経済・政治・国際

「嘘も百回言えば真実になる」のはなぜか?

■「社会主義現代化強国」=「情報統制独裁国」

 第19回中国共産党大会において、習近平氏は2050年までに「社会主義現代化強国の建設を目指す」と語った。中国は文化統制を強化する姿勢も強めており、ネットの検索規制も強化している。中国ではグーグルだけでなくヤフーの検索も利用できなくなったことも大きな問題になっており、情報統制がこれまでになく強化される国になっていくということなのかもしれない。

 人間が正しさを認識するためには、考え方(思想)の両極端を知る必要がある。極右を知り、極左を知れば、その中間が分かる。しかし、その両極端を知ることができなければ、人は何が正しくて何が間違っているのかということを判断できなくなる。
 それが真実であることは現在の北朝鮮や、かつてのオウムのようなカルト教を観ればよく解る。僅かな範囲の情報や思想しか知ることができない人々は、ものの見事に洗脳されてしまう。何が正しいか、何が間違っているのかが分からない環境下に置かれているからである。

■「朱に交われば赤くなる」原理

 では日本はどうだろう。戦後のGHQの洗脳プログラムによって、右側の思想をシャットアウトされ、左側の思想ばかりが伝播された戦後の日本も、やはり同じように何が正しくて、何が間違っているのかが分かりづらい国になってしまったと言える。
 戦後の新聞やテレビは総じて左側だったので、インターネットの無い時代は、一部の読書家でしか右側の保守的な思想に触れることができなかった。
 左側の思想という限られた範囲内で、正しさを判断しなければならないので、どちらに転んでも、左側が正しいということになってしまう。保守は存在せず、リベラルと左翼のどちらが正しいか?という狭い範囲で善悪を判断しなければならない場合、どちらも正しくない場合でもリベラルが正しいということになってしまう。

 人は、たとえ興味が無いことであっても、繰り返し聞かされることにより、自然と覚えてしまうという特性を持っている。例えば、興味のないアーティストの音楽であっても、毎日観ているテレビ番組のバックグラウンドミュージックで流れていれば、その曲を自然と覚えてしまい、自然と口ずさみ、興味を持つに至ることがある。これなども、一種の洗脳の原理が機能している証拠であり、潜在意識に繰り返し同じ曲や言葉が刷り込まれると、気付かないうちに、その曲や言葉が、自分の思想の一部になってしまうことがある。

 「嘘も百回言えば真実になる」という言葉の通り、当初は、たとえフェイクニュースであると分かっていたとしても、何度も何度もフェイクニュースが流され、それを聞いているうちに、知らず知らずのうちに、そのフェイクニュースの影響を受けることになる。「虎穴に入らずんば虎児を得ず」と言うが、しっかりとした善悪観を持っている人でないと、「ミイラ取りがミイラになる」や「朱に交われば赤くなる」ということになってしまう。

■「情報の解放」が「情報を濾過」する役目を果たす

 卑近な例で言えば、悲観的な言葉ばかりを使用する両親に育てられた子供は、自然と悲観的な言葉が心にインプットされ、悲観的な人間に成長してしまうことがある。間違ったことばかり言っている両親であっても、これは同じであり、「日本は悪い国だった」という戦後教育もこれに準じている。

 真実の情報を流さずに嘘の情報ばかりが流れるメディアというものは、ある意味、汚染された水を海に流す工場のようなものであり、その汚染された海から得た情報は人間の精神性を破壊する毒にも成り得る。そういった毒水を飲み過ぎて思想的な病を発症した人々は、今度は自ら毒水をまき散らし、無意識的に社会を蝕んでいく手伝いをすることになる。

 「情報統制」とは、工場から流れる汚染水を取り締まることなく、流し続けるようなものだと言える。つまり、「情報の統制」とは、裏を返せば「汚染水の解放」に他ならないのである。「汚染水」を規制したくば、「情報の解放」を行い「情報を濾過」しなければならない。
 「情報の濾過」こそが嘘情報から身を守り、正しい社会を築くための処方箋になると考えれば、中国の行っていることは真逆の政策ということになる。


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日本のリベラルの「自由」とは?

■「社会自由主義」としてのアメリカの「リベラル」

 以前のブログ記事で、「リベラル」とは「化粧言葉」だと書いたことがある。これは日本のみの話ではなく、アメリカでも同様で、元々、「社会主義」や「共産主義」という言葉を使用することが憚られる場合に用いられる仮面のようなものだと言える。

 戦前(1930年頃)はアメリカでも日本でも大不況の波に呑み込まれたので、当時の経済システム(資本主義)ではダメだとする風潮が世を覆った。ちょうどその頃、「ソ連では景気が良い」という話が飛び交っていたため、「ソ連は理想の国」だと思い込んだ人々が大勢いた。この辺のところは、近年、「北朝鮮は地上の楽園」と思い込んだ人々とよく似ていると言える。

 当時のアメリカでは、それまで日陰の存在だった「社会主義」という言葉を使用するのに抵抗があったので、「社会自由主義」という意味合いで「リベラル」という言葉を使用し、ニューディール政策が推し進められた。一見すると「自由な政策」というイメージがするが、実質的にはソ連の経済システムを模した「社会主義政策」そのものだったため、その失策が祟って、第二次世界大戦に突入していった。

■「リベラル」と「リバタリアン」の違い

 アメリカには「リバタリアン」という人々がいることもよく知られているが、「リバタリアン」と「リベラル」は似て非なるものである。もし「リバタリアン」と「リベラル」が同じ「自由」を意味するものであるならば、「リバタリアン」はリベラル・パーティーである民主党にこそ属しているはずだが、実際はその逆で、「リバタリアン」は基本的に共和党に属している。「リバタリアン」が「リベラル」を標榜する民主党ではなく、「保守」を標榜する共和党に属していることが、「リバタリアン」と「リベラル」が同一のものではないという証拠でもある。

 「リバタリアン」とは、極論すれば「国家はいらないという考えを持った人々」を意味している。国家は必要最小限のことを管理するだけで、後は全て個人の責任で人生を管理することを理想(合理的)とする人々のことでもある。
 「リバタリアン」には独りで自活していける自信を持った有能が人が多い。国に頼らなくても独りで生活していけるだけの充分な能力と資産を有している人であれば、わざわざ高額な税金を支払っても意味がないと考える人がいてもなんら不思議ではない。日本で言えば、ホリエモンのような人物がリバタリアンに近いと言えるかもしれない。
 「リバタリアン」は「無政府主義者」とも言われるが、「共産主義者」のような「国家破壊主義者」ではない。

 アメリカの「リベラル」というのは、民主党のオバマケアを見れば分かる通り、国家に依存することを是とする思想を持つ人々である。ただし、アメリカの「リバタリアン」も「リベラル」も、国を憎んでいるわけではなく、愛国者であることには違いはない。

■リベラルであってリベラルではない「日本のリベラル」

 一方、日本のリベラルというのは、GHQの占領政策によって生まれた特殊な存在(人々)を意味している。本来、自由には責任が伴うものだが、日本のリベラルには責任感が欠如しているという特徴がある。

 日本のリベラルの自由とは、以下のようになっている。

 リベラルの自由=義務を果たさずに権利だけを要求する「自由」

 リベラルの言論の自由=好き勝手なことを言う「自由」

 リベラルの表現の自由=他人の意見を罵倒する「自由」

 本記事冒頭で「化粧言葉」と述べたが、日本のリベラルには化粧している時の顔と化粧していない時の顔があるため、その時と場合に応じて、言葉も巧みに使い分けられる。「二枚舌」という言葉通り、言っていることに統一性がなく、言行不一致が多く見られるのも日本のリベラルの特徴だと言える。

 国に依存しながら国を批判する。その姿は、税金を納めずに税金の使い道をあれこれと詮索するようなものであり、まさしく、義務を果たすことなく自らの権利のみを要求する姿勢とピッタリと重なる。自己中心的で自分勝手、他人の物は自分の物、自分の物も自分の物、好き勝手な放埒さを「自由」だと錯覚している大人に成り切れない空想主義者、それが日本のリベラルの実相である。

【追記】2017.10.16
(BLOGOS転載記事のコメントに対する返答になります)

>そんなことはない。「リバタリアン」は自ら書かれている通り「無政府主義」なので、「国」という概念は無きに等しく、よって「愛国者」であるはずがない。

 「リバタリアン」にも程度の差というものがあります。「無政府主義」というのは極度なリバタリアンのことを指した言葉であり、全員がそうだというわけではありません。「リバタリアン」であっても母国であるアメリカ人であることを誇りに思っていないわけではありませんので、愛国者であることには変わりがないということです。

>むしろ「共産主義」の方が「愛国者」であるだろう。財産の私有制を否定して全財産を国家管理に置くことを目指しているなら、愛国心がなければ、到底、受け入れられまい。

 私有財産を否定することが、なぜ愛国者になるのか理解できません。共産主義者が私有財産を否定するのは貧富の差が我慢ならないという嫉妬心が有るからであり、国(?)が財産を管理すれば、誰もが(働かなくても)平等にお金を受け取れると思っているからだと思います。

>この人、全体主義者なのに、なぜ自由人と名乗ってるのか、不思議ですね。

 BLOGOSのプロフィールにも「自由に考える人」と書いています。「自由に考えること」に全体主義者も自由主義者もありません。

>誰も指摘しないのですが、筆者の知識が無さすぎなのにはあきれます。
「無政府主義者」は「アナーキスト」と称し、一般に言う「リバタリアン」はそれとはかなり違います。

 「リバタリアン」は「無政府主義者」だと断言はしていません。文中、“「リバタリアン」は「無政府主義者」とも言われるが、”と書いた通り、「無政府主義者」だと言う人も少なからずいるということです。先のコメントにも書きましたが、「リバタリアン」にも程度の差があり、その定義にも幅があるということです。

>リバタリアンとして無政府など真っ平ごめんです。

 誰も無政府が良いなどと書いていません。私もリバタリアンではありませんので誤解のないように。

>ニューデール政策の効果もあって、1935年から、米国経済は回復に向い、1939年には、何とか大恐慌の始まる前の水準にもどりました。

 1933年にニューディール政策が施行されてから数年間は失業率も下がり続けましたが、その後、また失業率が上昇に転じました。1937年には15%以下まで下がりましたが、1938年には20%近くまで上昇しています。翌年(1939年)から、戦争特需で景気が回復していったというのが実際のところです。
 ソ連の5カ年計画を見ても分かる通り、社会主義政策は最初は上手くいくのですが、数年経てばボロが出て行き詰まることになるというのが定説です。アメリカの場合、皮肉なことに公共事業等に反対する人々が多かったため、ドイツと違って全体主義的な経済政策はそれほど上手くいきませんでした。ケインズ自身、「ニューディール政策では不況を脱することはできない」と述べていますし、「戦争でも起こらない限り目的は達成できない」とも予言(?)しています。

>文章から読むに、あなたが言う「国」とは、「自民党」という事なのだろう。自民党は国じゃないですよ。 あと、自民党もまた国に依存する存在だよ。

 一体どこから「自民党」が出てくるのか疑問ですが、一言だけ言っておくと、国民も「国」に属しています。「国」をテーマにするなら、「自民党」という「枝葉」ではなく、「国民」という「」に目を向けてください。


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時代の必然だったトランプ政権誕生

■「もう1つのアメリカ」の実体

 既に1年前の書籍になるが『マスコミが報じないトランプ台頭の秘密』(江崎道朗著)を読んでみた。

 著者の江崎道朗氏は「コミンテルンハンター」との異名を持つ評論家であり、ベストセラーになった近著『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』が非常に面白い本だったので、本書も読むことになった。

 トランプ氏が大統領になることを予告していた評論家は数少ないが、江崎氏もその数少ない論客の1人になるのかもしれない。本書には、そのタイトルの通り、アメリカ社会にトランプが台頭した秘密がズバリ書かれている。「マスコミが報じない」と言うより、いろんな意味で「マスコミが報じられない」と言った方が正しいのかもしれないが、日本では全くと言っていいほど認識されていない「もう1つのアメリカ」の実体(実態)が赤裸々に書かれている。

■オバマ元大統領の「チェンジ」の意味

 アメリカのニュースメディアの偏向ぶりは日本よりもひどいらしく、アメリカには産経新聞のような保守系の全国紙(ニュースペーパー)が無いらしい。ニューヨーク・タイムズがリベラル左翼系の新聞というのは有名だが、保守系の新聞が無いというのは驚きだ。
 リベラル左翼系の新聞しかないということは、トランプ氏が大統領選に出馬したことを報じていたアメリカのニュースメディアからの情報は、全て偏向した内容だったということになる。保守系のトランプ氏を擁護するような情報など出てくるはずがないわけで、「泡沫候補」とか「差別主義者」とか、ネガティブな情報ばかりが伝えられていた背景にはちゃんとした理由があったというわけだ。
 日本のメディアには「トランプが大統領になったら世界経済が終わる」などと宣っていたエコノミストもいたが、このての人々はアメリカ社会の実像を全く知らないことを自ら自白していたことになる。

 オバマ元大統領の「チェンジ」は、アメリカを良くするための「チェンジ」ではなく、アメリカを社会主義化するための「チェンジ」だったというのも驚きで、我々はその立派な言葉にまんまと騙されていたことになる。オバマが社会主義者であることは知っていたが、オバマの両親がバリバリの共産主義者だったというのは知らなかった。

 日本には「ウォー・ギルト(戦争の罪)」というものがあるが、アメリカにもオバマ政権が齎した「ホワイト・ギルト(白人の文化は罪)」というものがあるらしく、学校では「黒人奴隷から搾取した白人は黒人に配慮しなければならない」とする自虐教育が行われているらしい。

■トランプ大統領は日本のヒーロー

 国境というものを重要視するトランプ大統領であるからこそ、地球の裏側にある日本という同盟国の危機にも注意を払うことができる。これが、国境を軽視するリベラル派のヒラリーであれば、一体どうなっていたのかを考えると実に恐ろしい。「世界の警察を辞める」と言った民主党のオバマに続いて民主党のヒラリーが大統領になっていれば、日本は北朝鮮に隷属する(いじめられる)だけで何もできず、何も言えない国になっていたかもしれない。

 そういう意味で日本人は、アメリカにトランプ政権という保守政権が誕生したことを我が事のように喜ばなければいけないのかもしれない。現状、北朝鮮からの攻撃を止めてくれる日本のヒーローはトランプ大統領しかいないのだから。

 最近の日本の政治では、「希望の党」や「立憲民主党」が出来て、「保守」や「リベラル」という言葉に注目が集まっているが、本書に書かれているアメリカの政治史を知れば、そういった言葉の意味もより深く理解できるかもしれない。是非、多くの人に読んで頂き、目からウロコを落としていただきたいと思う。


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「リベラル系議員」の正体

■「愛国心」の無い政治家は存在できない

 「民進党」から「希望の党」へ合流することが“できる人”“できない人”という具合に思想的な篩いにかけられることになり、その条件として使用された「リベラル」という言葉が、再び、脚光を浴びている。
 私も「リベラル」という言葉には非常に興味を持っているタイプの人間なので、最近のいろんなリベラル論を見ていると面白い。
 メディアでは、合流できない議員のことを「リベラル系議員」と伝えられているが、なぜ、「リベラル系」などという言葉が使用されるのだろうか?

 欧米における社会主義と共産主義の大きな違いは、「愛国心」の有無だと言えるが、日本のリベラルと海外のリベラルの違いも「愛国心」の有無だと言える。政治というものは、基本的に「愛国心」が無ければ成り立たないものなので、欧米では現在、アメリカでもイギリスでもドイツでも、愛国心よりもイデオロギーが優先する「共産党」は政治政党として認められていない。

 海外の政治では、「愛国心を持った社会主義者」と「愛国心を持った自由主義者」が対立しているという構図であり、日本のように「愛国心を持たないリベラル」というのは基本的に存在できない。日本でリベラル系議員が存在できるのは、GHQの洗脳プログラムによって愛国心がパージされた特異な環境だからである。ゆえに、日本で言うところのリベラルとは、真のリベラルではなく、リベラルの名を語る非愛国者、つまり反日主義者のことを意味している。憲法は護るが日本は護らない姿勢の人をリベラルと言うこともできる。

■「安倍政治を終わらせる」というのは政策か?

 リベラル系議員はよく「安倍政治を許さない」とか「安倍政治を終わらせる」という言葉を使用しているが、そもそも「安倍政治を終わらせる」などというのは、政党内で言うべき台詞であって、政治家が国民に向かって言うべき台詞ではない。もし、「安倍政治を終わらせる」ことが政策だと思っているのであれば、それは政治活動ではなくて、倒閣運動の類いである。特定の政党を終わらせるなどというのは政治家個人の願望であって、国民の目的では有り得ない。

 民主政治というのは、政党どうしが政策を競い合い、より多くの有権者の支持を得た政党が、結果として相手方の政治を終わらせることができるものである。
 相手方の政治を終わらせることを目的化してしまっても、有権者には何の関係もない。心ある有権者は、その先にある、まともな政策を実行、実現してくれる政治を望んでいるのであって、相手方の政治を終わらせることなどに関心は無いのである。

 権力を打倒することが自己目的化している(=イデオロギーが優先している)という点では、リベラル系議員というのは、マルクス主義の影響を強く受けている人達だとも言える。

【追記】2017.10.04
(BLOGOS転載記事のコメントに対する返答になります)

>"自由"人が、リベラルという言葉(和訳すると自由)を不当に貶め、愛国心が無いという完全に根拠レスなレッテル貼り。
同じ"自由"を標榜する人間として、その思考の不自由さにため息しか出ない

 本記事で述べている「リベラル」は「自由主義者」という意味ではありません。思想上、愛国心が無いと思われる政治家を「リベラル」と呼んでいるに過ぎませんので、誤解のないように。
 それと私の「自由」は「自由に考える」という意味での自由なので、「リバタリアン」の「自由」とは違います。

>この男は、自由人ではなく、権力にひれ伏す不自由人であり、戦争を弄ぶ安倍の下人に過ぎない。

 私は特に自民党政治に心酔しているわけでもありませんし、俗に言うところの「安倍マンセー」ではありません。本記事内で「特定の政党」と書いたように、現実的な例として自民党や安倍総理の名を出しているだけです。実際、少し前の記事でも自民党や安倍総理を批判しています。正しいと思われることは「正しい」、間違っていると思われることは「間違っている」と権力に媚びずに正直に書いているだけです。

>共産主義に愛国心はないのでしょうかね?

 「国家の破壊」を目的とする共産主義者に愛国心が有るとは言えないと思いますが、少なくとも愛国心よりもイデオロギーが優先されるということは間違いありません。ただ、「国体の破壊」が理念である共産主義国家でも日本のように「自国が悪い」とは教えませんので、共産主義国家の国民だとて愛国者であることには変わりないと思います。実際、中国人の方が日本人よりも愛国者だと言われていますから。世界広しと言えど、愛国者であると言って否定される国は日本だけです。要するに、「愛国者」を名乗ることを否定するのが日本の「リベラル」なのです。

>アメリカに尻尾フリフリの安倍の方がGHQの洗脳プログラムに頭がパーンされてるんじゃなくて?

 アメリカの歴史を学べば解ると思いますが、戦中のアメリカと現在のアメリカは日本と同様、別物です。アメリカ自体、戦中は共産主義を容認している国だったので、GHQの中には共産主義者が大勢いたことも知られています。


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「民進党」in「希望の党」の矛盾

■「民と進む」ことを忘却し、一縷の「希望」に縋る政治家達

 「民進党」が「希望の党」へ合流するという、まさかの展開となり物議を醸している。既に多くの人が述べている通り、「民進党」と「希望の党」では、政策方針に違いがある。民進党員の何名が「希望の党」へ合流することになるのかは定かではないが、前原氏が語った内容から、その矛盾点を指摘しておきたい。

>アベノミクスは、一般の国民の皆さんの暮らしの改善には繋がらない反面、その極端な低金利政策や放漫財政は非常に危険であり、何かのきっかけで皆さんの暮らしを崩壊に追い込む可能性があります。

 アベノミクスが消費税増税によって頓挫したことは認めるとしても、民主党時代よりは失業率、自殺率ともに大幅に下がったことは明々白々であり、少なくとも学生の就職環境は改善されたとみるのが一般的な見方だと思う。国民の生活を崩壊に追い込む危険性があったのは、むしろ、かつての民主党政権の方だったと思っている人の方が圧倒的に多いと思う。

 私も当時に何度かブログ記事で指摘させていただいたが、民主党には経済政策自体が皆無だった。空前の円高不況で著名な大企業ですら倒産寸前にまで追い込まれたことは記憶に新しい。民主党時代に日本経済が低迷したのはリーマンショックの影響だったというようなことをよく耳にするが、その負の流れに逆らう経済政策を何も打てなかったのだから、言い訳にはならない。

 前原氏の言葉に倣って、当時を振り返るなら、

 「民主党政治は、一般の国民の皆さんの暮らしの改善を考えておらず、その極端な円高・株安や経済無策は非常に危険であり、何かのきっかけで皆さんの暮らしを崩壊に追い込む可能性がありました。
となる。

■護憲派の誤解(「自宅」と「重要文化財」の混同)

>自衛隊や日米同盟の強化は必要ですが、そのために憲法違反の法律を強引に成立させることは許されません。

 現在の憲法では自衛隊を軍隊と認めていないのだから、憲法を変えない限り、強化のしようが無い。「自衛隊や日米同盟の強化は必要」だからこそ、憲法に囚われ過ぎてはいけないのである。

>国民生活を脅かし、憲法を軽視し、民主主義を否定する安倍政権を一刻も早く終わらせることが、わが国政治の最大の課題だと私は確信しています。

 「憲法を軽視」というのは、単純に「憲法を変えてはいけない」ということを意味しているのだろうけれど、もしそうであるならば、改憲派の「希望の党」とは相容れない矛盾した政策内容ということになってしまう。
 「改憲」を訴えているということは、少なくとも現行憲法には欠陥が有ると認めていることを意味している。その欠陥憲法の内容を微塵も疑うことなく、不磨の大典の如く神聖視していては改憲などできるはずがない。

 護憲派の人々は誤解しているが、憲法を重要視するからこそ、憲法をより良いものに変えていかなければいけないのである。それは、ある意味、住んでいる家と同じであり、経年劣化した部分は、その家に住む人が住み良いように変えなければいけない。旧家を人の住んでいない重要文化財だと思い込み、手を加えてはいけないと言って、修繕が必要になった所をそのままにしていては、終いには、その家に住めなくなってしまう。風化した憲法を護持することこそが憲法の軽視なのである。

 「安倍政権を一刻も早く終わらせることが、わが国政治の最大の課題」というのも、その「一刻も早く終わらせなければならない理由」とは具体的に何なのだろうか? そこが全く見えてこない。「わが国政治」ではなく、「我が民進党」であればピッタリと収まるが。

■わが国政治の最大の課題は「具体性なき政治からの脱皮」

 例えば、 
 「消費税を10%に引き上げれば日本経済崩壊に繋がる可能性があるので、安倍政権を一刻も早く終わらせなければならない
とか、
 「北朝鮮に対して直ぐさま防衛手段を講じなければ日本は崩壊する危険性があるので、安倍政権を一刻も早く終わらせなければならない
とか、具体的な反対理由を述べなければ、有権者は納得できない。

 「民主主義を否定」というような抽象的な言葉ではなく、具体的にどこかどうおかしいのかを述べなければ、何をどう判断すればいいのか分からない。
 安倍政治の間違っていると思う政策を具体的に指摘した上で、その政策を上回る前向きな政策を具体的に提示することこそが、わが国政治の最大の課題だと言える。 

 「米朝関係が逼迫している時に解散総選挙を行うのは危機管理がなっていない」と批判するのであれば、真っ当な危機管理策を提示する必要がある。具体的な対案を提示もせずに、なんでもかんでも否定してばかりでは、どこからも「希望」など生まれようはずがない。
 「希望の党」と名乗るのであれば、どうすれば国民が「希望」を持てるのかを、具体的に明示して欲しい。それができないことには、国民は「希望の党」に矛盾を感じ失望するだけである。


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『国難突破解散』の疑問【国難は2つ必要か?】

■鬼門としての「消費税増税」

 昨日、安倍総理の口から「国難突破解散」という言葉が飛び出した。 
 野党からは、「大義なき解散」とか「御都合解散」などと揶揄されていたので、果たしてどんな名目にするのかと気になっていたが、その答えが「国難突破」だった。現在の北朝鮮問題はまさしく「国難」と呼ぶに相応しい事態なので、そのネーミングを否定するつもりはないのだが、その中身というのが、どうも素直には頷けない内容だった。

 記者会見の内容からするに、安倍総理が述べた「国難」とは、「北朝鮮問題」と「少子高齢化問題」の2つを意味しているようだが、「消費税増税」にまで言及してしまったがために、なにやら「北朝鮮問題」を「消費税増税」に利用しているように感じられた。

 正直なところ、「消費税増税」の話は完全な蛇足だったと思う…と言うよりも、おそらく今度の「消費税増税」は自民党にとっては鬼門(分岐点)になると思われるので、もし、本気で言っていたのだとすれば、かなり危険な方向に舵取りをしてしまったように思える。

■「国難」は「北朝鮮問題」に絞るべき

 この時期にわざわざ解散総選挙を行い、「国難突破」と言うのなら、喫緊の課題である「北朝鮮問題」だけに限定して、中途半端な憲法改正をまともな憲法改正に訂正するぐらいの意気込みが欲しかった。民意を考慮して保険をかけたのかもしれないが、あの会見では「北朝鮮問題」よりも「少子高齢化問題」の方がメインになっているような印象を受けた。
 「北朝鮮問題」を利用すると言えば語弊があるかもしれないが、今後の中国との外交問題を考える上でも、今が憲法改正に踏み切る絶好のチャンスであり、なぜこの時期に「消費税増税」を前面に出さなければいけなかったのか甚だ疑問ではある。
 
 一方、小池百合子氏の「希望の党」は、「消費税増税を凍結する」と述べているので、この部分は評価できる。しかしながら、「希望の党」は「脱原発」まで訴えているので、結局はポピュリズムに傾倒しているという印象は拭えない。

 理想を言えば、消費税は試験的に現在の半分(つまり4%)まで引き下げて、原発はフル稼働させて、その浮いたお金を防衛費に回す。それ位の思い切ったことをするべきだと思う。(注:消費税の話と原発の話は別勘定)

■「教育費の無償化」は不公平かつ不条理

 「少子高齢化問題」が国難という背景には、子供の教育費の負担が重荷になっているという認識があるのだろうけれど、それはあくまでも経済的な問題だ。将来が不安だから子供を産まないという理屈が成り立つのであれば、他国に占領されるとか、他国に攻撃される危険が有る場合はもっと少子化が進むだろう。
 経済的な問題だけなら個人でも解決可能だが、外交的な問題はそうはいかない。まず優先しなければならないのは、外交問題であって、国内の少子化問題ではないはずだ。

 現代の日本は結婚しない人が年々増加しており、結婚したとしても子供を持たない人も増加している。それが良いことだとは言えないのかもしれないが、そういった状態が子供の教育費を無料にするだけで改善されるとは到底思えない。それに、子供のいる人だけが消費税増税の恩恵を与るというような不公平な税制度が多くの人に受け入れられるとも思えない。

 将来に不安を感じて子供を作らなかった人が、将来に不安を感じないという理由で子供を大勢作った人(の子供の教育費)の面倒をみなければいけないということであれば、それは、ある意味、「援助する必要のない人」を「援助が必要な人」が支えるという逆転の構図になり、不条理そのものだとも言える。

 「少子化」と「教育費の無償化」のドッキングは、よく考えると非常に相性が悪い。「教育費の無償化」は、むしろ「多子化」に向かう社会でこそ生きてくる制度だと言える。子供が多い時代に教育費が足りないというのなら理解できるが、子供が少ない時代に教育費が足りないというのは、どこかおかしくないだろうか?
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「北朝鮮の終わり」or「世界の終わり」

■「アメリカは北朝鮮を攻撃できない」は本当か?

 現在の北朝鮮問題で、「アメリカは北朝鮮を攻撃できない」という意見をよく見かける。その理由というのが、「攻撃すれば周辺国(特に韓国)にも被害が及ぶから」というものだが、これは正しい見解なのだろうか?

 事の善悪はともかくとして、アメリカは1人の命を犠牲にすることで他の多くの人の命を救うことができるのであれば、躊躇することなく1人の命を犠牲にする国である。

 昔に観たハリウッド映画でも、ちょうどそういったシチュエーションを描いたパニック映画があった。1人を犠牲にすることで数人が助かるという場面で、躊躇することなく無情にも1人を切り捨てるシーンを観て、非常な違和感を感じたことがある。
 しかし、なかなか受け入れ難いとはいえ、そういった判断の方が実は正しいのかもしれないな…と思ったことがある。1人の命を救うために助かる人まで全て死んでしまうのであれば、結果的にはそれは間違っているという認識があっても、それは仕方がないことなのかもしれないな…と考え直したことがある。

■「1人の命は地球よりも重い」は本当か?

 日本では「1人の命は地球よりも重い」という言葉が臆面もなく語られることがある。しかし、「1人の命」と「2人の命」のどちらが重いのか?と問うと、途端に言葉を失い返答できなくなる。「2人の命を救うために1人の命を犠牲にできますか?」と問うても、言葉を濁すだけでハッキリと即答できる政治家はほとんどいないと思う。「はい」などと答えれば、左翼メディアから「命を軽視した発言だ!」というバッシングに晒されるので無理もない話だが。

 現在の北朝鮮問題でも、このまま北朝鮮を放置して問題を先送りし続けると、韓国だけでなく、世界全体の脅威となり、億単位の人々が命の危険に晒されることになる。
 「北朝鮮がソウルを攻撃すれば、100万人以上が犠牲になる」という被害予測が出回っているが、億単位になると、少なく見積もっても100倍になる。
 「100人の命と1人の命は、どちらが重要か?」と問われた時に、どういう返答をするか? それを考えると、「アメリカは北朝鮮を攻撃できない」というのは、「1人の命です」と言っているに等しい。

 残念ながら、世界の常識では、「100人を犠牲にして1人を助ける」というようなことは成り立たないと考えた方がよいと思う。「世界の終わり」と「北朝鮮の終わり」を秤にかければ、どちらが重いのかは火を見るより明らかだと思う。

 もちろん、理想は「誰も犠牲にすることなく100人を救う」だが、それができるのは金正恩だけである。否、その場合は「1人を犠牲にして1億人を救う」になるのかもしれないが…。

【追記】2017.9.24
(BLOGOS転載記事のコメントに対する返答になります)

>米国は、自国民を救うためには韓国や日本国民の犠牲を厭わないと考えているとは思わないのか?

 もちろん、そう思いますよ。だからこの記事を書いているのです。

>世界の一億人を救うためにソウルの100万人を犠牲にしたいらしい。しかし、犠牲になるのが東京の100万人でも平然としてられるだろうか。

 「したい」とは書いていません。勝手に拡大解釈されても困ります。1億人というのも少なく見積もった例でしかありませんが、仮に1億人の場合、その中には当然、日本人も入っています。その数は100万人以上になることが予想されますので、あなたの論は成り立ちません。

>筆者は、前者の「100万人」は韓国だけで済むと考えているように見受けられます。
「100万人」には韓国だけではなく日本も含まれる可能性を考えたうえで発言しているのでしょうか。
日本にとって最も被害というかリスクが少ないシナリオはどうなのかを考えるべきでしょう。

 もちろん、日本人も含まれるという前提です。あなたの言う「日本に最も被害が少ないシナリオ」としての1つの意見です。日本人が助かればそれでいいという意味合いで書いているわけではありませんが。

>コメントにもあるように、100万人の内訳は(韓国人90万人・日本人10万人)でも、OKするの?その日本人10万人の中に、アンタの家族も2名含まれるなら、それでもOKするの?

 私が判断するわけではありませんが、OKしない場合、それ以上の犠牲者が出る可能性が高くなるので、リスクを最小化するためには受け入れざるを得なくなっているという話です。

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北朝鮮崩壊へのカウントダウン

■「完全破壊」=「最後通牒」

 国連総会の場において、トランプ大統領が日本の拉致被害者について言及したことで物議を醸している。安倍総理の影響があるとはいえ、米国大統領が日本の拉致被害者について公の場で話した意義は大きい。しかも、その場が、ポリティカル・コレクトネスの本拠地とも言える「国連」というところが面白い。

 しかし、同時に、その場では、北朝鮮の「完全破壊」という、この上なく物騒な言葉も飛び出した。先日の「いずれ分かる」や「世界が見たことがないような炎と怒りに直面する」などの言葉と合わせて考えると、相当な規模の攻撃になることを暗示しているかのようだ。反撃の余地がない攻撃でなければパーフェクトということにはならないので、この「完全破壊」という言葉は、ある意味、「最後通牒」と言えるのかもしれない。

 普通の国の指導者なら、これで白旗を挙げて無血開城となるところだろうけれど、テロリストの如き北の独裁者に、その言葉の持つ意味が解るかどうかが運命の分かれどころと言える。

 「北朝鮮を完全破壊する」と脅しても、まだ核開発や核実験を止めないということであれば、最後の手段に出る可能性は極めて高くなる。トランプ大統領の言っていることは単なる脅しではなく、理詰めで考えると、そういう結果に成らざるを得ないということに気付かなければいけない。

■史上最悪の独裁国家は遠からず崩壊する

 逆に、核開発から手を引けば、無事に過ごすことができる。ただし、その主語は「国民」であって「金正恩」ではない。どちらを選んだとしても北朝鮮の体制自体は崩壊する。体制が崩壊するだけで済むか、国家そのものが崩壊するかという瀬戸際に立っているのが、現在の北朝鮮の姿だと言える。独裁者のみが滅びるか、国民を巻き添えにして滅びるか、あるいは他国の人々まで巻き添えにするかという切羽詰まった状態だとも言えるだろうか。

 普通、このような危機的状況に置かれると、「このままでは国が滅びる」「馬鹿な独裁者の巻き添えになって死んでたまるか」ということでクーデターが起こり、内部崩壊(自滅)してもおかしくないところだが、そういった人物が誰も出てこないところを見ても、いかに異常な国であるかがよく分かる。
 現状では、北朝鮮という国そのものが、かつてのオウムのようなものとも言えるので、完全に洗脳された取り巻き達にも、まともな理屈は通じないのかもしれない。

 11月初旬にはトランプ大統領が来日することになっているが、中国と韓国にも訪れるそうなので、おそらく有事前の東アジア視察も兼ねてのことなのだろう。あるいは、金正恩の暴走次第では、北朝鮮攻撃後の謝罪行脚になる可能性も全く0とは言い切れない。

 これまで「北朝鮮は崩壊する」というような話をしてきた識者は何人もいたが、その都度、その予測はハズレてきた。しかし、幸か不幸か、どうやら今度こそ「北朝鮮が崩壊する」可能性が高くなってきた。願わくば、自国や他国を巻き添えにすることなく、金独裁体制だけが滅ぶことを願いたい。

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スケープゴートにされた「Jアラート」

■「Jアラート」の是非

 「Jアラート」の肯定論・否定論が喧しい。ある人は「Jアラートは絶対に必要だ」と言い、ある人は「Jアラートで危機を煽るべきではない」と言う。
 個人的には、現状、「Jアラート」は必要だと思うのだが、さて、どちらの言い分が正しいのだろうか?

 まず前提として言っておかなければならないのは、この言い争いは、結果論だということである。「Jアラート」の是非を言い争う前に、なぜ、そんなことを言い争わなければならないのか?を考えれば、答えは明白で、原因は北朝鮮がミサイルを発射したことにある。
 北がミサイルを発射しなければ「Jアラート」もなにもない。そもそもの原因は北のミサイルであって、「Jアラート」を鳴らすも鳴らさないも結果論でしかない。

 本来であれば、「ミサイル発射の是非」を言い争うべきところが、「Jアラートの是非」を言い争っているわけだから、ある意味、「Jアラート」はミサイル発射のスケープゴートにされていると言える。

■「地震列島」と「ミサイル列島」

 「Jアラート」と同じく、「緊急地震速報(警報)」の肯定論・否定論というものもある。地震の場合は、程度の差で肯定と否定が分かれる。いくら「地震警報」は必要だと言っても、ほとんど被害の心配がない震度1や2程度で毎度「地震警報」をアラートしていれば、五月蝿くて仕方がないだろうし、被害の出る恐れがある震度5や6で「地震警報」をアラートしないというわけにはいかない。(現状では震度5弱以上でアラートされることになっている)

 では、北のミサイルには程度の差は有るか?と言えば、もちろん、有る。しかし、地震と違って、経験則がない。日本列島は「地震列島」でもあるので、地震については多くの経験則があるため、程度の差でアラートの是非を判断することができる。
 しかし、ミサイルの場合はそうはいかない。このままいくと日本は「ミサイル列島」と揶揄されることになるかもしれないが、日本列島を越えていくような長距離ミサイルを発射されたことは初めての経験なので、程度の差というものが未だ判らない。ゆえに、日本に着弾する可能性がたとえ0%であっても、現状では警報を鳴らさざるを得ない。

■「五月蝿い」ではなく「五月蝿かった」

 「Jアラート」に対して「五月蝿い」と言っている人も大勢いるらしいが、それもまた結果論である。「Jアラート」が鳴った時点では、一般人には現状を把握することができない。ミサイルがどの方向に打たれたのか、どれだけの飛行距離があるのか、いつ危険性が無くなるのか分からない。それらが分からない状況下(自分の上に落ちてくる可能性がある状況下)で「五月蝿い」とは言えない。「五月蝿い」というのはリアルタイムで言うべき台詞なので、Jアラート否定派が言っているのは「五月蝿かった」という結果論としての台詞であるはずだ。

 「Jアラートが五月蝿かった!」と文句を言うのであれば、まず先に、北朝鮮に対して「ミサイルを打つな!」と言うのが筋というものだろう。結果に対して文句を言っても何も始まらない。文句を言うべきは、結果としての「Jアラート」ではなく、原因としての「北のミサイル」であるべきだ。

 ついでに言うと、このミサイル問題で、海外から日本への旅行客も減少するはずだ。これまでの2回のミサイル発射は“日本(特に北海道や東北地方)は危険”というシグナルを海外へ送る役割を果たしているはずなので、旅行会社にとっても無視できない問題だろうと思う。

 では、海外からの旅行客が減るのは「Jアラート」のせいか?と言えば、もちろん違う。旅行客が減る原因は「北のミサイル」であって「Jアラート」ではない。
 今後、「Jアラートのせいで旅行客が減少した」などという、原因と結果を履き違えたスケープゴート論を語る人には要注意だ。


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「9条がなくても戦争になる」という言葉

■重要なことは「戦争抑止力」の有無

 前回、「9条があれば戦争にならない」という言葉についてのブログ記事を書いてみると、「9条がなくても戦争になる」という反論をいただいた。2chにもスレッドが立ったようで、BLOGOSのコメントと同じように「9条がなくても戦争になる」という意見を見かけた。

 「9条がなくても戦争になる」、それはその通りだろう。家に鍵をかけても泥棒が入ることはある。そんなことは述べるまでもない暗黙の了解事項だと思う。
 前回の記事で述べたことは、「9条」と「戦争」との直接的な因果関係についてではなくて、9条の有無における「戦争抑止力」についての話だった。
 重要なことは「9条の有無」ではなく、「戦争抑止力の有無」であり、その戦争抑止力を持つために9条が邪魔になっているということを書いたつもりだった。

 では、「戦争抑止力」とは何か?

 その道の専門家である田母神俊雄氏の言葉を借りると以下のようになる。

 「殴れば殴り返されるかもしれないという恐怖が殴ることを思いとどまらせる。これが抑止力である。従って攻撃能力を持たずには抑止戦略は成り立たない。」【『自らの身は顧みず』(田母神俊雄著)より】

 このことはトランプ氏と金正恩を観ているとよく解る。「殴れば殴り返されるかもしれない」、金正恩がトランプ氏に対して抱いている感情こそ、まさにそれだ。1発殴れば、何倍にもなって反撃されるという恐怖感が、金正恩のアメリカに対する暴走を防いでいる。アメリカと北朝鮮では、軍事力で大人と子供以上の差があるので、これが絶対的な抑止力となっている。
 しかし、北朝鮮が攻撃可能な核兵器を持つに至れば、その軍事力の差が消え失せ、抑止力は機能しなくなる。いかに屈強な大人であっても、銃を持った子供は恐いのと同じ理屈だ。

■9条はユートピアでしか通用しない

 自宅に鍵をかけても泥棒の侵入を完全には防ぐことはできない。しかし、少なからず泥棒の侵入を防ぐ効果は有る。泥棒に「侵入すれば捕まるかもしれない」という感情を抱かせるには、鍵を厳重にかける、監視カメラを取り付ける、発見した場合は即座に通報する、というような「侵入抑止力」が必要になる。
 しかし、9条には「侵入抑止力」を否定するようなことが書かれている。それを説明する前にまず、憲法9条を眺めてみよう。

(第9条第1項)
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

(第9条第2項)
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 この条文だけを読むと、簡単なことを敢えて難しく言っているような感じを受ける。「これを」という言葉を都合3回も使用しており、敢えて回りくどい言い方をしているように感じられる。そして、この条文は、日本国民はどうするべきということは書かれているのだが、相手国がどういう状態であるのかということが全く意識されていない。その相手国が健全な国であるのか、それとも悪徳な国であるのかということが書かれていない。
 相手国が民主国家か、独裁国家かという違いだけでも、日本国民が採る行動は違ってくると思われるのだが、なぜかその部分には触れられていない(考えられていない)のである。

 失礼ながら、相手国を泥棒に喩えてシンプルに言うなら、以下のようなことが書かれていることになる。

 「日本国民は泥棒を暴力で威嚇してはいけない
 「日本国民は泥棒に暴力を振るってはいけない
 「日本国民は泥棒と戦う武器を持ってはいけない
 「日本国民は泥棒と戦ってはいけない

 「泥棒」という言葉を「善人」に置き換えれば至極真っ当な意見なのかもしれないが、「悪人」に適用すると、途端におかしな意味合いになる。

 悪人のいない善人ばかりの平和な社会、それはつまり、理想郷(ユートピア)であり、そのユートピアでしか通用しない言葉足らずな条文となっているのが9条だと言うことができる。

 善人ばかりのユートピアのような世界であれば、憲法9条は正しい。元々、犯罪も争いも無い世界であるなら、暴力を禁ずるのは正しいことだろう。しかし、明らかに危険な悪人が出現した場合、その悪人の暴力や犯罪を阻止するためには、時には暴力を認めることも必要になる。ただしそれは、本当の暴力を認めるという意味ではなくて、悪人に「殴れば殴り返されるかもしれない」と思わせるために必要な方便としての暴力である。無論、最終手段として本当に暴力を振るわなければいけなくなる場合もある。

 世界各国が保有している核兵器も、方便として持つことを許されている。その方便としての核兵器を本気で「使用する」などと言う危険人物が出現した場合、世界各国は一致団結して、その狂気を諌めなければならないが、皮肉なことに、その邪魔をするのが「9条」になっているのである。


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