経済・政治・国際

「消費増税」は三度回避されるか?

■“消費増税は危険”と知った上での「消費増税」

 安倍総理は、15日の臨時閣議で、「消費税率については、法律に定められた通り、平成31年10月1日に現行の8%から10%に2%引き上げる予定だ。」と述べ、予定通り、消費増税を行う方針を示した。
 ちなみに、平成31年10月1日という日はない(元号が変わるため)。

 しかし、消費増税による景気の落ち込みを想定してか、大小様々な対策も発表している。

 その対策というのが、
  「幼児教育の無償化」
  「飲食料品に軽減税率を導入」
  「中小企業にポイント還元」
  「自動車の税負担軽減」
  「住宅購入の負担軽減」

 これらの対策案を見る限り、明らかに“消費増税は危険”との認識を持っていることが窺える。

 少し前にも「携帯電話料金の4割減」というものがあったが、ここまで入念で複雑な対策を練る位なら、いっそのこと、消費増税など止めてしまった方がよいのではないか?と思えてしまうのだが、それでも断行しなければならない理由が有るのだろうか?

■「消費増税」 or 「原発再稼働」?

 消費税を未来永劫10%にすれば、日本の財政問題が全て解決するというのなら、10%にすることもやぶさかではないが、最終的にどこまで上がるかも判らない税率を「法律に定められた」という理由だけで安易に上げてしまうのは大きな問題だ。
 
 軽減税率等によって実質的には半分(1%分)は消費者に還元するということになっているらしいので、正味のところ、消費税は9%程度になるということなのだろう。
 しかし、たった1%上げるだけなら、原発を再稼働すれば、1%分の税収(2兆円)は確保できる。

 ここで質問。
 あなたは、次の2案のどちらが良いと思いますか?

 【A案】消費税を10%にして軽減税率を設ける。

 【B案】消費税を8%のままで原発を再稼働する。

 普通の人なら【B案】を選択すると思うが、原発再稼働反対の人達は【A案】を選択するのだろうか?
 原発再稼働反対の人達は、こぞって「消費増税反対!」とも叫んでいるが、どこか矛盾していないだろうか?

■南海トラフ地震級の大災害が起こる危険性

 以前から安倍総理は「リーマンショック級の出来事が起こらない限り消費増税を行う」と述べているが、おそらく少し前までは、米朝戦争が起こると予想して、消費増税は中止になると踏んでいたのではないかと推察する。
 しかし、幸か不幸か、米朝二国間に限って言えば、険悪なムードが後退し、完全にトランプ大統領のペースになっている。
 中国についても、無血戦争たる貿易戦争に終始しているので、当分の間、戦争は起こらないだろう。

 となると、消費増税を回避するためには、戦争以外のリーマンショック級の出来事が起こらなければならないということになるが、トランプ大統領が舵取りしている限りは景気は良さそうなので、金融危機的なこともそうそう起こりそうにない。
 では、戦争や経済問題以外でのリーマンショック級の出来事はあるかというと、自然災害くらいしか残っていない。

 消費増税は与党たる自民党政権にとっては命取りになりかねない悪手だと思われるが、安倍総理は強運の持ち主と言われており、前回の増税時にも熊本地震が発生したことによって消費増税を延期したという経緯がある。
 被災地の人にとっては甚だ迷惑な話だが、安倍総理の強運(悪運の強さ)が本物なら、あるいは今回も大災害が発生して消費増税は回避されるのかもしれない。

 消費増税も大災害もどちらも望まないが、リーマンショック級ならぬ、南海トラフ地震級の大災害が起こらないことを切に願う。
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「世界同時株安ごっこ」の罠

■悲観的なメディアが作り出す空気

 先週、ニューヨークダウが急落し、その影響が全世界の株式市場に連鎖したことで、またまた「世界同時株安」という言葉が喧伝された。その出来事を伝えるメディアのコメンテーターも神妙な顔付きでニュースを伝え、悲観ムード1色という様相を呈していた。

 毎度思うことながら、メディアの悲観的な空気を作り出す演出には感心してしまう。あの空気に逆らえる人はなかなかいないのかもしれない。全メディアが悲観的なことを伝えると、まるで全国民がそのことを動かしようのない既成事実だと錯覚してしまう。

 今年の1月にNYダウが1000ドル以上下げた場面でも「リーマンショック以来の下げ幅」と言って、まるでリーマンショックの再来でも来るかのような悲観ムードを作り出していたが、結局、元の株価まで戻した。

 今回は、ちょうどチャート的にもダブルトップを形成したので、様々な思惑が絡んで押し目の調整が入ったのだろう。その調整と自動売買が重なり、またぞろ、予想以上に大きな急落場面を作り出してしまったというのが実情だろう。

■数字の錯覚を伝えないメディア

 NYダウが急落したといっても、1日にたかだか3%下げただけで、2日間でも5%下げた程度だ。今年の1月にも同じような記事を書いたが、株価が10000ドルの時と26000ドルの時では、全く意味合いが違ってくる。

【関連記事】「リーマンショック以来の大暴落」の嘘

 「日経平均株価が1000円以上急落しました」と大ニュース化しても、株価が10000円の時なら、せいぜい400円程度の下げであり、大したニュースにはならなかったはずだ。
 世に言う「ブラックマンデー」の時の1日の急落率は22.6%で、連動した日経平均株価の急落率も14.9%もあった。それらに比べると3%などというのは暴落とは言えない。

 しかし、こういった数字の錯覚を正確に伝えるメディアが存在していないのはなぜなのだろうか?
 人々に錯覚を伝えず、株価を更に引き下げる(株を投げ売りさせる)ことでも狙っているのではないか?と勘ぐりたくもなる。
 どうせ元に戻ることが判っていながら、下げるだけ下げて儲けようとする。これで騙される人が大勢いるなら、まさに「世界同時株安ごっこ」だと言える。
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「憲法改正」が難しくなった理由(わけ)

■「衣食住足りて憲法を知る」
 
 「安倍 vs 石破」の自民党総裁選が終わった。同じ自民党内にあって未だにモリカケ問題に言及されている石破氏の姿を観ていると残念な気持ちになったが、結果は誰もが予想していた通りだった。
 これでようやく「憲法改正」に着手していく道順が見えてきたと言える。しかし、その道は舗装されていない障害物だらけの険しい山道であることも否定できない事実だ。

 現代では、憲法を変えることに拒絶反応を示す人々が少なからず存在しているが、昔は今ほどでもなかったと言う人もいる。
 終戦後、生きて(食べて)いくのが精一杯だった頃の日本では、「憲法を変える」と言っても、それほど反対する人はいなかった。「衣食住足りて礼節を知る」という言葉があるが、昔は「衣食住不足で憲法を知らない」という人が大勢いたので、憲法の内容などに興味を抱こうにも抱けなかったという時代だった。そんな時代の庶民にとっては、憲法が有ろうと無かろうと、変わろうが変わるまいが、どうでもよかったのである。

 その後、高度成長期を経て時代は変わり、「衣食住足りて憲法を知る」人々が出てきたが、その後、「衣食住が過ぎて憲法を知らない」という人々も大勢出てきた。

衣食住不足で憲法を知らない
      ↓
衣食住足りて憲法を知る
衣食住が過ぎて憲法を知らない

■最大のネックは「国民の無関心」

 貧しかった昔は、憲法よりも「食べ物」に関心が行き、裕福な現代では、憲法よりも「遊興」に関心が行くという具合だろうか。そんなことだから、憲法問題はいつも国民の最大関心事にはならない。

 衣食住に困らず、尚かつ、知的好奇心(問題意識)を持った人でないと憲法に興味を抱けない。ここに最大にネックがあるとも言える。
 「国民の無関心」というものが、憲法改正における最大のネックになっており、そのネックを利用して、なんとか憲法問題から国民の意識を遠避けようとする勢力も存在している。

 昔なら、その気があれば容易に変えることができたものが、現代では余計な知識が付いたせいで変えることができなくなった。これはつまり、いつの間にか、憲法というものに「既得権益」というものが染み込んでしまったということでもある。

■2つの「アメリカ」

 現在の日本国憲法は、GHQ製であることは広く知られている。しかし、GHQ製であるということの意味はあまり知られていない。

 「GHQ」と聞けば「アメリカ」と思う人が大半だと思うが、「アメリカ」というものは1枚岩ではなく、2つの「アメリカ」がある。
 1950年以前の「アメリカ」と1950年以後の「アメリカ」は全く違う。日本国憲法が制定されたのは1947年なので、1950年以前の「アメリカ」が憲法を作ったということになる。

 では、1950年以前と以後では何が違うのか? その大きな違いを一言で言えば、「容共」と「反共」の違いである。
 戦時中のアメリカは、「容共」であり、ソ連とも親和性があり、アメリカ民主党内部には、ソ連のスパイが大勢存在していた。
 マッカーシズム(赤狩り)を行ったマッカーシー共和党上院議員は、当時、嘘を言っていると批判の的にされたが、ソ連が崩壊した後、公に開示されたソ連の秘密文書によって、マッカーシーの言っていたことはほとんど正しかったということが判明した。

 戦時中の民主党内には、米国の社会主義者とソ連の共産主義者が大勢おり、当然のことながら、GHQの中にも存在していた。その彼らが中心となり作ったものが、現在の日本国憲法だった。
 左翼の人達が(知ってか知らずか)日本国憲法を神聖視する理由の1つは、実はそこにあるのだと思う。

 ついでに言うと、「反米」というものにも2つの反米がある。上述した通り、1950年以前の「反米」と1950年以後の「反米」がある。そのどちらを意味しているかで、「反米」を語る論者の立ち位置が分かるが、その区別がつかずに「反米」を語っている人は、何も解っていないということになる。

■「憲法改正」が意味するもの

 自民党の党是である「憲法改正」とは、当初、GHQ製の「社会主義憲法」からの脱却を意味するものだったが、現在では、随分と譲歩されている。

 憲法の内容を時代に則してほんの少し変えるというだけで、嵐のような猛バッシングに晒される。他国では当たり前の憲法改正が、日本では何故にこれほどまでの無理難題になってしまったのか? その理由(歴史的経緯)を知ろうという人々が増えていかない限り、憲法改正はスムーズにはいかない。

 日本にとっての「憲法改正」とは、諸外国のように単に憲法を変えるという意味ではなく、「日本社会を変える」ことを意味している。現在のモラトリアムな半国家状態を良しとする人々には、自らのユートピアを破壊されるという抵抗感情があるのかもしれない。しかし、その感情を優先することは日本の間違った常識であって、世界の非常識であるということを知らねばならない。

  
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携帯電話利用料金「4割減」の経済学

■消費増税の代償が「携帯利用料金値下げ」なのか?

 菅官房長官が札幌市内の講演において、次のような発言をされたらしい。

 「携帯電話の利用料は今よりも4割程度下げる余地がある

 この発言により、携帯電話大手キャリア3社(楽天も含めれば4社)の株価が一時的に急落した。
 逆に多くの消費者はスマホ利用料金が安くなると思い大喜びしているようだ。

 MVNOを利用しているライトユーザーには、毎月1000円程度の基本料金が4割下がってもあまり有り難みもないと思われるが、大手キャリアのスマホを使用しているヘビーユーザーにとっては4割は魅力的に映るのかもしれない。

 ところで、この発言が来年の消費増税を見越したもので、消費者の不満のガス抜き政策との噂も飛び交っている。真相のほどは定かではないが、確かに考えられなくもない。
 しかし、携帯利用料金が安くなるのは良いとしても、政府の政策(失策)の補填(尻拭い)をなぜ民間企業が肩代わりしなければならないのかは疑問ではある。

■政府の尻拭いをしているネット証券

 もし本当に政府が消費増税の尻拭いを考えているのであれば、携帯利用料金以前に他の税金を引き下げることを考えていただきたいものだ。
 例えば、株式売買における譲渡益課税を現行の20%から10%に引き下げるとかした方が国民の納得度も高いと思う。

 今から15年程前のネット証券の売買手数料は、10万円以下の株式で片道700円位だったと記憶している。その当時は、株式の譲渡益課税が10%だったので、仮に1万円の利益が出た時点で売却した場合、手取り額は以下のようになっていた。

 10,000円−1,000円(税)−1,400円(手数料)=7,600円

 現在はネット証券の企業努力(安値競争)によって、10万円以下の株式の売買手数料が100円以下になっている。この場合、1万円の利益が出た時点での売買コストを計算してみると手取り額は以下のようになる。
(注)復興特別税は計算に入れていない。

 10,000円−2,000円(税)−200円(手数料)=7,800円

 この計算で判ることは、政府の増税分を民間企業が肩代わりしたことによって、トータルコストが下がり手取り額が増加しているということだ。
 普通に考えると、期間限定で10%にしていた譲渡益課税を20%に戻せば株式市場が低迷するはずだが、民間企業の企業努力(安値競争)によってその低迷が避けられたことを意味している。

■携帯利用料金が下がれば、税収も減少する

 消費税が2%アップされるということは、毎月5万円を消費する人なら1000円程度の出費増となる(出費が増えるというよりも1000円分の消費ができなくなるという意味)。しかし、携帯利用料金が4割も下がれば、2000円以上の出費減となるので、プラスになる人が多くなる。(日本のスマホ月額平均料金は6342円)

 しかし、個人の消費活動のかなりのウエイトを占めていると思われる携帯利用料金が大きく下がるということは、政府の税収も下がるということなので、税収増加を目的とした消費税を上げる意味が大きく薄れてしまうことになる。
 携帯利用料金を下げるとか、一部の商品に軽減税率を適用するというような中途半端で複雑な増税策なら、いっそのこと、消費増税を中止した方がスッキリするような気もする。政府はトランプ大統領を見習って、減税路線に切り替えるべきだと思う。


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「民主」という曖昧過ぎる言葉

■「民主」という言葉が意味しているもの

 「民主」という言葉を聞いて、真っ先に思い浮かぶのは「民主主義」という言葉だと思われるが、世の中に出回っている「民主」という言葉には、首を傾げたくなるようなものが多い。

 例えば、「朝鮮民主主義人民共和国」などは、その最たるもので、どう見ても民主主義とは思えない国が「民主」を名乗っている。ついでに言えば、「共和国」というのも、明らかに間違っている。
 「共和国」というのは、「君主がいない国」という意味であり、「君主」とは「世襲により国家を統治する人」という意味になる。そう考えると、何から何までが出鱈目ということになってしまう。
 北朝鮮の国名を実態(実体)に即して言うなら、「朝鮮社会主義独裁君主国」ということになると思う。

 北朝鮮の国名1つからも判る通り、戦後、「民主主義」という言葉は、「社会主義」という意味合いで使用されてきたとも考えられる。報道されるところの「民主主義」という言葉は、実は「社会主義」を意味していることが多々あると思われるので、注意しなければいけない。

■「他党の理解」と「国民の共感」は無関係

 さて、今回、自民党総裁選に出馬することが決定した石破氏の安倍総理批判の言葉の中にも「民主主義」という言葉が入っている。

>「(安倍総理は)ずいぶん9条に拘っているが、他党の理解と国民の共感を得てやるものは他にありはしないか。先にスケジュールありきで、民主主義の現場を理解していないとしか思えない。

 石破氏の言うところの「民主主義の現場」とは、一体なにを意味しているのかは分からないが、「先にスケジュールありきなら民主主義ではない」というのは言葉としては正しい。「計画経済」という言葉もある通り、「先にスケジュールありき」は社会主義である。

 「他党の理解」と「国民の共感」とあるが、憲法改正は憲法を変えることに反対の護憲政党には「理解」が得られるはずがないだろうし、憲法改正の意義を広く国民に周知させた上でなければ国民の「共感」など得られるはずがない。「先にスケジュールありき」で、憲法を変えることを邪魔しているかに見える護憲マスコミや護憲政党は民主主義の現場を理解していると言えるのだろうか?

 もし、改憲を行おうとする行為が、安倍総理個人のスタンドプレーであったなら、この言葉は正しい。しかし、自民党の党是は「自主憲法制定憲法改正」であるので、選挙によって選ばれた政党が「憲法改正」を目的とするのは別に不思議なことでもなく、むしろ当然の行為だと言える。

 逆に言うなら、選挙によって選ばれなかった政党が、「憲法改正」を否定すること自体が、国民の意思を無視していることになる。

 「他党の理解」と「国民の共感」というのは、それぞれ別々のものであり、ベクトル的にも同じ方向を向いたものとは言い切れないので、どちらも満たさなければならないということであれば辻褄が合わなくなる。
 「国民の共感」を得た政党が、「他党の理解」も得る必要が有るという理屈は矛盾しており、必ずしも両立しないことは、よく考えれば誰にでも解ると思う。
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QBハウスの「価格破壊」と「料金値上げ」

■カット料金1,200円はまだまだ安い

 2014年2月にそれまで1,000円だったカット料金を1,080円に値上げ(消費増税分を値上げ)したQBハウスが、今度(2019年2月から)は1,200円に値上げするらしい。
 値上げする理由は、カット専門店との競争激化や人材不足による人件費高騰のためとなっているが、おそらく来年の消費税増税も見越してのことなのだろう。

 消費者サイドからすれば、実質5年で2割も値上げになるわけだが、これまでが安過ぎたせいか、反対する人よりも肯定する人の方が多いようだ。無論、私も個人的には値上げには賛成だ。(理由は後述)
 私個人はQBハウスではなく、一般の理容店(3,600円)を利用しているので、1,200円でも、まだまだ安いと思う。

 QBハウスの影響で安価なカット専門店が増えたこともあり、一般の理容店に行くと利用客が激減している。そのため、待ち時間がほとんど無いというメリットがある(理容店にとってはデメリットだろうけれど…)。
 しかし、いくら安くても、1時間も2時間も待たなければならないということになると時間の無駄(=お金の無駄)になるので、休日しか休めない会社員は多少、お金がかかっても空いている理容店の方が有り難い。「床屋談義」という言葉もある通り、店主と世間話ができるのも一般の理容店ならではサービスとも言える。逆にそういった対人サービスは不要(うざい)という人や、平日でも休める人であればQBハウス等の方が向いているのかもしれない。

■価格破壊業者の「責任」とは?

 「価格破壊」という言葉があるが、良くも悪くもQBハウスも理容業界における価格破壊業者だったのだろうと思う。

 あまりにも料金が高止まりしているような業界に、価格破壊業者が参入すると、料金が適正価格まで下がる…と言うのが、市場における理想的な価格形成メカニズムとする向きもあるが、実際は、そう簡単には行かず、価格だけでなく市場まで破壊されるというリスクが有る。
 市場原理は絶対だとする原理主義者にこういうことを言っても、鼻で笑われるだけかもしれないが、気にせずに話を続けよう。

 例えば、赤字ギリギリまで料金を引き下げる価格破壊業者が市場に出現した場合、1円の利益を競っての消耗戦(所謂、レッド・オーシャン)となり、競争に付いていけなくなった企業は潰れてしまう。その後、その価格破壊業者までが利益が出ずに潰れてしまった場合、価格だけでなく市場までが破壊されたということになってしまう。散々、市場を荒らした挙げ句、無責任にも当の価格破壊業者までが潰れてしまった場合、結果的には価格破壊業者は「市場破壊業者」となってしまう。

 もっと具体的に言えば、牛丼一杯200円の価格破壊業者が現れ、その他の牛丼店が全て潰れてしまい、最後に残った価格破壊業者も“一杯200円”に拘り利益が出ずに潰れてしまった場合、まさしく牛丼市場を破壊したことになってしまう。

 だから、価格破壊業者には責任がある。価格を破壊する限りは、最後まで市場を破壊せずに消費者に対するサービスを継続しなければならない。そうでなければ、レッド・オーシャンに沈んでいった同業者、言い換えれば、無意味な薄利競争で潰れていった同業者が浮かばれなくなる。

 それゆえにこそ、下がり過ぎた料金は、素直に上げることが望ましい。“1カット1,000円”に拘るあまりに経営が成り立たなくなり潰れてしまっては、結果的に「市場破壊業者」となってしまい元も子も無くなってしまう。消費者に迷惑をかけないために、適正な料金に値上げすることもまた価格破壊業者の「責任」だと思う。
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『働きたい時に働く改革』が始まった

■『働き方改革』よりも『働きたい時に働く改革』

 国会内で政治家達が『働き方改革』の内容について「あーだ」「こーだ」と揉めている最中、民間企業内では、本当の『働き方改革』が水面下で進行していたらしく、働く時間の自由を求めて、敢えて非正規雇用を選ぶ人が増えているらしい。

 昨今の人手不足で賃金も上昇しつつあり、厚生年金にも加入できる非正規雇用が出てきているため、月給をもらうためだけに無駄な労働時間に縛られるよりも、「働きたい時に働く」という合理的な労働スタイルに魅力を感じる人が増えてきたということなのかもしれない。

 「非正規を正規に!」と叫んでいる人々がいる一方で、自ら進んで非正規になっている人が大勢いる。なんとも皮肉な現象だが、自ら非正規を選んでいる人にとっては「非正規を正規に!」と言われても大きなお世話だろう。

 『働き方改革』は、イメージ的に「働きたい」よりも「働きたくない」という感情が優先されているような感じがする。そんな中、「働きたい」を重視した『働きたい時に働く改革』に注目が集まるのは時代の趨勢と言えるのかもしれない。
 単に「仕事(残業)はしたくない」ではなく、「無駄な仕事(残業)はしたくない」の方がより健全な思考だと言える。

■「同一労働同一賃金」はミッション・インポッシブル

 『働き方改革』が目標としている「長時間労働の是正」と「同一労働同一賃金の実現」は、より本質的に書けば以下のようになる。

「(無意味な)長時間労働の是正」
「(公平な)同一労働同一賃金の実現」

 この2つを実現するために必要なことは次の通り。

 ○8時間分の仕事を6時間でできる人には、

  →2時間早く終業できるようにする。
   (帰れないなら2時間分、給料を上げる)

 ●8時間分の仕事を10時間かかる人には、

  →2時間分の給料を減額する。
   (2時間分、残業する必要がなくなる)

 あくまでも限られた一例だが、これで、2人で16時間以上費やしていた労働時間を実質的に12時間(給料を考慮しての時間)まで圧縮できるので、長時間労働の是正に繋がり、同一労働同一賃金にも少しは近づく。無論、労働生産性もアップする。

 しかし、前者(○)を認めれば「不平等だ!」という批判が出て、後者(●)を認めれば「それはできない!」という批判が出る。「8時間分の仕事を6時間でできる人」には文句を言う理由がないので、どちらの批判も、ここで言うところの「8時間分の仕事を10時間かかる人」から出てくることになる。

■「平等」は「不自由」を齎し、「公平」は「自由」を齎す

 8時間分の仕事で10時間分の給料を貰うことは普通に考えても不自然だと思うのだが、なぜかこの国では、そういった当たり前の常識が通用しなくなっている。「同一賃金」ばかりに意識が向けられ、「同一労働」というものが考慮されていない(曲解されている)状態だとも言える。

 以前にも指摘したことだが、「同一労働同一賃金」というのは、その言葉の通り、「同じ労働は同じ賃金」ということ、つまり「能力給」のことを意味している。それにも拘らず、仕事を行う能力に関係なく同一賃金になるという幻想を追いかけているため、実現不可能になってしまう。

 政府の音頭に関係なく、「働く時間の自由」を求めて自ら非正規労働を選択する人が増加している背景には労働における価値観の変化がみてとれる。
 「平等」を追い求める「同一労働同一賃金」は不可能なので、「公平」な労働形態である非正規労働にシフトしていく人が増えているのかもしれない。

 先行きの見えない変化の激しい時代であるからこそ、正規・非正規間の収入・待遇にそれほどの開きがなくなれば、時間に縛られ過ぎる正規雇用よりも、時間に余裕の持てる非正規雇用を選ぶ人がいても何ら不思議なことではない。
 この現象は、“「平等」は「不自由」を齎し、「公平」は「自由」を齎す”という当たり前のことが認識されつつあることを物語っているのかもしれない。
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理想的な「同一労働同一賃金」とは?

■目標が曖昧模糊な「同一労働同一賃金」

 6月29日に政府肝いりの「働き方改革法」が成立した。
 この法案の中身については、賛成できるものもあれば、反対したくなるものもあり、一概に評価し難いものがあるが、結果的には「改善」だけではなく「改悪」となる部分もありそうだ。

 政府は、これまでにも『ハッピーマンデー』や『プレミアムフライデー』など、世間一般の民間企業の労働環境を無視したかのような浮世離れした制度を実施してきた経緯があるので、『働き方改革』についても今後の成り行きを注意深く観察する必要がある。

【関連記事】
 形骸化している『ハッピーマンデー制度』

 「プレミアムフライデー」よりも「バリューサースデー」

 「働き方改革」において最も注目すべきは、やはり「同一労働同一賃金」の実現だろうか。その実現の成否はともかくとして、政府は「正社員と非正規労働者の不合理な待遇差を無くす」ことを目的としている。しかし、具体的にどうするのかは未だ判らず、曖昧な目標を掲げている状態だ。

■見落としがちな「会社への貢献度」

 以前のブログ記事で、「正社員と非正規労働者の給料の額面を同じにしても同一労働同一賃金にならない」と書いたことがある。正社員限定の各種の福利厚生を無視して、給料だけを同額にしてもトータル的には同一労働同一賃金にはならないと書いた。

【関連記事】
 「同一労働同一賃金」という言葉を都合よく利用する人々

 しかしながら、「会社への貢献度」における給料の違いというものも考える必要があると思う。こう書くと「年功序列制度」と混同してしまうかもしれないが、「年功序列制度」というのは、会社に勤めているだけで誰でも自動的に給料が上がっていくというシステムなので異なる。
 「会社への貢献度」というのは、貢献した度合いによって、評価が違ってくる制度のことを意味する。無論、正社員であっても非正規労働者であっても変わらない。

 例えば、長年、勤続して、時には会社の経営危機を救ったような人物と、今年入社したばかりの人物が、表面上、全く同じ仕事をしているからといって、給料が全く同じでは「会社への貢献度」というものが全く考慮されていないことになってしまう。
 ただ会社に勤めているだけで年々、給料が自動的に上がっていくという「年功序列制度」は歪な制度だが、「会社への貢献度」を無視した同一労働同一賃金もまた歪な制度だと言える。

 同じ仕事をしている労働者を次のような4つのグループに分けてみよう。

 A、仕事がよくできて、会社への貢献度も高い人
 B、仕事はできるが、会社への貢献度は低い人
 C、仕事はあまりできないが、会社への貢献度は高い人
 D、仕事はできず、会社への貢献度も低い人

 こういったA〜Dの労働者がいるとすれば、それぞれ給料が違って然るべきだと思う。しかし、Aに属する人同士は同じ給料、Dに属する人同士は同じ給料とするのが、本当の意味での「同一労働同一賃金」だと言える。「同一労働同一賃金」というものは、マクロ的(グループ的)には同じでも、ミクロ的(個別的)には違うのである。

■「同一労働同一賃金」の要諦は「公平」

 会社への貢献度の高低は評価が非常に難しいかもしれないが、「同一労働同一賃金」は「平等」ではなく「公平」に根ざした制度でなければ意味がない。年功序列は「平等」を意味するが、会社への貢献度は「公平」を意味している。
 「同一労働同一賃金」とは、どんな労働者でも賃金は一律平等にしなければならないという意味ではなくて、個別の労働力と貢献度の度合いによって賃金を公平にする(=不平等にする)ことを意味する。

 労働の質と量、会社への貢献度の度合いによって給料の差異を設けるが、同じ労働と貢献をしている人間には差異を設けないという公平な制度こそが理想的な「同一労働同一賃金」だと言える。

 「同一労働同一賃金」も、共産主義的な悪平等な制度に堕すれば、労働者は皆、やる気を失い、失敗するということを肝に命じなければならない。
 「働き方改革」の要諦は、「悪平等」な制度を「公平」な制度に変えていくことにある。目指すべき「公平」が、いつの間にか「平等」に掏り替わらないように注視しなければならない。

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自動車輸入関税は25%に向かうか?

■「25%」という心理トリック

 トランプ政権が自国アメリカへの輸入車に25%もの関税を課す可能性があることが不安視され、その影響を受けてか、日本の株式市場も冴えない展開が続いている。

 現在2.5%の自動車輸入関税がいきなり10倍の25%にまで跳ね上がれば、確かに輸出企業にとっては大打撃になる可能性がある。しかし、おそらくこの問題は、現実的に考えれば、十中八九、杞憂に終わるのではないかと思われる。
 トランプ氏の10倍思考というのは有名な話であり、ギャラでも10倍の値段を吹っかけることによって、本来の値段以上の実利を手にしてきたのがトランプ氏の手法だ。

 例えば、「2.5%の自動車輸入関税を5%にする」と言えば、いきなり関税が2倍に上がるわけだから、皆、一様に「2倍も上げるなんて酷い」と思うだろう。しかし、「2.5%の自動車輸入関税を25%にする」などと言えば、皆、揃って絶句する。
 その後、「やっぱり5%で手を打とう」となると、皆、こぞって喜ぶだろう。「5%で助かった…」と。

 元々、「5%は無茶だ」と思っているような人が、なぜか「5%で助かった…」と安堵の息を漏らす。まさにトランプ流ビジネスにおける真骨頂…否、単なる数字トリックだ。人々の錯覚を上手く利用し、不可能を可能にする心理トリックとも言える。

 しかし、こんな単純な心理トリックにコロッと引っ掛かるのが、悲しいかな、多くの日本人の残念な特徴でもある。

■新相場格言「落ちてくるナイフは1度につかむな」

 「25%」という非現実的な言葉に踊らされて、現実に株を投げ売りして大損する人がいる一方で、その隙に乗じて株を安値でコツコツ拾っている人がいる。まさに対称的な光景だ。
 株式市場の低迷時における毎度のいつか観た光景とも言えるが、どちらが投資家に向いているかは考えるまでもないだろう。

 株式相場の格言に「落ちてくるナイフはつかむな」というものがある。要するに「株は底値を見極めてから買うべき」ということを意味しているが、底値なんて誰にも分からない。
 無論、落ちてくるナイフ選びが重要であることは言うまでもないが、落ちてくる無数のナイフを一度に掴もうとするから怪我をする。余裕を持って落ちてくるナイフを1本づつ掴むことができれば、危険度は大きく低下していく。ゆえに正確に言うなら、次のようになる。

 「落ちてくるナイフは1度につかむな

 なお、毎度のことながら、株式投資は自己責任でお願いします。


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「モリカケ騒動」で生まれた真の「疑惑」

■「いじめ」を見て見ぬふりをする教育委員会

 2年前(2016年10月)に神戸市の市立中学校3年生の女子生徒が自殺した事件があった。その後、同学校の同級生から聞き取ったとされるいじめの証拠を示すメモが作成されていたが、市教育委員会がそのメモを隠蔽していたという事実が今頃になって判明した。
 同教育委員会の人間が、同学校の校長にも「メモは存在しないもの(=いじめは無かった)」と口裏を合わすことを要求していたという。

 これだけ、いじめの増加が社会問題になっていても、相変わらず、教育委員会の事勿れ主義は全く変わっていないようだ。人前では「いじめは悪いことだ」と講釈を垂れながら、いじめを無くすことに邁進するのではなく、いじめを隠すことに躍起になるという、教育者(人)としてあるまじき行為を為しても恬として恥じる様子がない。こんな無責任な教育者が管理する学校に子供をあずける親はたまったものではないだろう。

■「いじめ問題」をスルーする政治家達

 「モリカケ問題」で騒いでいる政治家も、疑惑の段階で止まっているような案件よりも、はっきりと隠蔽していたことが明らかになった「いじめ問題」を追及した方が国民からの評価も上がり支持率も上がると思われるのだが、なぜ、そういう当たり前のことをやろうとしないのだろうか? なぜ、「いじめ問題を隠蔽していた人物を証人喚問しろ!」と言わないのだろうか? 「いじめを隠蔽した人間は責任をとって辞任しろ!」と、なぜ言わないのだろうか?
 
 はっきり言って、まともな国民の関心事は「モリカケ問題」よりも「いじめ問題」の方だろうと思う。「モリカケ問題」がどうなろうと多くの国民の生活には全く関係がないが、「いじめ問題」は国民の生活と直結した無関心ではいられない問題だ。「いじめ」を無くすことを願っている国民は数多いが、「モリカケ」の解決を願っている国民など、実質的にはほとんどいないだろうと思う。そんな小さな問題はどうでもよいというのが一般国民の率直な感想だろう。

■「モリカケ問題」<「いじめ問題」

 野党5党も、安倍総理を批判することが目的なら「モリカケがどうのこうの」と言うよりも「いじめ問題を放置するな」と言えばいい。
 そう言えば、与党も重たい腰を上げて、いじめ問題に取り組まざるを得なくなり一挙両得だ。
 本当に社会を良くしたいという気持ちから、安倍政治を批判しているのであれば、「モリカケ問題」から「いじめ問題」に乗り換えればいい。そうすれば、与党・野党問わず政治家全体の評価も上がり、少しはまともな社会になるはずだ。

 そんな当たり前のことができない社会(政治)にこそ、多くの国民はうんざりしている。
 多くの国民はモリカケ問題の「疑惑」よりも、「この国の政治家には本当に国を良くしようという気持ちが有るのだろうか?」という「疑惑」を抱いているのである。その「疑惑」の払拭なくして、支持率の上昇は有り得ないということに気付かなければならない。

【追記】2018.6.09
(BLOGOS転載記事のコメントに対する返答になります)

>そもそも論として、イジメ問題を政治で解決できると思ってるのがバカ。

 いじめ問題を政治の力で完全に無くすことはできないでしょうけれど、世間のいじめに対する空気を変えることは可能です。いじめを行った加害者やいじめを隠した教育者が世間から糾弾されるという空気を創り出すことができれば、いじめは今よりも減少するはずです。

>論点違うよ。スルーしてんのは教師。
なんでスルーしてるかっていうとやること多すぎて忙しいってのと、厳しく叱ると「体罰だ」なんだ言われるし、モンペもうるさいから。

 本記事で問題としているのは教師ではなく教育委員会です。体罰の認識問題のズレも、行き過ぎたポリコレが根本的な原因であり、事勿れ主義の政治にも問題があります。

>なんにでも安倍さんが写ってるんだな。
 もう病気ですよ。

 それは、安倍総理の失脚しか目に入っていない人のことです。

>「いじめ問題を隠蔽していた人物を証人喚問しろ!」→これ、意味分かる?

 字義通り、証人喚問せよという意味で書いているわけではありません。それぐらいの気概を持って欲しいという意味でのアイロニー(皮肉)です。

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