経済・政治・国際

グローバリズムは「公平」or「平等」?

 前回、と言うより、今朝書いたブログ記事では、いろんなコメントを頂いた。「グローバリズム」という言葉には、いろんな定義と解釈が有り得るので、反論や批判は覚悟していたものの、予想していた通りのコメントも散見された。
 BLOGOSのコメントに対する回答はブログの追記として書くことが多いのだが、今回は回答文が少し長くなったので、別記事としてアップしておきたいと思う。
 本記事がBLOGOSに転載していただけるかは判らないが、どちらにしても1つの記事として書いた方が人目に触れる機会は多いと思われるので、別記事として書かせていただくことにした。

 今回は、BLOGOSのYuzo Seo氏のコメントに対する意見を書いてみたいと思う。

>ここで「富豪」と呼ばれているのは、おそらくは、ビルゲイツのような、新しい産業を興した人のことでしょう。

 いや、少し違います。インターネット社会の立役者達がグローバル化を推し進めたのではなく、そのインターネット社会を利用してグローバル化を推し進めた人(グループ)のことです。

>一方、「中産階級」と呼ばれているのは、過去に成功した人たちで、そのやり方をずっと続けている人々の意味でしょうね。

 これも少し違います。正しくは、同じ能力を持って努力しているにも拘らず、グローバル化による逆差別によって、その能力が発揮できていない人々のことです。

>で、中産階級が没落したのは、彼らの富を富豪が召し上げて、発展途上国などに配ってしまったから、なのでしょうか?

 物価の異なる国々の労働者を、いきなり同一市場で競争させたことによって、結果的に中産階級が得るべき富を途上国に配ってしまったという意味です。

>そうではないでしょう。時代が変わっているにもかかわらず、過去に成功したやり方にしがみついているから没落したのではないですか?

 過去の成功にしがみついて愚痴をこぼすような人もいるでしょうけれど、ここで述べているのは、そういう話ではなくて、どんなに努力しようが埋めようのない格差(物価の差)のために割を食う労働者(先進国の労働者)がいるということです。
 なぜそんな労働者が生まれるのかというと、グローバリズムが公平ではなく平等に重きを置いたものだからです。置いたと言うよりも必然的にそう成らざるを得ないという意味ですが。

>中産階級であることは、権利でも何でもない。当人たちの努力によって維持しなければならないポジションなのですね。それをさぼってしまったら、没落するのは当たり前です。

 サボタージュによっての没落なら自業自得かもしれませんが、端から競争が成り立たない環境に放り込まれた先進国の労働者が没落することは当たり前とは言えません。

>不満を富豪にぶつけたところで、何一つ改善しない。
>真の解決策は、自らが富豪になる努力を、まずは始めることです。

 その通りなのですが、急激なグローバル化は、公平な社会ではなく平等な社会を齎すため、個人の能力や努力が無に帰すことになってしまう可能性が極めて高くなります。
 例えば、人件費が日本の10分の1※の中国の労働者と日本の労働者が競争したとしましょう。その場合、両者ともに同じ能力と同じ努力をしたとしても、仕事を受注するのは必ず中国の労働者になります。それが公平な社会と言えるのですか?ということです。

 公平な社会とは、正しい競争原理が機能してこそ成り立つものです。人件費が10分の1ということは、能力が10倍有ることとイコールです。そんな相手と競争することは競争原理以前の問題です。
 「人件費が高い国が悪い」と言う人がいるかもしれませんが、個人の労働者には何の責任もありません。たた単に先進国に生まれたというだけで逆差別される理由にはなりませんし、自己責任論も成り立ちません。100m走で90mものハンデを付けられて、まともな競争などできるはずがありません。

 ※中国の人件費は現在ではもう少し上がっていますが、ここでは話を解り易くするために、あえて10分の1としました。

 以下は私に対する直接の意見ではありませんが、私なりの考えを書いておきます。

>能力が違うなら、貧富の差が生じるのは致し方ないと思いませんか?
>同じ能力なのに、生まれた国が違うだけで貧富の差が生じる。
>後者の方がよほどアンフェアじゃないでしょうか?

 先述した通り、グローバル経済下では、人自体が同じ国に移動して、環境を揃えない限り、個人の能力や努力が正当に評価されません。先の例で言えば、日本にいたまま中国の人と競争すれば、能力が勝っていても人件費が高いという理由で貧富の差が発生することになります。急激なグローバル化は労働における公平(フェア)性を担保できないという意味で否定しているということをご理解ください。
----------------------------------------------------------------------

にほんブログ村 経済ブログ 日本経済へ

【スポンサーリンク】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大富豪達のお節介から生まれた「グローバリズム」

■「グローバリズム」が齎した「中産階級の没落」

 20世紀末から世界の潮流として叫ばれた「グローバリズム」とは、平たく言えば、「世界の貧富の差を無くす」という思想だった。
 地球上には先進国と言われる比較的裕福な人々が暮らす国と、そうでない人々が暮らす国があり、その貧富の差を無くすことを善とする思想でもある。
 「貧富の差を無くす」と言えば、誰もが正しいものと思いがちで、その美辞麗句を否定することは殊の外、難しい。日本でも「格差は悪」とする思想が主流になっているので、グローバリズムは無条件に正しいものと思われがちだ。

 「グローバリズム」の発生時期は、インターネット社会の誕生と軌を一にしているが、その言葉が人工的に作られた思想であるなら、それを提唱した人物、またはグループがいたはずである。
 それが誰であるかは判らないまでも、その人物(グループ)が意図したことは容易に想像することができる。

 例えば、あなたが世界有数の大富豪だとすると、何不自由の無い生活を送る中で、ある日、こう考えるかもしれない。

 「世界の貧富の差を無くしたい

 一見すると、至極まともな発想と思うかもしれない。
 しかし、人工的に世界の貧富の差を無くすことが意味するものは、富者の富を貧者に分け与えるという考えに他ならない。
 働かずに生きていくことができる大富豪のような人々であれば、一生で使い切れない富の一部を分け与えることはさほど難しいことではないが、働くことで生計をたてている人々は、そうはいかない。

 先進国の富を途上国に分け与えるといっても、先進国の中にも貧富の差があるので、その全ての階層の人々から富を与える(富を奪う)ということになると大きな問題が生じることになってしまう。それが、現代で言うところの「中産階級の没落」である。

■「グローバリズム」の行き着く先は「ディストピア」

 一部の大富豪達の善意(偽善)によって、途上国の富は急速に増加したものの、先進国の富は急速に目減りすることに繋がった。それが、現代における「グローバリズム」の最大の問題点でもある。

 無論、世界経済が平準化することは望ましい。しかし、それは自然発生的にそうなっていくことが望ましいという意味であり、人工的に短時間で行うことを意味しない。

 人工的に格差の無い社会を創造するという意味で、「グローバリズム」とは共産主義と非常に酷似した思想だと言える。人工的な平等社会の構築を目指すことによってユートピアという名のディストピアを作り出すという意味では、まさしく共産主義そのものと言ってもよいかもしれない。

 ロシア革命からちょうど100年後にトランプ政権が誕生し、「グローバリズム」を否定する姿を観ていると、何か偶然とは思えない運命的なものを感じてしまう。
 「グローバリズム」を押し進める米国のリベラル勢力が、トランプ大統領を失脚させることに必死になっている姿を観ていると、その思想が透けて見えるかのようだ。

 例えば、全世界に1億人のフォロワーを持つ歌手のテイラー・スウィフト氏が民主党の支持を表明したことで、有権者登録が昨年よりも5万人も増加したというような報道が大々的に行われたが、実はその5万人の多くは、トランプ支持者だった。
 テイラー・スウィフトからトランプを守るために有権者登録を行った人の方が多かったという皮肉な現象が生じた。それは、選挙結果を見ても明らかだったが、リベラルメディアは、都合の悪いことは一切、報道しない。この辺はアメリカも日本も変わらない。

 現在、蒸し返されているトランプ大統領の「ロシア疑惑」も、日本で言うところの「モリカケ疑惑」のようなものなのだろうと思われる。
----------------------------------------------------------------------

にほんブログ村 経済ブログ 日本経済へ

【スポンサーリンク】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「推定有罪劇場」の役者達

■いつまでも続く「推定有罪劇場」

 11月19日にカルロス・ゴーン氏が逮捕されてから2週間が経過しようとしているが、未だに日産ゴーン氏を巡る報道は一向に衰えを見せる様子がない。最近になって、様々な方面から「推定有罪」という言葉が出ているが、罪を認めるまで徹底的に叩くという報道姿勢は、まさしく「推定有罪劇場」というイメージが強く感じられ、海外からも批判が出ているらしい。曰く、「推定無罪という近代国家の原則が日本では通用しない」と。

 これはライブドア事件の時にも見られたことで、本人が無実を訴えているにも拘らず、逮捕されたというだけで既に犯罪者扱いとして徹底的に叩き、これでもかという具合に悪人のイメージを植え付ける。

 以前、検察や警察のあまりにも行き過ぎた密室での取り調べが問題となり、取り調べ室の可視化というものが為されたものの、衆人監視のマスコミ報道自体が、閉鎖された密室での取り調べの如くで、罪を認めるまで執拗にバッシングする姿勢を貫いているように見える。そんな風に見えるのは気のせいだろうか?

■「推定有罪論者」から「推定無罪論者」へ

 しかし、ゴーン氏の弁護人を務めているのが、元東京地検特捜部の大鶴基成氏というのは驚いた。大鶴氏と言えば、ライブドア事件で次のような言葉で名を馳せた人物でもある。

額に汗して働く人、リストラされ働けない人、違反すれば儲かると分かっていても法律を遵守している企業の人たちが憤慨するような事案を万難を排しても摘発したい

 その人物が、今度は弁護士の立場になって、ゴーン氏を擁護するというのだから、実に皮肉なもので、なにか因縁を感じてしまう。

 それにしても、モリカケ騒動で、さんざん推定有罪劇場で役者を演じていた人々が、今度の日産騒動では推定有罪を批判し推定無罪論者に転身しているというのも、実に皮肉なものだ。

 ダブルスタンダード(二重基準)とはよく言ったもので、二枚舌もここまでくると立派なものだが、彼らは結局のところ、始めから善悪を理解した上で台本通りに役を演じている役者なのかもしれない。
----------------------------------------------------------------------

にほんブログ村 経済ブログ 日本経済へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「ホリエモン逮捕」に通じる「ゴーン氏逮捕」

■ライブドア事件を彷彿とさせるゴーン氏逮捕

 現在、テレビや新聞を観ていると、連日のように、日産のカルロス・ゴーン氏の逮捕騒ぎになっており、まるで、以前のライブドア事件を彷彿とさせるものがある。

 日産とルノーの「株主資本比率」がどうのこうのとか、「小が大を呑み込む」、「ねじれの構図」など、当時のニッポン放送買収劇の時に聞かれたような言葉が、そっくりそのまま並んでいる。

 既にいくつかの報道でも伝えられている通り、ルノー(小)が日産(大)を呑み込む、もっと言えば、フランス政府が日本(親方日の丸企業)を呑み込むという構図がみてとれる。

 ルノーと日産の提携を阻止するという目的のために、ゴーン氏個人の問題をクローズアップし、ゴーン氏がいかに強欲な人間であるかを世間にアピールする。この辺の劇場型報道も実によく似ている。ゴーン氏にとって、今回の逮捕劇は青天の霹靂だったのかもしれない。

■ゴーン氏逮捕は「国策逮捕」

 大体、ゴーン氏の報酬問題等は、今に始まったことではなく、ずっと前から判明していたことだと思われる。それを、なぜ今頃になって内部告発したのかを考えれば、何か裏があるのではないか?という疑いは禁じ得ない。

 この問題は、1企業の問題ではなく、おそらくは日本とフランスの国家間の問題なのだろう。そういう意味では、国策逮捕、または国策捜査だった可能性が高い。以前、「東京地検が動く時は全て国策捜査」だと言っている著名人がいたが、おそらくそういうことなのだろう。

 ルノーが日産を吸収合併するのではなく、日産がルノーを吸収合併するということなら、今回のような逮捕劇は起こらなかったとも考えられる。日産(日本)にとってプラスになる提携なら、ゴーン氏を逮捕するメリットが無いが、日産(日本)にとってマイナスになる提携なら、阻止しなければならない。それが、今回の逮捕劇の真相なのだろう。

 フランスも日本も基本的には社会主義国家なので、逮捕劇で騒いでいる庶民をよそに、しばらくは両国間の睨み合いが水面下で続くのかもしれない。

 今回の逮捕劇が日本の国益を守るためのものであるのか、それとも、親方日の丸企業を守るためのものであるのかで、評価は大きく違ってくるが、前者であることを期待して、事の推移を見守りたい。

【追記】2018.11.24
(BLOGOS転載記事のコメントに対する返答になります)

>それなら何故は日本はシャープをなぜ守らなかったのだろうか?

 シャープは日本の基幹産業ではありませんから。

>単なる妄想(笑)

 海外の報道でも同じようなことが言われていますが。

>陰謀論に束縛されるのは不自由ですね。

 陰謀論として書いたつもりはありません。私は陰謀論は嫌いですから。

>買収でフジの株券を買うのに、時間外取引を利用したのが大きな綻び。

 それも一因には違いないと思いますが、バックグラウンドにはもっと複雑な問題が絡み合っていたというのが私の見立てです。

>大体、前から言ってるが、日産はもうルノーの子会社なんだから、今更日本にマイナスだとか何とか、寝ぼけすぎ。

 海外の報道でも伝えられている通り、子会社云々の問題ではなく、日産がフランスの企業になるかどうかという問題です。早い話、フランス政府による日産の乗っ取りが水面下で行われていた可能性があるということです。


----------------------------------------------------------------------

にほんブログ村 経済ブログ 日本経済へ

【スポンサーリンク】

| | コメント (1) | トラックバック (0)

消費税の「累進課税」は公平な制度

■「累進課税」=「共産主義」というバイアス

 前回の記事で、消費税の累進課税化について少し書いてみると、いろんなコメントをいただいた(BLOGOSのコメント)。
 しかしながら、「累進課税」という言葉に引っかかる人が多かったのか、言わんとしていることが正しく伝わらなかった人が何人かおられたようなので、少し補足記事を書いておこうと思う。

 「累進課税」という言葉は、平等を旨とする「共産主義」と相性のよい言葉でもある。それゆえに、そういった言葉を使用する場合、気を付けないとあらぬ誤解を招く可能性がある。
 そういう事情から、単なるお金持ち否定の言説だと思われることを避けるために、所得税の「累進課税」には反対の立場だと、まずお断りしたつもりだった。
 しかし、日本には“累進課税=共産主義”という先入観が余程根強くあるのか、やはり誤解を生んでしまったようだ。

 所得税の累進課税は、不公平という意味では明らかに共産主義的な制度だが、消費税の累進課税は、全くの不公平というわけではない。なぜなら、低額の商品だろうと、高額の商品だろうと、誰もが購入するからだ。
 貧しい人は低額の商品だけを購入し、お金持ちは高額の商品しか購入しないということであれば、消費税の累進課税も共産主義的な制度になってしまうが、実際はそうではない。あまりにも高額な商品に限り、お金持ちしか買わないというだけのことである。

 例えば、何千万円もするような高級車や、何億円もするような高級マンションなどは、通常、お金持ちしか買わない(買えない)。そういう人々は、税金が多少上がった程度で、消費活動を控えるというようなことはしないだろうし、商品に税金が多少上乗せされても、そんな小さなことは問題視しない。そんな数%程度の差額で「損をした」と言うような人なら、初めから何億円もするような高級マンションなど買わないだろう。

■「個人の収入多寡」と「個別の商品価格」の違い

 個人の収入多寡における累進課税と、個別の商品価格における累進課税は、似ているようで全く異なる。

 消費税の軽減税率は、ある限られた商品については誰に対しても増税しないという制度なので、確かに公平感はある。
 では、消費税の累進課税はどうなのかというと、安価な商品については(場合によっては)減税となり、高額な商品については増税となる。
 誰にも適用されるという意味では軽減税率と似ているが、お金に余裕のある人には少しだけ余分に支払ってもらおうという部分だけが少し違う。

 先にお断りしておくと、ここで言う「お金に余裕のある人」というのは、必ずしもお金持ちを意味しない。お金が無い(貯金が無い)人であってもローンで高額な家や車を買う人はいる。お金が無いからといって減税されるわけではない。
 そういう意味では公平だ。任意で高額な買い物をした場合、誰であろうと同じ税率が適用されるわけだから、どう考えても共産主義的ではない。この部分を見落とすと全く話が違ってくる。

 要するに、消費税の累進課税というのは、現行の消費税のように税率をいじるのではなく、商品の価格帯の線引きによって税収をコントロールするという制度である。税率はそのままの状態で、いくら以上の価格なら税率を何%にするというシンプルな税制度だ。

 そんな制度(累進課税)にすると、抜け穴(税逃れできる余地)が有ると書いている人もおられたが、世の中の他の税制も、抜け穴だらけだとも言える。
 法人税にしても、日本では企業の7割以上が節税によって赤字決算にしていることはよく知られている。
 国に税金をなるべく支払わないために、国家資格として税理士という職業もあるぐらいだから、全く抜け穴のない税制などというものは基本的に有り得ないと思う。

 最後に1つ付け加えると、節税もできないような全く抜け穴が無い窮屈な税制度を良しとする考えこそが、実は共産主義的だとも言える。
----------------------------------------------------------------------

にほんブログ村 経済ブログ 日本経済へ

【スポンサーリンク】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

消費税には「軽減税率」よりも「累進課税」

■愚策としての「軽減税率制度」

 案の定と言うべきか、消費増税における「軽減税率制度」が槍玉に挙がっている。
 最も問題視されているのは、システムがややこしく複雑になり過ぎるため、無事に対応していけるのか?ということ。

 今回の消費税を10%に上げる場合のシステムでこれだけややこしく複雑なのであれば、今後、消費税率を変更する時にはどうするのか?という問題もある。未来永劫、10%のままなら、いずれ慣れてくるかもしれないが、今後、日本の経済状況によっては、消費税率を更に上げることも、下げることも考えられるわけで、その場合もまた、システムをいじくらなければいけないことになると、ますます複雑になり、訳が分からなくなってしまう危険性がある。

 そもそも、税制などというものは、シンプルであることが鉄則である。同じ商品に対して、購入方法等によって違う税率を適用するなどというような真似はできるだけ控えるべきである。

■「消費税に累進課税」という政策

 日本の所得税は累進課税制度になっている。それが良いか悪いかは別として、最高税率は45%(住民税を入れれば55%)になっている。ちなみに現在一律10%の住民税も昔は累進課税制度が適用されていた。
 現在は少しはましになったとはいえ、昔は所得税率が75%という時代もあったそうで、松下幸之助氏などは給料の大半を税金として召し上げられることに疑問を呈していたことも今や語り草になっている。

 私は基本的に不公平な累進課税制度には反対の立場だが、所得税を累進課税にするなら、消費税も累進課税にしなければ辻褄が合わないとも思う。
 消費税収というものは、高額な買い物をすればするほど増加するものなので、高い商品に高額の税率をかけて、安価な商品には低額の税率をかける方が理に適っているのではないかと思う。 ちょうど、株式の売買手数料のように、取引が高額になればなるほど手数料が高くなるというシステムだ。

 例えば、10万円以下の商品には一律5%、10万円以上の商品には一律10%、100万円以上の商品には一律15%という具合に税率を設けた方が税収も上がるのではないかと思う。

■「軽減税率制度」<「累進課税制度」

 以前のブログ記事でも指摘したことだが、消費税が上がって困るのは消費限度額が固定されている低所得層であり、それが原因で税収が下がることに繋がるわけだから、消費税率は生活必需品かそうでないかで分けるよりも、高額かどうかで分ける方が望ましい。

 消費税が2%上がったぐらいで、誰もが欲しい商品を買わなくなるというわけではない。問題は、商品を買うお金の限度額があるため、その限度額を超過した買い物はできなくなるということ、そこが消費増税の問題なのである。
 ゆえに、その限度額(消費リミッター)が無い高所得者が主に買うと思われる高額商品は多少、税率が上がっても消費量は減少しない。しかし、消費限度額を有する低所得者に対する税率を僅か2%でも上げてしまうと、その2%分だけでなく、ヘタをすると、それ以上に消費量が減少してしまう(=消費税収が落ち込んでしまう)。

 消費税に軽減税率制度を適用するぐらいなら、累進課税制度を適用した方が経済に与える悪影響は小さくて済むだろうし、税収も上がる可能性が高い。
 どちらも正しい政策とは言えないが、比較論として言えば、「軽減税率制度」よりも「累進課税制度」の方が正しい選択だと言える。シンプル・イズ・ベスト、それが税制の基本だからである。
----------------------------------------------------------------------

にほんブログ村 経済ブログ 日本経済へ

【スポンサーリンク】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「はじめに消費増税ありき」というデフレ思考

■アップルとドコモの大きな違い

 米アップル社が11月1日に発表した決算は、売上高が約20%増、純利益が約30%増となり、それぞれ過去最高となった。
 これだけの好業績であっても、毎度のように「アナリスト予想よりも低かった」ということで、株価は(一時的に)下落した。

 周知の通り、アップルは、主力製品であるiPhoneの販売台数が伸び悩んでいたことで商品価格を値上げするという戦法に出た。その戦法がどこまで通じるか判らないまでも、実際に売上も利益も大幅にアップしているわけだから、現状の値上げは功を奏したということなのだろう。
 このことは、消費者が本当に欲している生活必需品であれば、多少の値上げでも受け入れる人の方が多かったということを示している。

 一方、日本では、おそらくは米国同様、最も生活必需品に近い存在となった携帯電話(スマホ)の使用料金を引き下げるという方針をドコモが発表した。その影響で、通信関連株は急落することになり、市場は(一時的に)ドコモショックとも言えるような様相を呈した。

■消費税収を増加させる2つの方法

 消費増税の悪影響を最小限に抑えるための緩衝材(クッション)として携帯電話料金の値下げが行われるというのが、官民協力の方策なのかもしれない。スタントマンがビルから飛び降りるには、地面に敷かれたクッションは大きければ大きいほど良い、分厚ければ分厚いほど良いという理由で、携帯電話料金が選ばれたのかもしれない。
 しかしながら、商品価格やサービス価格を引き下げることは、売上や利益が下がるだけでなく、消費税収を引き下げることでもある。

 例えば、1万円の商品が売れれば、800円の消費税収となるが、1万円の商品を8000円に引き下げれば、消費税収は640円に減少してしまう。
 逆に、1万円の商品を12000円に値上げすれば、消費税収は960円になる。

 当たり前の話だが、消費税収を増加させるには、消費税率を上げる方法と、商品そのものの価格を上げる方法がある。(もう1つ追加するなら、商品を多く売るという方法もある)

 政府は専ら、前者の消費税率を上げることだけに固執しているかのようで、後者の商品価格を上げるという発想が無いようにも見える。

■「消費増税」ではなく「消費税収」に目を向けるべき

 現代の日本において、携帯電話(スマホ)は生活必需品であると同時に趣味嗜好品でもある。「お金が無い」「お金が無い」と言いつつも、消費者が湯水のようにお金を注ぎ込むことが最も期待できる市場でもある。
 そんな市場であるなら、アップルを見倣って、その市場から消費税収を上げる方策を打ち出した方が良かったのではないかとも思われる。

 スマホを安く利用したい人には、既にMVNO(格安スマホ)市場というものがあるのだから、税収増が見込める普通のスマホ市場まで格安にする必要は無かったのではないかとも思える。
 こう書くと、「携帯電話料金が安くなって何が悪いんだ!」というような反論があるかもしれないが、携帯電話料金を大幅に引き下げることで、消費税収も大幅に落ち込めば、更なる消費増税という悪夢が現実化するかもしれない。そうなると、元も子もなくなってしまう。

 結局のところ、「はじめに消費増税ありき」というマイナス思考が問題なのかもしれない。「消費増税」ではなく「消費税収」に目を向ければ、いろんな経済政策が打てると思われるのだが、「デフレ脱却」のために「デフレ政策」を打つという皮肉、これも長年続いたデフレ思考の為せる業だろうか。
----------------------------------------------------------------------

にほんブログ村 経済ブログ 日本経済へ

【スポンサーリンク】

| | コメント (1) | トラックバック (0)

サスペンスドラマ化している「米国中間選挙」

■爆発物を送りつけたのはテロリストなのか?

 10月22日にジョージ・ソロス氏宅に爆発物が送りつけられたというニュースが報道されたばかりだが、今度は、ヒラリー・クリントン氏やオバマ元大統領などを含む複数の民主党幹部にも爆発物と見られる小包が送り届けられたらしい。

 当初は大富豪投資家のジョージ・ソロス氏に対する個人的な怨恨(怨みや嫉妬)による嫌がらせかと思われていたが、こうなると、事の真相が朧げながらに見え隠れしてきたようだ。

 周知のように、ジョージ・ソロス氏はトランプ大統領と敵対しているグローバリストでもあるので、爆発物の送付は同一犯(または同一グループ)による選挙絡みの事件である可能性が濃厚になったきた。

 はたして犯人は、アンチ民主党者なのか、それとも、アンチ共和党者なのか? それが注目すべきポイントだと言える。

■選挙期間中は、Trust no one.(誰も信じるな)

 もし本当に選挙絡みの事件だとすれば、次の2つのケースが考えられる。

 【A】勢いを増していると伝えられている民主党に対する嫌がらせ…(犯人は短絡的で感情的な人物)

 【B】爆発物を送りつけるような人が応援しているトランプ政権は危険だと思わせるイメージダウン戦略…(犯人は用意周到で狡猾な人物)

 どちらが正しいかは判らないが、現状ではどちらの場合も考えられるので、犯人がアンチ民主党者【A】であると決めつけるような報道は、時期尚早だと言える。
 現在のテレビ報道を観る限りでは、アンチ民主党(共和党側)の人物が、民主党側(アンチ共和党)に爆発物を送りつけたと、さも既成事実であるかのように伝えられているが、先入観を持たずに現状を眺めてみると、どちらのアンチでも有り得る行動だと言える。

 もし、今回送られた複数の爆発物の内の1つでも爆発して被害が出ているということであれば、アンチ民主党者が犯人である可能性が高くなるが、目下のところ、何も被害が出ていないので、アンチ共和党者が犯人である可能性も否定できない。

 まるで、ハリウッドのサスペンス映画のような話だが、世界を動かすような大きな選挙の舞台裏では、欲望が渦巻き、虚偽や陰謀など様々な醜い争いが水面下で起こっているはずだ。
 この時期、 センセーショナルなニュースの裏には、一般人が知る由もない隠された真実があるかもしれない。選挙期間中は何が起こるか分からないので、常に疑いの目を忘れてはいけない。
 選挙戦を正しく観察するためには、Trust no one.(誰も信じるな)位が、丁度よい姿勢だと言える。
----------------------------------------------------------------------

にほんブログ村 経済ブログ 日本経済へ

【スポンサーリンク】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

不摂生は「善」か「悪」か?

■「病気になった人」にも2種類ある

 自民党の麻生財務相が閣議後の記者会見で「いいことを言う」と述べたことで物議を醸している。
 麻生氏が「いいことを言う」と同調したのは、以下のような言葉らしい。

不摂生が原因で病気になった人の医療費を、健康のために努力している人が負担するのはあほらしい。

 ※不摂生…健康に気をつけないこと。健康に悪いことをすること。また、そのさま。

 「あほらしい」を「おかしい」に変えれば、普通によく聞くような台詞だが、はたして、これのどこが問題なのだろうか?

 まず初めにお断りしておくと、「病気になった人」と「不摂生が原因で病気になった人」とでは全く違うということを見落としてはいけない。前者は偶然だが、後者は必然という違いがある。

 「病気になった人」【偶然】

 「不摂生が原因で病気になった人」【必然】

 病気に偶然というものが有るのかどうかという問題は扨措くとしても、明らかに不摂生が原因で病気になった人に対してならば、麻生氏の意見はごく一般的な意見だと言える。

■「不摂生」にも2種類ある

 また、一口に「不摂生」と言っても、「回避できる不摂生」と「回避できない不摂生」がある。
 例えば、仕事が忙し過ぎて、健康的な生活を送ろうにも送れないような人の場合は、「回避できない不摂生」だと言えるので自己責任は適用できないが、自分の心掛け次第で「回避できる不摂生」なら、自己責任だと言える。
 麻生氏の言っているのは、おそらく、「回避できる不摂生」のことであり、多分、以下のような人を指しているのだろう。

 ●禁煙するように注意されているのに、1日にタバコを100本吸って、 COPDを患ってしまったような人。

 ●お酒を止めるように注意されているのに、毎日、浴びるようにお酒を飲んで、肝硬変を患ってしまったような人。

 上記のような100%自己都合によって病気になってしまった人がいたとして、その人物の治療費を、その人物に対して親切に注意を促していた人が支払わなければならないとなると、あまりにも不条理であり、どう考えても道理に合わない。
 だからと言って、実際に支払わなくてもよいというわけではないが、道理に合わないと考える人がいることを否定することはできない。

■「不摂生の自由」にも責任が伴う

 重要なことは、己の不摂生によって病気になってしまった人は悪くはないのか? 不摂生の自由にも責任はあるのではないか?ということ。

 なぜ、「健康な生活を心掛けましょう」というような言葉があるのかと言えば、不健康な生活は病気に繋がる危険性が高くなるからだろう。つまり、「不摂生」は悪いことだということを誰もが認めているということだ。ならば、自ら「不摂生」を行い、病気になってしまった人にも非が有るというのは暗黙の了解事項のはずだ。

 麻生氏の場合、そのことを口に出して「いいことを言う」と言ってしまっただけのことだろう。
 その言動に対して、「病気になった人に対する思いやりがない表現なので批判が出る可能性がある」などというのは、火のない所に煙を立てて、批判することを煽っているようにも聞こえる。

 こんな子供のようなポリコレごっこ(言葉狩り)で、世間に波風を立てるのは、あまりにも大人げないと言える。
----------------------------------------------------------------------

にほんブログ村 経済ブログ 日本経済へ

【スポンサーリンク】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「有給休暇取得」の例え話

■「働いても給料が出ない」の意味

 昨日書いたブログ記事(「有給休暇」強制取得社会の始まり)で、「働かなくても給料が出る」=「働いても給料が出ない」と書くと、「解らない」とコメントしている人が数人おられた。(以下はBLOGOS転載記事のコメント)

>>「働かなくても給料が出る」=「働いても給料が出ない」

>→これ、おかしくね?

>>「働かなくても給料が出る」ということは、逆に言えば、「働いても給料が出ない」ことを意味するからだ。

>ちょっと何言ってるのかわからないんだけども。

>>「働かなくても給料が出る」ということは、逆に言えば、「働いても給料が出ない」ことを意味する

>この論理の根拠がわからない。

 コメントを書く人だけで数人もいるようだと、コメントを書かれない人の中にも解らなかった人が大勢いるかもしれないので、蛇足ながら少し説明しておこうと思う。

 有給休暇を取れば「働かなくても給料が出る」

 これは誰でも解ると思う。では、同じ職場で有給を取らなかった人はどうなるのか? そう考えて両者を比較すれば「働いても給料が出ない」ということになると書いたつもりだったが、まだピンとこないかもしれないので、もっと具体的な例を挙げて説明してみよう。

 例えば、年収300万円のAさんとBさんがいたとして、Aさんは毎年、有給休暇を全部取得しており、Bさんは有給休暇を全く取得していなかったとしよう。

 Aさん・・・年収300万円で有給休暇を全部取得

 Bさん・・・年収300万円で有給休暇を取得せず
 
 AさんとBさんは同期入社で、仕事の能力も同等だった場合、有給休暇を全部取得したとしても、全く取得しなかったとしても、年収が300万円と固定のままなら、どちらが得をして、どちらが損をしているのか?ということ。

 無論、誰が考えても、答えはAさんだ。
 年間出勤日が250日で有給休暇が年間20日間だった場合を考えてみよう。

 その場合、Aさんは230日間働いて300万円の年収を得たことになる。
 では、Bさんはどうかというと、250日間働いて300円の年収になる。
 そう考えると、両者の間には出勤日数に20日間の差があることになるが、収入は変わらないということになる。
 ということは、Aさんは20日間「働かなくても給料が出ている」ことになるが、Bさんは20日間「働いても給料が出なかった」ことになる。つまり、「Aさん」=「Bさん」、または、「300万円」=「300万円」、換言すると、働いても働かなくても結果は変わらないということ。

 これでお解り頂けただろうか?
----------------------------------------------------------------------

にほんブログ村 経済ブログ 日本経済へ

【スポンサーリンク】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧