必要が有るという理屈は矛盾しており、必ずしも両立しないことは、よく考えれば誰にでも解ると思う。
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QBハウスの「価格破壊」と「料金値上げ」

■カット料金1,200円はまだまだ安い

 2014年2月にそれまで1,000円だったカット料金を1,080円に値上げ(消費増税分を値上げ)したQBハウスが、今度(2019年2月から)は1,200円に値上げするらしい。
 値上げする理由は、カット専門店との競争激化や人材不足による人件費高騰のためとなっているが、おそらく来年の消費税増税も見越してのことなのだろう。

 消費者サイドからすれば、実質5年で2割も値上げになるわけだが、これまでが安過ぎたせいか、反対する人よりも肯定する人の方が多いようだ。無論、私も個人的には値上げには賛成だ。(理由は後述)
 私個人はQBハウスではなく、一般の理容店(3,600円)を利用しているので、1,200円でも、まだまだ安いと思う。

 QBハウスの影響で安価なカット専門店が増えたこともあり、一般の理容店に行くと利用客が激減している。そのため、待ち時間がほとんど無いというメリットがある(理容店にとってはデメリットだろうけれど…)。
 しかし、いくら安くても、1時間も2時間も待たなければならないということになると時間の無駄(=お金の無駄)になるので、休日しか休めない会社員は多少、お金がかかっても空いている理容店の方が有り難い。「床屋談義」という言葉もある通り、店主と世間話ができるのも一般の理容店ならではサービスとも言える。逆にそういった対人サービスは不要(うざい)という人や、平日でも休める人であればQBハウス等の方が向いているのかもしれない。

■価格破壊業者の「責任」とは?

 「価格破壊」という言葉があるが、良くも悪くもQBハウスも理容業界における価格破壊業者だったのだろうと思う。

 あまりにも料金が高止まりしているような業界に、価格破壊業者が参入すると、料金が適正価格まで下がる…と言うのが、市場における理想的な価格形成メカニズムとする向きもあるが、実際は、そう簡単には行かず、価格だけでなく市場まで破壊されるというリスクが有る。
 市場原理は絶対だとする原理主義者にこういうことを言っても、鼻で笑われるだけかもしれないが、気にせずに話を続けよう。

 例えば、赤字ギリギリまで料金を引き下げる価格破壊業者が市場に出現した場合、1円の利益を競っての消耗戦(所謂、レッド・オーシャン)となり、競争に付いていけなくなった企業は潰れてしまう。その後、その価格破壊業者までが利益が出ずに潰れてしまった場合、価格だけでなく市場までが破壊されたということになってしまう。散々、市場を荒らした挙げ句、無責任にも当の価格破壊業者までが潰れてしまった場合、結果的には価格破壊業者は「市場破壊業者」となってしまう。

 もっと具体的に言えば、牛丼一杯200円の価格破壊業者が現れ、その他の牛丼店が全て潰れてしまい、最後に残った価格破壊業者も“一杯200円”に拘り利益が出ずに潰れてしまった場合、まさしく牛丼市場を破壊したことになってしまう。

 だから、価格破壊業者には責任がある。価格を破壊する限りは、最後まで市場を破壊せずに消費者に対するサービスを継続しなければならない。そうでなければ、レッド・オーシャンに沈んでいった同業者、言い換えれば、無意味な薄利競争で潰れていった同業者が浮かばれなくなる。

 それゆえにこそ、下がり過ぎた料金は、素直に上げることが望ましい。“1カット1,000円”に拘るあまりに経営が成り立たなくなり潰れてしまっては、結果的に「市場破壊業者」となってしまい元も子も無くなってしまう。消費者に迷惑をかけないために、適正な料金に値上げすることもまた価格破壊業者の「責任」だと思う。
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『働きたい時に働く改革』が始まった

■『働き方改革』よりも『働きたい時に働く改革』

 国会内で政治家達が『働き方改革』の内容について「あーだ」「こーだ」と揉めている最中、民間企業内では、本当の『働き方改革』が水面下で進行していたらしく、働く時間の自由を求めて、敢えて非正規雇用を選ぶ人が増えているらしい。

 昨今の人手不足で賃金も上昇しつつあり、厚生年金にも加入できる非正規雇用が出てきているため、月給をもらうためだけに無駄な労働時間に縛られるよりも、「働きたい時に働く」という合理的な労働スタイルに魅力を感じる人が増えてきたということなのかもしれない。

 「非正規を正規に!」と叫んでいる人々がいる一方で、自ら進んで非正規になっている人が大勢いる。なんとも皮肉な現象だが、自ら非正規を選んでいる人にとっては「非正規を正規に!」と言われても大きなお世話だろう。

 『働き方改革』は、イメージ的に「働きたい」よりも「働きたくない」という感情が優先されているような感じがする。そんな中、「働きたい」を重視した『働きたい時に働く改革』に注目が集まるのは時代の趨勢と言えるのかもしれない。
 単に「仕事(残業)はしたくない」ではなく、「無駄な仕事(残業)はしたくない」の方がより健全な思考だと言える。

■「同一労働同一賃金」はミッション・インポッシブル

 『働き方改革』が目標としている「長時間労働の是正」と「同一労働同一賃金の実現」は、より本質的に書けば以下のようになる。

「(無意味な)長時間労働の是正」
「(公平な)同一労働同一賃金の実現」

 この2つを実現するために必要なことは次の通り。

 ○8時間分の仕事を6時間でできる人には、

  →2時間早く終業できるようにする。
   (帰れないなら2時間分、給料を上げる)

 ●8時間分の仕事を10時間かかる人には、

  →2時間分の給料を減額する。
   (2時間分、残業する必要がなくなる)

 あくまでも限られた一例だが、これで、2人で16時間以上費やしていた労働時間を実質的に12時間(給料を考慮しての時間)まで圧縮できるので、長時間労働の是正に繋がり、同一労働同一賃金にも少しは近づく。無論、労働生産性もアップする。

 しかし、前者(○)を認めれば「不平等だ!」という批判が出て、後者(●)を認めれば「それはできない!」という批判が出る。「8時間分の仕事を6時間でできる人」には文句を言う理由がないので、どちらの批判も、ここで言うところの「8時間分の仕事を10時間かかる人」から出てくることになる。

■「平等」は「不自由」を齎し、「公平」は「自由」を齎す

 8時間分の仕事で10時間分の給料を貰うことは普通に考えても不自然だと思うのだが、なぜかこの国では、そういった当たり前の常識が通用しなくなっている。「同一賃金」ばかりに意識が向けられ、「同一労働」というものが考慮されていない(曲解されている)状態だとも言える。

 以前にも指摘したことだが、「同一労働同一賃金」というのは、その言葉の通り、「同じ労働は同じ賃金」ということ、つまり「能力給」のことを意味している。それにも拘らず、仕事を行う能力に関係なく同一賃金になるという幻想を追いかけているため、実現不可能になってしまう。

 政府の音頭に関係なく、「働く時間の自由」を求めて自ら非正規労働を選択する人が増加している背景には労働における価値観の変化がみてとれる。
 「平等」を追い求める「同一労働同一賃金」は不可能なので、「公平」な労働形態である非正規労働にシフトしていく人が増えているのかもしれない。

 先行きの見えない変化の激しい時代であるからこそ、正規・非正規間の収入・待遇にそれほどの開きがなくなれば、時間に縛られ過ぎる正規雇用よりも、時間に余裕の持てる非正規雇用を選ぶ人がいても何ら不思議なことではない。
 この現象は、“「平等」は「不自由」を齎し、「公平」は「自由」を齎す”という当たり前のことが認識されつつあることを物語っているのかもしれない。
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理想的な「同一労働同一賃金」とは?

■目標が曖昧模糊な「同一労働同一賃金」

 6月29日に政府肝いりの「働き方改革法」が成立した。
 この法案の中身については、賛成できるものもあれば、反対したくなるものもあり、一概に評価し難いものがあるが、結果的には「改善」だけではなく「改悪」となる部分もありそうだ。

 政府は、これまでにも『ハッピーマンデー』や『プレミアムフライデー』など、世間一般の民間企業の労働環境を無視したかのような浮世離れした制度を実施してきた経緯があるので、『働き方改革』についても今後の成り行きを注意深く観察する必要がある。

【関連記事】
 形骸化している『ハッピーマンデー制度』

 「プレミアムフライデー」よりも「バリューサースデー」

 「働き方改革」において最も注目すべきは、やはり「同一労働同一賃金」の実現だろうか。その実現の成否はともかくとして、政府は「正社員と非正規労働者の不合理な待遇差を無くす」ことを目的としている。しかし、具体的にどうするのかは未だ判らず、曖昧な目標を掲げている状態だ。

■見落としがちな「会社への貢献度」

 以前のブログ記事で、「正社員と非正規労働者の給料の額面を同じにしても同一労働同一賃金にならない」と書いたことがある。正社員限定の各種の福利厚生を無視して、給料だけを同額にしてもトータル的には同一労働同一賃金にはならないと書いた。

【関連記事】
 「同一労働同一賃金」という言葉を都合よく利用する人々

 しかしながら、「会社への貢献度」における給料の違いというものも考える必要があると思う。こう書くと「年功序列制度」と混同してしまうかもしれないが、「年功序列制度」というのは、会社に勤めているだけで誰でも自動的に給料が上がっていくというシステムなので異なる。
 「会社への貢献度」というのは、貢献した度合いによって、評価が違ってくる制度のことを意味する。無論、正社員であっても非正規労働者であっても変わらない。

 例えば、長年、勤続して、時には会社の経営危機を救ったような人物と、今年入社したばかりの人物が、表面上、全く同じ仕事をしているからといって、給料が全く同じでは「会社への貢献度」というものが全く考慮されていないことになってしまう。
 ただ会社に勤めているだけで年々、給料が自動的に上がっていくという「年功序列制度」は歪な制度だが、「会社への貢献度」を無視した同一労働同一賃金もまた歪な制度だと言える。

 同じ仕事をしている労働者を次のような4つのグループに分けてみよう。

 A、仕事がよくできて、会社への貢献度も高い人
 B、仕事はできるが、会社への貢献度は低い人
 C、仕事はあまりできないが、会社への貢献度は高い人
 D、仕事はできず、会社への貢献度も低い人

 こういったA〜Dの労働者がいるとすれば、それぞれ給料が違って然るべきだと思う。しかし、Aに属する人同士は同じ給料、Dに属する人同士は同じ給料とするのが、本当の意味での「同一労働同一賃金」だと言える。「同一労働同一賃金」というものは、マクロ的(グループ的)には同じでも、ミクロ的(個別的)には違うのである。

■「同一労働同一賃金」の要諦は「公平」

 会社への貢献度の高低は評価が非常に難しいかもしれないが、「同一労働同一賃金」は「平等」ではなく「公平」に根ざした制度でなければ意味がない。年功序列は「平等」を意味するが、会社への貢献度は「公平」を意味している。
 「同一労働同一賃金」とは、どんな労働者でも賃金は一律平等にしなければならないという意味ではなくて、個別の労働力と貢献度の度合いによって賃金を公平にする(=不平等にする)ことを意味する。

 労働の質と量、会社への貢献度の度合いによって給料の差異を設けるが、同じ労働と貢献をしている人間には差異を設けないという公平な制度こそが理想的な「同一労働同一賃金」だと言える。

 「同一労働同一賃金」も、共産主義的な悪平等な制度に堕すれば、労働者は皆、やる気を失い、失敗するということを肝に命じなければならない。
 「働き方改革」の要諦は、「悪平等」な制度を「公平」な制度に変えていくことにある。目指すべき「公平」が、いつの間にか「平等」に掏り替わらないように注視しなければならない。

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自動車輸入関税は25%に向かうか?

■「25%」という心理トリック

 トランプ政権が自国アメリカへの輸入車に25%もの関税を課す可能性があることが不安視され、その影響を受けてか、日本の株式市場も冴えない展開が続いている。

 現在2.5%の自動車輸入関税がいきなり10倍の25%にまで跳ね上がれば、確かに輸出企業にとっては大打撃になる可能性がある。しかし、おそらくこの問題は、現実的に考えれば、十中八九、杞憂に終わるのではないかと思われる。
 トランプ氏の10倍思考というのは有名な話であり、ギャラでも10倍の値段を吹っかけることによって、本来の値段以上の実利を手にしてきたのがトランプ氏の手法だ。

 例えば、「2.5%の自動車輸入関税を5%にする」と言えば、いきなり関税が2倍に上がるわけだから、皆、一様に「2倍も上げるなんて酷い」と思うだろう。しかし、「2.5%の自動車輸入関税を25%にする」などと言えば、皆、揃って絶句する。
 その後、「やっぱり5%で手を打とう」となると、皆、こぞって喜ぶだろう。「5%で助かった…」と。

 元々、「5%は無茶だ」と思っているような人が、なぜか「5%で助かった…」と安堵の息を漏らす。まさにトランプ流ビジネスにおける真骨頂…否、単なる数字トリックだ。人々の錯覚を上手く利用し、不可能を可能にする心理トリックとも言える。

 しかし、こんな単純な心理トリックにコロッと引っ掛かるのが、悲しいかな、多くの日本人の残念な特徴でもある。

■新相場格言「落ちてくるナイフは1度につかむな」

 「25%」という非現実的な言葉に踊らされて、現実に株を投げ売りして大損する人がいる一方で、その隙に乗じて株を安値でコツコツ拾っている人がいる。まさに対称的な光景だ。
 株式市場の低迷時における毎度のいつか観た光景とも言えるが、どちらが投資家に向いているかは考えるまでもないだろう。

 株式相場の格言に「落ちてくるナイフはつかむな」というものがある。要するに「株は底値を見極めてから買うべき」ということを意味しているが、底値なんて誰にも分からない。
 無論、落ちてくるナイフ選びが重要であることは言うまでもないが、落ちてくる無数のナイフを一度に掴もうとするから怪我をする。余裕を持って落ちてくるナイフを1本づつ掴むことができれば、危険度は大きく低下していく。ゆえに正確に言うなら、次のようになる。

 「落ちてくるナイフは1度につかむな

 なお、毎度のことながら、株式投資は自己責任でお願いします。


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「モリカケ騒動」で生まれた真の「疑惑」

■「いじめ」を見て見ぬふりをする教育委員会

 2年前(2016年10月)に神戸市の市立中学校3年生の女子生徒が自殺した事件があった。その後、同学校の同級生から聞き取ったとされるいじめの証拠を示すメモが作成されていたが、市教育委員会がそのメモを隠蔽していたという事実が今頃になって判明した。
 同教育委員会の人間が、同学校の校長にも「メモは存在しないもの(=いじめは無かった)」と口裏を合わすことを要求していたという。

 これだけ、いじめの増加が社会問題になっていても、相変わらず、教育委員会の事勿れ主義は全く変わっていないようだ。人前では「いじめは悪いことだ」と講釈を垂れながら、いじめを無くすことに邁進するのではなく、いじめを隠すことに躍起になるという、教育者(人)としてあるまじき行為を為しても恬として恥じる様子がない。こんな無責任な教育者が管理する学校に子供をあずける親はたまったものではないだろう。

■「いじめ問題」をスルーする政治家達

 「モリカケ問題」で騒いでいる政治家も、疑惑の段階で止まっているような案件よりも、はっきりと隠蔽していたことが明らかになった「いじめ問題」を追及した方が国民からの評価も上がり支持率も上がると思われるのだが、なぜ、そういう当たり前のことをやろうとしないのだろうか? なぜ、「いじめ問題を隠蔽していた人物を証人喚問しろ!」と言わないのだろうか? 「いじめを隠蔽した人間は責任をとって辞任しろ!」と、なぜ言わないのだろうか?
 
 はっきり言って、まともな国民の関心事は「モリカケ問題」よりも「いじめ問題」の方だろうと思う。「モリカケ問題」がどうなろうと多くの国民の生活には全く関係がないが、「いじめ問題」は国民の生活と直結した無関心ではいられない問題だ。「いじめ」を無くすことを願っている国民は数多いが、「モリカケ」の解決を願っている国民など、実質的にはほとんどいないだろうと思う。そんな小さな問題はどうでもよいというのが一般国民の率直な感想だろう。

■「モリカケ問題」<「いじめ問題」

 野党5党も、安倍総理を批判することが目的なら「モリカケがどうのこうの」と言うよりも「いじめ問題を放置するな」と言えばいい。
 そう言えば、与党も重たい腰を上げて、いじめ問題に取り組まざるを得なくなり一挙両得だ。
 本当に社会を良くしたいという気持ちから、安倍政治を批判しているのであれば、「モリカケ問題」から「いじめ問題」に乗り換えればいい。そうすれば、与党・野党問わず政治家全体の評価も上がり、少しはまともな社会になるはずだ。

 そんな当たり前のことができない社会(政治)にこそ、多くの国民はうんざりしている。
 多くの国民はモリカケ問題の「疑惑」よりも、「この国の政治家には本当に国を良くしようという気持ちが有るのだろうか?」という「疑惑」を抱いているのである。その「疑惑」の払拭なくして、支持率の上昇は有り得ないということに気付かなければならない。

【追記】2018.6.09
(BLOGOS転載記事のコメントに対する返答になります)

>そもそも論として、イジメ問題を政治で解決できると思ってるのがバカ。

 いじめ問題を政治の力で完全に無くすことはできないでしょうけれど、世間のいじめに対する空気を変えることは可能です。いじめを行った加害者やいじめを隠した教育者が世間から糾弾されるという空気を創り出すことができれば、いじめは今よりも減少するはずです。

>論点違うよ。スルーしてんのは教師。
なんでスルーしてるかっていうとやること多すぎて忙しいってのと、厳しく叱ると「体罰だ」なんだ言われるし、モンペもうるさいから。

 本記事で問題としているのは教師ではなく教育委員会です。体罰の認識問題のズレも、行き過ぎたポリコレが根本的な原因であり、事勿れ主義の政治にも問題があります。

>なんにでも安倍さんが写ってるんだな。
 もう病気ですよ。

 それは、安倍総理の失脚しか目に入っていない人のことです。

>「いじめ問題を隠蔽していた人物を証人喚問しろ!」→これ、意味分かる?

 字義通り、証人喚問せよという意味で書いているわけではありません。それぐらいの気概を持って欲しいという意味でのアイロニー(皮肉)です。

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「悪魔の証明ごっこ」に明け暮れる国会

■「悪魔の証明」の起源

 「悪魔の証明」という言葉は、一般的には中世におけるローマ法の解釈について説明されることが多い。しかし、さらに歴史を遡ると、実は聖書から派生した言葉だということが分かる。
 荒野で40日間続いたとされる「荒野の誘惑」は世界的にも有名な話だが、その試練の期間に悪魔がイエスに吹っかけたとされる無理難題が「悪魔の証明」という言葉の元になっている。

 例えば、「お前が神の子なら、この崖から飛び降りて死なないことを証明してみろ」というような悪魔の誘惑があったとされているが、現代では、主として、「有る」ことを証明するのではなく、「無い」ことを証明せよという、およそ不可能に近い無理難題のことを「悪魔の証明」と呼ぶようになった。

 現代風に低俗な例で言うと、電車内で痴漢に間違われた男性が、「お前が痴漢行為をしていないなら、痴漢行為をしていないことを証明してみろ」と言われるようなものであり、24時間モニタリングでもされていない限り、そんなことは誰にも証明できない。

 「悪魔の証明」とは、無知な人間を翻弄させるための狡賢な「詭弁論法」のことであり、より具体的な言葉で言うなら「難癖」と言ってもよいかもしれない。

■「悪魔のダブル証明」と化している「モリカケ論争」

 安倍総理に対して、「モリカケとの関係が無いことを証明せよ」という無理難題を吹っかけ、それができないなら「モリカケとの関係が有ることを認めよ」=「辞任せよ」というモリカケ論争は、現代の「悪魔の証明」とも言われている。

 この「悪魔の証明」の厄介なところは、具体的な「モリカケとの関係」の有無だけでなく、「疑惑」の有無にまで拡大解釈されてしまっているところだ。「関係」の有無は証明できるかもしれないが、「疑惑」の有無などというものは証明のしようがない。「関係」が否定されても「疑惑」は残るという意味では「悪魔のダブル証明」だとも言える。
 これはまさに「悪魔の悪知恵」と呼ぶに相応しい程に狡猾な「詭弁論法」だ。ゆえに誰かが強権的にでも中止させない限り、永久にこのループから抜け出すことができない。その「誰か」とは、無論、健全な「民意」だ。

■悪魔の証明「なぜ、野党の支持率は上がらないのか?」

 正気を失い「悪魔の証明ごっこ」に明け暮れている人々の目を覚ますことができるのは、冷静な目で「悪魔の証明ごっこ」を観察している有権者しかいない。
 その有権者達が「もう、いいかげんにしろ!」と一喝して、目を覚まさせるしかない。実際にそういう人は大勢いるのだが、一向に民意が影響力を持たないように見えるのは、正しい民意を伝えるべきマスコミまでもが「悪魔の証明ごっこ」に入り込んでいる(当事者になっている)ためだろうと思う。

 最近になって、内閣支持率が少し上がったことが話題になっている。内閣支持率というものにどれだけの信憑性があるのかは定かではないが、仮に内閣支持率が信頼に足るものだと考えた場合、この現象は、株価で言うところの「下げ止まり」「底打ち」を意味するものであり、ようやく民意が動き始めたことを意味しているのかもしれない。
 同じ条件下で、一向に上がらない野党5党の支持率に対して与党の支持率が上がっているのであれば、その部分については信憑性が有ると言える。
 
 「毒を持って毒を制す」ことができるなら「悪魔の証明を持って悪魔の証明を制す」ことも可能だろう。野党5党には、「なぜ、与党の内閣支持率が下がらないのか?」ではなく、「なぜ、野党の支持率は上がらないのか?」を証明していただきたいと思う。これぞ、まさに「悪魔の証明」(無理難題)だ。

【追記】2018.6.02
(BLOGOS転載記事のコメントに対する返答になります)

>内閣支持率の不支持が支持を上回っている事実を忘れている。

 ということは支持率が50%以上ないと与党にはなれないという理屈ですね。それなら、現在の野党5党が与党になれる可能性はほぼ0ということになります。

>潔白を主張するなら何故、文書改竄したり虚偽答弁したり安倍昭恵や加計孝太郎の国会招致を拒否するのでしょうか?

 現状、文書改竄や虚偽答弁は官僚が勝手にしたことだと判明しています。政治家に責任を取れと言っても、政治家は官僚の保護者ではありません。日本の場合、実質的には政治家よりも官僚の方が立場が上なので、子供に親の保護者になれと言っているようなものです。

>このアクロバティック擁護で官邸からいくら金を貰ってるのか気になりますね。

 Facebookの方でもそんなことを書いている人がいましたが、0円です。誰からも1銭ももらっていません。

>総理はモリカケと関係ありますよ。それを「ない」と言うからおかしな事になるわけで、最初から「関係はあるが、それは違法ではない」と言えばよかったんです。

 「違法ではない」と言っても「関係はある」と言った時点で、今よりも騒ぎが大きくなっていたと思いますが。

>世間一般の常識では、自らに不当な嫌疑がかけられた場合、「真相究明に協力的な態度」を採るのか「真相究明に非協力的な態度」をとるのかで、その人物の評価を下します。

 記事中の例えで言うなら、痴漢に間違われた人が、なぜ「真相究明に協力的な態度」をとる必要があるのか理解できません。仮に「真相究明に非協力的な態度」に見えたからといって、本物の痴漢だとは限りません。あなたの言っていることは、確たる証拠が出てきた場合の話です。確たる証拠が無いなら、ただの詭弁にしか成り得ません。

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「蚊帳の外」に置かれた北朝鮮

■「ツンデレ外交」に失敗した北朝鮮

 「日本は蚊帳の外」というようなお花畑論が飛び交う中、大方の予想通り「米朝首脳会談」は中止となり、北朝鮮は蚊帳の外に置かれることになった。
 アメリカに対し威嚇的な態度を取り続けていた北朝鮮は、少し前から微笑み外交に転じ、融和的な素振りを見せていたが、トランプ大統領が微笑み外交に乗った(=罠にかかった)と見るや、再度、威嚇的な態度に切り替えた。
 これは言わば、北朝鮮流のツンデレ(※)外交だったと言えるのかもしれないが、地獄の閻魔様(トランプ大統領)には、そういったハッタリがまるで通じないことが判り、再度、好意的な態度を見せ始めている。

(※)ツンデレ…特定の人間関係において敵対的な態度(ツンツン)と過度に好意的な態度(デレデレ)の二つの性質を持つ様子、又はそうした人物を指す。(Wikipediaより)

■「米朝首脳会談」の意味するところ

 先に「地獄の閻魔様」と書いた通り、米朝首脳会談の意味するところは、まさに「閻魔」と「罪人」との正式な話し合いの場のようなものだったとも言える。

閻魔「二度と悪事を働かないことを誓うか?」
罪人「はい、誓います」
閻魔「ではまず非核化を誓ってもらおう」
罪人「核実験は中止しますし、核実験施設も廃棄します」
閻魔「では、6月12日にもう一度、話し合いの場を持とう」
罪人「はい…」
    ・
    ・
閻魔「日本から拉致した人達も返してもらわなければいけない」
罪人「…拉致したアメリカ人は返します」
閻魔「核実験施設には専門家を招いて視察してもらう」
罪人「…報道陣だけを招いて見てもらいます」
    ・
    ・
罪人「閻魔が一方的な非核化を押し付けるのであれば話し合いは考え直すかもしれない」
閻魔「では、話し合いは中止だ」
罪人「えっ!? ちょ…ちょっと待ってくれ、俺はいかなる形ででも直接話し合いする用意がある」
閻魔「・・・」

■追い詰められた現代のカンダタ

 現状を閻魔裁判に喩えれば、こんな感じだろうか。
 客観的に観れば、罪人に改心する気持ちがないことが判れば、閻魔様の裁きで地獄へ真っ逆さまに堕ちるしかないという切羽詰まった状態であり、まさしく罪人は背水の陣で非核化に臨まない限り、生き残る術はないという状況に置かれている。主導権を握っているのはあくまでも閻魔様であり、罪人ではないということを知る必要がある。

 浅はかなツンデレ外交によって自ら「蜘蛛の糸」を手放してしまった現代のカンダタの心境は如何なるものであろうか? 
 「蜘蛛の糸」はもう1度、カンダタの目の前に降りてくるかもしれないが、その「蜘蛛の糸」を握ったところで、改心する気持ちがないならば『蜘蛛の糸』の物語同様、結末は変わらない。
 しかしたとえ「蜘蛛の糸」を握れなくても、地獄に囚われた民衆を救う気持ちがあれば救われる。重要なことは話し合いではなく、その改心である。話し合いは、その改心を確かめる場でしかない。
 今回は話し合うまでもなく、改心した様子が感じられなかったので、話し合いは中止になったというだけのことである。

 トランプ氏が流行らせたとされる「You're fired!(お前はクビだ!)」という言葉は、今後、一国の指導者である金正恩に対しても放たれる可能性がある。その結末は、「You're fired! Go to hell!(お前はクビ(指導者失格)だ! 地獄へ堕ちろ!)」かもしれない。

【参考文献】ドナルド・トランプ 奇跡を起こす10倍思考(平 睦夫著)

【追記】2018.5.26
(BLOGOS転載記事のコメントに対する返答になります)

>また12日開催に向けて協議中ってトランプが言ってますが。。。

 だから、「もう1度、蜘蛛の糸が降りてくるかもしれない」と書きました。

>敵には常に強硬な態度を取ればいいと 思っているようだ。
それがカッコイイと考えてるからかな?

 誰がどう見ても強硬な手段を採るしか方法がないと思いますが。軟弱な手段で解決するなら、拉致問題などは既に解決済でしょうから。

>貴方の見通しが当たったことある?

 ここ数年、書いてきたことは、ほぼ当たっていると思いますが。

>今回はさらに「閻魔大王」という仏教、ヒンドゥー教の空想上の神とRPG『ドラゴンクエストシリーズ』のカンダタを組み合わせるという、時空を超えたガラクタ理論は重要無形文化財の域に達しています。

 多分、解った上で書いているんでしょうけれど、誤解される人がいるといけないので説明しておきます。カンダタ(犍陀多)は芥川龍之介の『蜘蛛の糸』に登場する主人公であり、『蜘蛛の糸』は仏教がベースの物語です。『ドラゴンクエスト』にも盗賊姿のカンダタというキャラクターが登場しますが、元になっているのは『蜘蛛の糸』のカンダタです。

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米朝首脳会談中止は「想定の範囲内」

■「トランプ大統領と金正恩」は「水と油」

 トランプ大統領と金正恩との会談光景というものは、想像しようとしても、あまりにも現実味がなく、頭に浮かばない。もし、その光景がありありと頭に浮かんだとしても、それは妄想の類いであり、決して未来の光景を正確に映したものではないとも言える。
 仮に本当にそのような現実が眼前に繰り広げられたとしても、それは一時の気の迷い、蜃気楼か幻のようなものだと思った方がよいかもしれない。
 
 トランプ大統領と金正恩との会談、それは恰も警察官と犯罪者、善人と悪人、有神論者と無神論者の会談のようなものであり、本心では決して交わることのない水と油のようなものである。双方が語りかける言葉は、「リップサービス」(トランプ)と「ウソ」(金正恩)の応酬にしか過ぎず、話される言葉をストレートに受け取ること自体が無意味に思える。
 最近、トランプ大統領が楽観的な観測を述べたり、金正恩を褒めたりしているのは、交渉を有利にすることを目的とした彼流のおべっかでしかないと思う。
 
 金正恩と文在寅大統領は、「反日」という点で交わる部分があるかもしれないが、金正恩とトランプ大統領では元々、交わる部分が無い。トランプ大統領が世界の平和を願っていたとしても、金正恩は世界の平和など願っていないのだから、どこまでも平行線を辿ることになるのは目に見えている。

■ならず者が真人間になれる可能性

 一般的に、ならず者が真人間に変わるためには、通常、自らが痛手を被ることで反省と後悔の念を抱く必要がある。アルコールを飲み過ぎて病気になって入院するとか、酔っぱらって破廉恥行為を行い逮捕されるとか、人間が自らの誤った考えをコロッと変える機会というのは、そういった痛手を被るような経験を通した時に起こることが多い。

 では、金正恩は、この間、何か痛手を被ったのか?と言うと、特に何の変化もなさそうだ。経済制裁をされて食料が足りずに飢えているのは北朝鮮の無辜の民であり、北朝鮮の支配層ではない。あの体形を見れば、国民の餓死をよそに、どれだけ裕福な生活をしてご馳走を平らげているかは一目瞭然だ。

 独裁者というものは、一度、絨毯爆撃などで命からがら生き延びるぐらいのインパクトのある出来事でも経験しない限り、おいそれとは真人間に変わろうとは思わないと思う。

■トランプ大統領でも北朝鮮の民主化は難しい

 そもそも、北朝鮮が世界の平和を望んでいるのであれば、なぜ、これまでに微笑み外交のような手段を採らなかったのか? なぜ、直前のオバマ大統領の時には、考えを変えなかったのか? その答えは、「トランプ大統領」という存在にある。彼がアメリカの大統領になっていなければ、北朝鮮は懲りずに核開発を行い続け、ミサイルを飛ばしまくり、納得のいくまで核実験を繰り返していただろうことは想像に難くない。世界がどれだけ批判しても、全く聞く耳を持たなかったことだろう。

 その恐いもの知らずの金正恩が、なぜ態度を軟化させたのかと言えば、それは偏にトランプ大統領の言動力に畏怖したからに他ならない。およそ、それ以外の理由は考えられない。
 トランプ大統領には金正恩を怖じ気づかせるパワーがあった。これだけは否定できない事実だ。しかし、だからと言って、トランプ大統領が北朝鮮の独裁体制まで変えて民主化できるとまでは言えない。

■梯子を外されたリベラル達

 おそらく、北朝鮮の狙いは、「アメリカとは争うつもりがないので、現在の体制は維持させてくれ」という密約に漕ぎ着けることだろうと思う。
 個人主義(リベラル)を理想とするアメリカ民主党の政治家であれば、そんな密約に応じたかもしれないが、トランプ大統領の場合は、保守本流の政治思想を持った人物でもあるので、そういった利己的な狡賢い策略には乗らない可能性がある。ここが日本にとっての救いでもある。

 北朝鮮が米朝首脳会談の中止を示唆したことで「米政権、虚突かれる」というようなニュースが出ていたが、米政権にとっては、無論、想定の範囲内の出来事であり、梯子を外されたのは日本のマスコミだけだろうと思う。


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北朝鮮は「非核化」できるのか?

■核兵器の「一時放棄」と「永久放棄」

 歴史的な米朝首脳会談が迫っているためか、北朝鮮の非核化論議が盛んになってきた。
 巷では「北朝鮮は非核化する」とか「北朝鮮は非核化しない」、または「北朝鮮は非核化できない」というような意見が囁かれ、まるで当て物であるかのような様相を呈している。

 しかし、一口に「非核化」と言っても、非核化にもいくつかもパターンがある。大きく分ければ「一時放棄」と「永久放棄」というものに分かれるが、はたして「非核化する」とか「非核化できる」と楽観的な意見を述べている人は、どちらを意味して言っているのだろうか?

 同じように、「米朝会談」というものも、「米朝会談は成功する」とか「米朝会談は失敗する」という意見に分かれているが、これも何をもって「成功する」「失敗する」と言っているのかよく分からない。

 「米朝会談」は、アメリカにとっての成功であったとしても、日本にとっての成功とは限らない。北朝鮮が本当に核兵器を永久放棄するのであれば、アメリカもその他の国もWinWinだが、単にアメリカに届くミサイルを作らないとか、一時的に核実験を中止するだけでは、日本にとっては全くメリットがない会談ということになってしまう。

■米朝会談の成功で「喜ぶ人」と「喜ばない人」

 ネット界隈では、「北朝鮮は核を放棄できない」と言えば、「ネトウヨ」という烙印を押されるような状態になっている。要するに、“北朝鮮が非核化し平和になればネトウヨが困る”という図式になっているわけだが、全くナンセンスだと言える。

 逆に言うなら、ネトサヨ(?)は、米朝会談が中途半端に上手く行けば、日本が窮地に陥ることになるので、米朝会談を持ち上げているということも考えられる。反トランプであった人が、最近になってトランプ大統領を持ち上げているかのように見えるのは、おそらくそんな事情が絡んでいるのだろうと思われる。
 世界平和は願っても、日本だけは平和になってはいけないというのは実に屈折した考えだとも言えるが、中途半端な平和を願う裏には、そんな図式が見え隠れしていることにも注意しなければいけない。

■北朝鮮にとって核兵器は「権力」そのもの

 さて、では「北朝鮮は非核化できるのか?」というと、正直、これは非常な難題だと言える。これまで核兵器をチラつかせることによって成り立っていた独裁国家が、トランプ大統領にビビったからといって、簡単に核を放棄できるとは思いたくても思えない。

 北朝鮮における「核兵器」とは即ち「権力」そのものを意味している。独裁者がその権力を放棄すれば、他国ではなく自国の人間に殺される可能性も出てくるので、そういった内政問題もクリアしないことには難しいと言える。

 実際、北朝鮮が世界に向かって「核を放棄する」と言ったとしても、国内では言わないだろう。国営放送で「我が国は核を放棄しました」とは伝えないと思う。普通の国ではそんなこと(情報を隠すこと)はできないが、情報遮断国家の北朝鮮ではできてしまう。日本の拉致被害者についても北朝鮮の多くの国民は知らない。

 そんな国が、今更、まともな民主国家を目指すと言っても、簡単に信じる方がどうかしていると思う。それを信じさせるためには、核兵器の放棄だけでは全く足りない。人権を無視した見せしめの公開処刑も禁止し、この世の地獄とも言われる強制収容所も撤廃すると言うだけでなく、実際に実行しない限り簡単に信じるべきではないと思う。
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